水牛的読書日記 2021年10月

アサノタカオ

10月某日 京都への旅から帰ると、荘司和子さんがお亡くなりになったことを知った。荘司さんはタイ語の翻訳家で講師。著書に『ソムタムの歌』(筑摩書房)、訳書に『カラワン楽団の冒険』(晶文社)など。サウダージ・ブックスから刊行した『ジット・プミサク+中屋幸吉 詩選』(八巻美恵編)の翻訳で大変お世話になった。一年に一度は電子メールでやりとりし、タイの詩について、歌について教えていただいた。荘司さん、本当にありがとうございます。

 彼は死んだ 森のはずれで
 ……
 彼は人知れず散った
 けれど今 その名は轟く
 人びとはその名を尋ねその人について知ろうとする
 その人の名は ジット・プミサク
 思想家にして著述家
 人びとの行く手 照らす灯火
 ――スラチャイ・ジャンティマトン「ジット・プミサク」(荘司和子訳)

荘司さんが訳したジット・プミサク詩集やスラチャイ・ジャンティマトン短編集はウェブページ「水牛の本棚」で読むことができます。
http://suigyu.com/hondana/index.html

10月某日 芥川賞や直木賞など日本の「文壇」賞にはまったく興味がないけれど、ノーベル文学賞の発表は毎回心待ちにしている。文学を通じて、世界の広さ、深さを知ることのできる喜び。昨年の受賞者、ルイーズ・グリュックの詩集『野生のアイリス』(野中美峰訳、KADOKAWA)を読みながら発表時間を待つ。と、第一報のニュースに「ザンジバル出身」の文字を発見し、驚いた。
2010年にサウダージ・ブックスから出版した飯沢耕太郎さんの『石都奇譚集』は東アフリカ、インド洋に浮かぶザンジバル島を舞台にしたトラヴェローグ。ぼくはこの本の編集のための取材をかねて飯沢さんとともにこの島を旅したことがあり、「ストーンタウン」と呼ばれる迷路のような石造りの旧市街を何日もさまよい歩いた。だから、気になったのだ。
2021年ノーベル文学賞は、タンザニア連合共和国に属するザンジバル出身の作家 Abdulrazak Gurnah が受賞した。現在は英国を拠点とし、英語で書くポストコロニアル文学の作家で、サルマン・ラシュディの文学の研究などもおこなっているようだが、邦訳された著作はまだない。日本の大学図書館でもその研究書以外の彼の小説(原著)の所蔵は少なそう。さまざまな書誌情報サイトを検索しても、日本語文献はあまり見つからない。
ノーベル文学賞発表後にいちはやく公開された『The Gurdian』の記事によると、Abdulrazak Gurnahは、1948年に当時英領だったザンジバル島のインド系の家庭に生まれ、1964年のザンジバル革命後に難民のようにして英国へ渡り、小説家になったという。アフリカ中心主義を掲げるアフロ・シラジ党による革命では、それまで支配階級だったアラブ系やインド系の多くの人々が迫害されたと聞く。むろんその大元には、ヨーロッパ諸国によるアフリカの植民地化の問題がある。こうした苛烈な歴史とディアスポラ(民族離散)の経験からどんな文学が生み出されたのか。近い将来、日本でこの作家の著作が翻訳、出版されることを期待したい。

10月某日 川内有緒さんの『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)は、すばらしいノンフィクションだった。全盲の視覚障害者が美術を鑑賞するとは、どういうことか。最後のページを閉じてもはっきりした答えは見つからず、目の見える/見えないのあいだにある「わからないこと」がむしろ増えた。川内さんがつづるのは、「目の見ない白鳥さん」とともに全国各地の美術館や芸術祭、寺社をたずねる旅の物語。語り口は風通しが良く、文体はやわらかで軽妙。しかし読後にお土産として渡された問いはずっしりと重い。その重みを感じつづけることが大切だと今は思う。川内さんの紀行作品『バウルを探して〈完全版〉』(三輪舎)も読み返したくなった。

10月某日 前夜、千葉県を中心に関東一帯で最大震度5強の地震が発生した。東日本大震災を思い出すほどの大きな揺れを感じたが、神奈川の自宅で被害といえるものはなかった。棚から落ちた何冊かの本、崩れた書類の山を片付け、避難用の防災グッズと靴を玄関に準備しておいた。
この日は早朝から大阪に出張する予定だったのだが、JRの在来線は地震の影響で広範囲で運休し、交通機関の混乱がしばらくつづいていた。東海道新幹線は多少の遅延はあるもののうごいている様子なので、予定を午後の出発に変更して大阪へ。道中では、「シリーズ ケアをひらく」より村上靖彦さんの『在宅無限大』『摘便とお花見』(以上、医学書院)を読む。看護師の語りをめぐる現象学的研究の書。
大阪・桃谷で、認知症の人と家族の会大阪府支部のつどい「認知症移動支援ボランティア養成講座」の実習に、取材を兼ねて参加した。森ノ宮医療大学の先生で作業療法士の松下太さんから認知症ケアの技法として注目される「ユマニチュード」や、車椅子など福祉用具の使い方を学ぶ。折りたたみ式の車いすを開いたこともなかったので、実際に手足を動かしてみてなるほどの連続。実習の後は、大阪市認知症の人の社会活動推進センター「ゆっくりの部屋」のライブラリーに立ち寄り、川内有緒さん『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』を寄贈した。
講座終了後の夜、桃谷から鶴橋までの界隈をゆっくり散策した。桃谷には子が生まれた病院があり、なつかしい。病院に立ち寄り、消灯したロビーを外からのぞくと、待合室のシートにひとり座り、暗がりの中でスマホの画面をのぞきこむ若い男の姿が見えた。不安な夜を過ごす人々のあしたに希望の道が開かれますように、と心の中で小さな祈りを捧げた。

10月某日 昨日に引き続き、大阪のコリアタウン「猪飼野」の周辺を歩きながら思い出の古書店をめぐることに。子が生まれた2004年前後は一時的に大阪に住んでいて、南巽の日之出書房、鶴橋のあじろ書林、楽人館にほんとうによく通った。こういう店で、ぼくは韓国文学や在日文学の世界に本格的に出会ったのだった。日之出書房は閉店して、いまは谷町線の喜連瓜破駅に移転。地下鉄のアナウンスで見慣れない漢字の駅名を「きれうりわり」と読むことを知った。
先々月に亡くなった画家の富山妙子と李應魯、朴仁景との対話『ソウル—パリ—東京』(記録社)を楽人館で購入し、帰路、新大阪からの新幹線車内でじっくり読みはじめる。1985年刊。アジア一帯で日本がおこなった戦争と植民地支配の暴力の記憶はいまよりも生々しいものとして存在し、同時代の韓国社会は光州事件以後、軍事政権に抵抗する民主化運動のうねりに大きく揺れ動いていた。日本と韓国のアーティストが、これほどの知的な緊張感をもって対話をすることが今あるだろうか。ひとつひとつのことばの背後にある、ポストコロニアルな世界を激しく生き抜いた三者の旅する人生の振れ幅が大きく、読んでいてひたすら圧倒される。

「1970年秋、私は思いきって韓国をたずね、釜山から列車に乗り戦前に通ったおなじ鉄道沿線の風景をたどってみた。……あのころ私は釜山で青葡萄を一籠買い、マスカットのような大粒の葡萄を食べながら、車窓の風景を眺めたものだ。戦後『朝鮮詩集』を読み、李陸史の「青葡萄」という詩を知った」(富山妙子)

10月某日 台湾の作家、蘇偉貞の長編小説『沈黙の島』(あるむ)を読了。主人公の晨勉(チェンミェン)の物語と、彼女が想像するもうひとりの晨勉の物語が交互に語られるという凝った仕掛け。重厚な小説で、倉本知明さんの翻訳がよかった。
先月、名古屋の本屋ON READINGの黒田杏子さんから聞いた「閲読台湾」という台湾文化をテーマにしたブックフェアが、全国各地の書店ではじまる。今年2021年に入り、台湾の作家・呉明益の小説の日本語版が続々と刊行され、故・天野健太郎さんの名訳による『歩道橋の魔術師』と『自転車泥棒』が河出文庫、文春文庫で文庫化された。この機会に台湾文学も、いろいろ読みたい。
ちなみにぼくの亡き父親は植民地時代の台湾・台中に生まれた、いわゆる「湾生」だ。戦後の引き揚げ時は12、3歳で記憶はあるはずだが、子供たちに台湾のことを語ることは一度もなかった。植民地主義の歴史は、暗い影のようなものとして自分の内に存在している。

10月某日 北海道大学出版会が主催、朝鮮語学・日韓対照言語学が専門の野間秀樹さんのオンライン講演会に参加。同出版会から刊行された新著『言語 この希望に満ちたもの』をめぐって。この本は事前に読んでおり、講演のお話も興味深い内容、美術作家としての顔も持つ野間さんがみずから手がけた本の装丁についてのエピソードもおもしろかった。野間さんの『新版 ハングルの誕生』(平凡社ライブラリー)も手元にあるが、大著ゆえにこちらはまだ読むことができていない。

10月某日 雨の休日、神奈川県立美術館葉山館で開催された「生誕110年 香月泰男展」を家族で見に行く。画家・香月泰男が抑留体験を描いた《シベリア・シリーズ》全57点は強烈圧巻だった。絵画の圧が強すぎてやや心身不調となり、館内のベンチに座り込んでしまった。うちの子は《シベリア》以前の少年のシリーズ、妻は晩年の青がよかったとのこと。ミュージアムショップで図録『日韓近代美術家のまなざし——『朝鮮』で描く』を購入。読み応えあり。

10月某日 東久留米市立図書館で開催される「図書館フェス2021」。今年のテーマは「言葉をとどける、世界はカラフル」。「本屋さんのトビラ」という企画に参加し、おすすめの1冊として、温又柔さんの小説『真ん中の子どもたち』(集英社)を紹介した。

「台湾人の母、日本人の父のもとに生まれ、東京で育った大学生の主人公・琴子(ミーミー)が、中国の上海に語学留学する。台湾、日本、中国。国や民族のはざまで生き、迷い、悩む若者たちの人生が異郷で交差する。どの「普通」にも収まらない琴子ら「真ん中の子ども」たち。自分だけの言葉、自分たちだけの言葉を探す主人公たちの旅を描いた青春小説です。」

ぼくは都会の本屋さんに通うようになる前の少年時代、地元の図書館でよく本を借りて読んでいた。そこで日本と海外の文学の世界に目覚めたのだった。だから図書館で、とくにいまの中学生や高校生に読んでほしいと願って推薦文を書いた。この本をきっかけに、温さんのほかの小説や、日本語についてのエッセイにも関心をもってもらえるとうれしい。
https://www.lib.city.higashikurume.lg.jp/soshiki/2/chuou-tobira20211020.html#tobira15

10月某日 思うところがあり、年内は在日文学の大家・金石範先生が近年発表した小説を集中して読むことにする。『火山島』全7巻(文藝春秋)に代表されるように、1948年におこった済州島4・3虐殺事件を中心に、朝鮮半島の歴史、そして在日というディアスポラの歴史のなかで語れられなかった声に身を捧げるように、90歳を超えていまなお日本語で小説を書き続けている。多くの作品のモチーフ、登場する人物たちやエピソードには反復と連続が多いのが金石範文学の特徴だが、それは大切なことは何度でも語り直さなければならない、と作家がつよく信じているからだろう。なぜ書き続けるのか。そこには、近代文学の概念や作家個人の思想を超えた、太古の時代から無名の人々の群れによって語り継がれてきた「神話」のようなはたらきもあるのではないだろうか。