水牛的読書日記 2024年4月

アサノタカオ

4月某日 キム・ジニョン『朝のピアノ 或る美学者の『愛と生の日記』』(小笠原藤子訳、CEメディアハウス)を読む。著者は、韓国でドイツ・フランクフルト学派の批判理論(アドルノ、ベンヤミン)を研究する哲学者・美学者で、フランスの思想家ロラン・バルト『喪の日記』の韓国語訳者。本書は、そんな人が病の宣告を受け、命を終える3日前までメモ帳に遺した随筆的な断章集だ。闘病の渦中で、「新たな生」を願う痛切な自己省察のことばが深く身に沁みる。

小さな、美しい本。昨夜、SNSでふと刊行情報を見かけて、いてもたってもいられない気持ちになり、書店に駆け込んで本を買ったのだった。よい本に出会った。明日からの旅の道中でもう一度読み直そう。

4月某日 花曇りの京都へ。東九条の京都市地域・多文化交流ネットワークサロンで、久保田テツさん監督『ここのこえ~藤やんと西やん』の初上映会が開催され、上映後のトークにBooks×Coffee Sol.店主で東九条マダン実行委員のやんそるさんとともに出演し、コメントをした。

『ここのこえ』は、大阪・西成で野宿生活をしていた「藤やん」と、「西やん」こと看護師で臨床哲学者の西川勝さんとの対話を記録した映像作品。藤やんは生活保護を受給し、衣食住に困ることはなくなったが、その矢先に余命3か月を宣告される。「なんで、もう死にそうな自分が幸せなのか、わからん。なんでや」と問う藤やんのベッドサイドで、西川さんが哲学者として応答する。静かな、真剣勝負の時間。時に「そうやなあ……」と「西やん」の言葉を呑み込むように納得し、時に「そうかなあ……」と身をかわすように視線をそらす藤やんの一瞬一瞬の表情。そこに、「ひとり」を生き抜き、「ひとり」を考え抜いた人間の顔が迫り出してくる——久保田さんの映像に目を瞠り、深い感銘を受けた。そしてやんそるさんが西成と東九条の地域社会、在日コリアンと韓国・光州事件の歴史をつなげて語るこの作品についてのコメントは、胸を打つものだった。

上映後に関係者の案内で、桜を眺めながら高瀬川沿いを散策し、京都市立芸術大学の地域交流施設「崇仁テラス」を見学した。その後、鴨葱書店を訪問し、『ことばの足跡』(あかしゆか・大森皓太・韓千帆・椋本湧也、ユトリト)を購入。4人の著者による、「あいうえお」以下50音順の単語を題にしたエッセイを集めた本。「台所」という作品がよかった。

翌日、三重・津のひびうた文化協会で「ともにいるための作文講座」の講師をつとめるため、近鉄の特急電車で夜の京都駅を出発。

4月某日 日本のカウンターカルチャーをテーマにするドキュメンタリー映画『inochi』を監督として製作中の写真家・映像作家、宮脇慎太郎。彼の誘いで、新宿の路上で行われるラストシーンの撮影に立ち会うことになった。

伝説的なヒッピーコミューン「部族」の元メンバーで、諏訪之瀬島に暮らした詩人・長沢哲夫さん(ナーガ)の立ち姿に、ムービーカメラを向ける。と、高層ビルの隙間から夕陽がさしこみ、詩集のページを開く詩人の顔をやわらかな黄金色に染め上げたのだった。

4月某日 今春から大学での編集論のほかに、専門学校で留学生にアカデミック・ライティングを教えることになった。ミャンマー、ネパール、ベトナム、韓国、中国、モンゴルなどアジアを中心に世界各地からやってきた意欲的な学生とのたのしい会話に刺激を受けている。

4月某日 東京は雨。大学で編集論の授業を終えた後、閉店前の機械書房へ。「随筆復興」を掲げる文芸誌『随風』(書肆imasu)を購入。同誌の寄稿者でもある店主・岸波龍さんから、かとうひろみさんの小説「陰膳とスパゲッティ」を推薦してもらった。掲載誌『るるるるん』vol.5も入手。

4月某日 夜、世界文学の読書会にオンラインで参加。課題図書は韓国の作家ハン・ガンの小説『すべての、白いものたちの』(斎藤真理子訳、河出書房新社)。

4月某日 三重・津のブックハウスひびうたで自分が主宰する自主読書ゼミにオンラインで参加。課題図書は石牟礼道子『苦海浄土』(講談社文庫)の第6章。今回は差別の歴史と構造について、人々の生きる年月について。じっくり読み続けることでようやく見えてくる人間の真実がある。

4月某日 昨年に引き続き、東京・神保町の韓国書籍専門店チェッコリで「書評クラブ」を主宰することになり、第1回を開催。これからメンバーは各自、韓国文学の小説から「推し本」を選び、レビュー執筆に取り組む。そして作品を集めたZINEを制作し、11月に開催されるK-BOOKフェスティバルや全国の書店で販売することを目指す。楽しみだ。

4月某日 韓国の作家ファン・ボルムの読書エッセイ集、『毎日読みます』(牧野美加訳、集英社)を読む。ベストセラーから硬派な人文書まで、紹介される書物をめぐる話はどれも興味深いものだった。何よりも、「こんなふうに本について語れたら……」と憧れを感じさせる軽やかな文体に、魅了されたのだった。犬吠徒歩さんの絵で飾られた装丁もよい。

愛する本について語り、愛する人びとについて語る作家の親密な声の余韻に浸りながら、もっと本を読みたいと思ったし、読んだ本について誰かと語り合いたい、と思った。

4月某日 夜明けに目覚めたので、早朝の海辺を散歩し、曇り空の下で貝殻や小石を拾ったりした。

散歩の後、今日は1日集中して読書をしようと決心し、文化人類学者イリナ・グリゴレさんの『みえないもの』(柏書房)を読む。これまで、人類学と文学が交差する領域の本をあれこれ探して読み継いできたが、この作品は出色の一冊だと思う。ことばによって、ことばの外側にふれるような文章を読みたいとつねに願ってきたのだが、まさにこれがそれだと直感した。

「知らないだけで終わらない、光を追うのだと知らされる」。表題作「みえないもの」の最後に置かれた目の覚めるような一文に導かれて、前半の色鮮やかな生命の世界から後半の「彼女」の物語に入り、息をのんだ。読む目が凍りついた。

どこで「私」が終わり、どこで「彼女」がはじまるのか。どこで事実が終わり、どこで夢がはじまるのか。どこで人間が終わり、どこで虫がはじまるのか。自他が相互に溶け合うほの暗い文の世界で、悲しみ、痛み、感情や感覚のヴェールを歯ぎしりしながら一枚一枚めくり、〈彼女たち〉の記憶の奥へと恐る恐る進む。そして最後にページを閉じた瞬間、きわめて重要な沈黙の教訓が自分の元に来訪したように感じて、いまもからだの芯が震えている。それが何だったのか、この本を何度も読み返しつつ人生の中で考えてみたい。

4月某日 東京は雨。大学で授業を終えた後、機械書房へ。江藤健太郎さんの新刊小説集『すべてのことばが起こりますように』(プレコ書房)の即売会が開催されていたので本を購入し、店主の岸波さんの紹介で作家の江藤さんのお話を聞くこともできてよかった。帰路の電車内で読み始めたのだが、冒頭の一編「隕石日和」から独特の小説世界に引き込まれる。

4月某日 関西を旅するハーポ部長から編著『本のコミューン』(文借社)が届いた。東京・下北沢にあったブックカフェ気流舎の活動記録集。以前、お店で開催された今福龍太&上野俊哉両先生の対談、「メキシコの真木悠介」も掲載されていて、これにはぼくも参加したのだった。本とともに、詩人のミシマショウジさんらのZINE『詩の民主花』(黒パン文庫)も添えられていた。

午後は、東京・吉祥寺へ。快晴、初夏の暑さを感じて上着を脱いだ。移動中の電車で、宮内勝典さんのエッセイ集『海亀通信』(岩波書店)を読む。