桑の木は、思い出の中でも今の大学の桑の木と変わらない。ある時、実が熟して、黒い実が道に落ちていた。裸足だった子どもの私は、それを踏まないように気をつけて歩いた。道はアスファルトではなく土で、実は人と馬車に踏み潰され、埃と混じって紫色の汁が跡を残した。雨が降ればその跡も消えた。桑の木は5本並び、人の庭からはみ出していた。木が高く、子どもでは実のほとんどに手が届かず、食べることは少なかった。届く枝の実だけを摘み、高いところの実は道に落ちていた。こんな甘い実を食べずに無駄にするなんて、大人の考えが理解できなかった。道にはみ出した果実は、村の子どもたちが食べてもいいという暗黙のルールがあった。プルーンや杏は人気だったが、桑の実は小さくてお腹を満たせず、あまり人気がなかった。地面に落ちた実を拾うのも嫌だったし、踏めば足の裏が赤く染まり、なかなか落ちない。白い下着で遊び回っていたから、汚れるのも嫌だった。
桑の実より、葉の方が大事だった。母が勤めていた別の村の幼稚園では蚕を飼っていた。社会主義時代のルーマニアでは、学校や幼稚園で蚕を飼うのが普通だった。集められた蚕は政府に送られ、何かに使われていた。何に使われていたのか、調べたことはない。きっと共産党関係者がシルクのドレスでも作っているのだろうと、ぼんやり思っていた。シルクの布より、蚕の顔の方がよく記憶に残っている。母に連れられて行った幼稚園の教室は、まるで蚕の幼稚園のようだった。先生や園児たちが桑の葉を集め、蚕に食べさせ、掃除もしていた。匂いがした。桑の実は無臭だったが、蚕は匂った。蚕の幼稚園には、白く光るシルクの繭がインスタレーションアートのように並んでいた。
当時のルーマニアの学校には、そんな光景があった。蚕と子どもが同じ場所に集められ、何かを生産しているようだった。でも、学校に生き物がいるのは悪くないと思っていた。虫好きな私にとって、この制度が終わった後に学校へ入ったのは少し残念だった。革命後の混乱で、そんなことを考える余裕もなかったけれど。蚕が葉を食べる様子はよく覚えている。驚くほどの速さで、葉はすぐになくなった。よく食べるなと思っていた。葉の味が気になった。酸っぱいのか、苦いのか、食べてみないとわからない。
遠野では、昼ご飯をすぐに食べた。「お兄さん」と呼ぶ人と一緒に。遠野にいると、モヤモヤしていたことがはっきりする。私は血のつながりよりも、人生で出会った何人かを弟、兄、妹のように感じ、勝手に家族を増やしている。家族の意味が、そもそもわからないから。生き物はみんな家族だと言いたくなる。決まり文句のようだが、この感覚から抜け出せない。義制親族なのか? それもよくわからない。お正月や夏休みに息子を連れてくる親友も、若手編集者も、遠野で会うお兄さんも、東京のお姉さんたちも。恥ずかしい。勝手すぎる。でも、バヌアツで「マミ」(母ちゃん)と呼んでいたように、年齢に関係なく、私は家族を広げて至福になる。
ルーマニアの諺に「血は水にならない」とあるけれど、私には水の方がいい。家族は、潰された動物の血や桑の実の赤よりも、透明な川、湖、氷柱、白い雪、雨、バヌアツの青い海のようであってほしい。本当の家族は、どこにいても――ルーマニアでも、日本でも、バヌアツでも――苦しいから。
遠野のお兄さんと何を話したかは忘れたけど、カウンターに焼きもちがあったから買ってみた。白くて、蚕の繭にしか見えない。何倍も大きいけど。売っていたおばあちゃんが低い声で「これは危険な食べ物だ」と言った。長い長い説明を受けた。薄いピンクのシャツを着ていた私は、絶対に車で食べてはいけないと決めた。だから、この餅は宿で一人で食べることにして、山崎のコンセイサマへ向かった。そこで何を見たか、何をしたかは秘密。ただ、シャンプーの匂いに寄ってきたスズメバチがいたことと、勝手に実った梅を食べたことだけは言える。帰ってきたら、宿のおばあちゃんに中学生と間違われるほど若返ったみたいだった。遠野で白いものばかり食べたせいかもしれない。豆腐屋の豆腐は人生で一番美味しかった。そこのおばあちゃんは茄子の漬物をおごってくれて、話を聞かせてくれた。夜、「危険な食べ物」を早速食べた。言われた通り、黒蜜を吸おうとしたがうまくできず、手と口の周りがベタベタになった。外のお寺から差し込む光が神秘的に見えた。黒蜜か。中にあるのは。甘くて恋のような危険を感じる。呪いのような食べ物だ。これ以上、性格がベタベタになったらどうする。
家族を増やそうとする寂しさの理由が、その夜わかった。私には弟が二人いた。この世界に、もういないなんて信じられない。いつも会いたいと思っている。一瞬だけ同じ世界にいた。今はパラレルワールドのようだ。隣の世界、後の世界、上の世界、下の世界、夢、どこ? 至福のあなたたちは、今どこにいる?家族のように、人は出会い、結ばれ、見えない糸で繋がれる。そしてまた離れ、探し合う。「危険な食べ物」の蜜のように、いつもくっつけばいいのに、蚕の繭の中で。本当の家族とはそんなものではない? その後は綺麗な糸で結び、お互いを失わないように。だから血は関係ない。人類はまだそれに気づいていないかもしれない。気づけば、もっと至福だったのに。
『古事記』に登場するオホゲツヒメは、スサノオノミコトに殺され、死体から頭に蚕、目に稲穂、耳に栗、身に小豆、陰部に麦、尻に大豆が生じたという。食物の女神だ。家の神、オシラサマも桑の木でできていて、地域によっては蚕の飼い方を教えたと言われる。人類は豊かさとは何かを考え続ける必要がある。ルーマニアの諺を思い出す。「お金は葉っぱのように木に生えていない」。それも間違っているかもしれない。言葉を疑っていい。至福のあなたへ、価値観を見直さない? 女性と植物を大切にし、すべての生き物が家族になれるように(おまじない)。