水牛的読書日記 2025年11月

アサノタカオ

11月某日 福嶋伸洋さんの『ニコの海』(松籟社)が届いた。凪の風景を思わせる青く美しい装丁に息をのむ。ブラジル文学の研究者であり、クラリッセ・リスペクトル『星の時』(河出書房新社)の訳業で日本翻訳大賞を受賞した福嶋さんのはじめての小説集。青春の日々を追想しながら、潮の満ち引きのように記憶の情景が押し寄せ、やがて遠ざかる心の機微を描写する3つの短編を収めている。

本のタイトルにある「ニコ」は、表題作に登場する詩人・堀口大學の異名だ。福嶋さんと同郷の新潟・長岡の出身で、戦前にメキシコ、ベルギー、ブラジル、スペインなど南米とヨーロッパを遍歴した詩人は、海外で「ニコ」と名乗り、各地のモダニズム文学者らと交流したのだった。堀口大學による翻訳詩集の名著『月下の一群』が、小説の世界に淡い影を落としている。

11月某日 写真絵本シリーズ、矢萩多聞さん文/吉田亮人さん写真の『はたらく校長先生』『はたらく鉄道員』(創元社)が届いた。人間の仕事のまごころを教えてくれるすばらしい絵本で、全国の小学校の図書室に常備してほしい。後に来る賢い人たちとの、よい出会いがありますように。

11月某日 発売日に近所の書店に駆け込み、伊東順子さんの待望の新著『わたしもナグネだから 韓国と世界のあいだで生きる人びと』(筑摩書房)を購入した。雑誌『中くらいの友だち』などの連載に書き下ろしを加えてまとめたノンフィクション。連載を熱心に追いかけていたので、一冊の本になってうれしい。装丁の写真は、ぼくも敬愛するアーティスト・山内光枝さんの作品。

冒頭の一編「放浪の医師 元NATO軍の軍医ドクター・チェ」を再読し、現代史の苦境をまるごと背負うように生き抜いた、ひとりの驚くべき「ナグネ(旅人)」の物語にあらためてことばを失う。

「ナグネとは自嘲的に使われる言葉だ。たどり着けないことの情けなさと、残してきた者たちへの申し訳なさ、でもまだ歩き続けている自分への愛しさ……」伊東さんが本書にさりげなく記す文が、ぐさりと胸に突き刺さる。

11月某日 詩人の本が2冊同時に到着。宮内喜美子さんの新詩集『追悼の光を抱く女』(思潮社)と、韓国の詩人イ・ジェニの散文集『夜明けと音楽』(橋本智保訳、書肆侃侃房)。どちらも、冒頭の数編を読んだだけで胸がいっぱいになった。年末年始のしずかな時間に読みたい。

11月某日 三重・津のブックハウスひびうたで自分が主宰する自主読書ゼミにオンラインで参加。課題図書は竹内敏晴『ことばが劈かれるとき』(ちくま文庫)の「治癒としてのレッスン」。

11月某日 東京国際展示場で開催された文学フリマ東京41に、サウダージ・ブックスとして出店した。エッセイを寄稿したご縁で文芸誌『随風02』(書肆imasu)もブースの机に並べると、「見たことあります!」と足を止める方が多く、影響力の大きさを実感。ついでにサウダージ・ブックス関連の本を紹介という感じに。自分が佐々木静代さんとともに企画・編集を担当した新刊の韓国文学ZINE、チェッコリ書評クラブ『”あなたのため”のK-BOOK!』をあいだにはさんで、お客さんとの会話を楽しんだ。もっとも多く話題になったのが、ミュージシャン&作家のイ・ランさんのことだった。

会場では、ZINE『越境読書研究センター 報告書vol.1』とアンソロジー『たゆたい 01』を入手した。『越境読書研究センター 報告書vol.1』は書評エッセイ集で、藤本和子さん『塩を食う女たち 聞書・北米の黒人女性』(岩波現代文庫)や、韓国の作家ファン・ジョンウンの小説集『ディディの傘』(斎藤真理子訳、亜紀書房)などぼくも愛読する本が紹介されている。『たゆたい 01』のテーマは「機能不全家庭」。帰りの電車で横田祐美子さんの詩を読み、「とめ・はね・はらい」という作品がとてもよかった。

11月某日 『たゆたい 01』を読了。本書企画人の大田栄作さんの巻頭随筆をはじめ、随筆、批評、小説、詩、どれも読み応えのある作品だったが、なかでも文筆家の山本莉会さんの「小さないかだで海を渡る」に深く胸打たれた。「いかだに乗って海を渡るような、ぎりぎりのバランスで家庭が成立しているよう感覚があった」という著者とその母親をめぐるエッセイ。山本さんはいつも、文章の最後に忘れがたい一文をびしっと置く。

11月某日 『別冊 中くらいの友だち』が届く。韓国を語らい・味わい・楽しむ雑誌の今回のテーマは「ソウル 変わらぬ想いと、肯定するノスタルジー」で、19人のエッセイが掲載されている。赤い本のページをぱらぱらとめくると一部カラー写真もあり、いつもより少し豪華な感じ。読むのが楽しみ。

11月某日 これも待望の一冊。斎藤真理子さんの新著『「なむ」の来歴』(イースト・プレス)が届いた。翻訳者である斎藤さんの韓国、日本、沖縄をめぐる旅、あるいは「他郷暮らし」から生まれたエッセイを集めた本。道を外れて道をゆくそぞろ歩きのような文のスタイル、つまりエッセイ(essay)ということばの本来の意味である「試み/試論」の魅力が詰まっている。

「なむ」というのは韓国語の「木」のことで、本書には1990年代、那覇・首里城近くの「パパイヤとグァバの木がある」家に住んでいた頃、斎藤さんが雑誌『思想の科学』に寄稿した貴重な文章も収録されている。来月、ジュンク堂書店池袋本店で開催される刊行記念トークにおしゃべりの相手として登壇することになったので、試論としてのエッセイの醍醐味を堪能しつつイベントに向けてじっくり読み込みたい。

以前、神奈川・大船のポルベニールブックストアで、ウェブマガジン「水牛」のお仲間である斎藤さんや、イリナ・グリゴレさんと対談をした。おふたりと語り合った夕ぐれの時は、よい時だった。「水牛」を追いかけて歩いていると、犬も歩けば棒に当たる式で、いろいろと楽しい出来事にめぐりあう。