仙台ネイティブのつぶやき(112)みんないなくなったあとに

西大立目祥子

 あれやこれやが一気にくる、という年がある。いいことも悪いことも。いや、どちらかというと悪いことが固まりになって。でも、ここまで生きてくるとわかるけれど、悪いことの中にはいいことが混じっていて、その逆もあって、つまりは判別などつかないものがこれでもかと押し寄せる。今年がまさにそうだった。

 まず、めまい。3月にきて、5月にきて、6月にきた。3回の発作をくぐり抜け、3つ医院で検査と診察を受けるうちにわかってきた。ははん、これは自律神経がいかれたんだな、と。慣れないことに手を出して緊張が続くと、交感神経が優位になって副交換神経との切り替えがうまくいかず、ダウン。いまのところ発作はおさまっているけれど、めまいと書いてる先から、あのときのぐるんぐるんと体が振り回される感覚と吐き気が戻ってくるようだ。

 めまいの理由は明らかだった。母の家がいよいよダメになってきて、これはもうリフォームだと決心し荷物の整理を始めたのは昨年のいまごろ。家を直して転居しようと決め、大きな家具を処分し、設計士さんと何度か打ち合わせを重ねた。そうこうしているうちに私にとっては最高の相棒だった茶トラの大猫チビが急にやせてきて、はらはらしながら病院へと車を走らせる。親しかった叔母の作品展を企画し始めたのもこのころ。右手でハンドルを握りつつ、空いている左手では展覧会の内容を詰め作業を重ねるみたいな感じで、まわりの助けを借りつつ搬入にこぎつけ何とかオープンしたところで、一回目の発作。ぐわん。

 何とかおさまった4月初旬、家の工事が始まった。築66年の家の畳が上げられ、床板がはずされ、土壁が落とされてシロアリ被害の全貌が見え始めた。ずぶずぶになった敷居や床下の柱を見た大工さんと設計士さんが、「ここまでひどいのはミルフィーユ状っていうんだよ」なんていう。2人はどうってことはないという表情で着々と工事を進めてくれたのだが、一方で猫の調子は落ちていくばかり。どうしようと不安が募る中、さらに母の発熱、食事の減退という事態がやってきた。そこに気の進まない仕事を引き受けざるを得ず、終わったところで2回目発作。ぐわんぐわん。

 工事は5月末に完了。新しく貼った床や青畳の上をよろよろと、でもどこか楽しそうに歩いていた我が相棒は6月1日に旅立った。ペット斎場に連れて行き、骨になって戻ってきたところで、うわぁ、3回目発作。これには、すっかり落ち込んだ。バアサンじゃないか。ていねいに扱ってあげないと、ガタがきている自律神経はもはや持ちこたえられないと思い知る。

 こうして振り返っているだけで、なんかもう疲労感が再びひたひたやってくるようだ。でもまだまだ続きがあるのだ。もう一匹の猫、グーが先に逝った猫を探しに出たのかドアから脱走し、4ヶ月たったいまも戻ってこない。母の容態も低空飛行で、今日は食べました、今日はお水も飲めませんと聞かされ一喜一憂する日が続いたのだけれど、猛暑の中予定通り引っ越しを決行。片付けにくたびれ果てて眠る4日目の深夜、母が逝った。段ボールをどかして母が帰る場所をつくり、出棺、葬儀までこぎつける。大波におぼれそうになりながら。

 たった2ヶ月の間に、母も猫たちもみんないなくなった。最後の2年半は施設のお世話になったけれど、母の介護は約20年、ひょんなことから数匹の猫たちと暮らすようになって25年がたった。母が家にいたころは、締切に追われていても隣の部屋で何をしているか体をセンサーのようにして気配を感じ取り、外での打ち合わせから飛び帰ってごはんのしたくをし、ちゃんと食事をとれているか転ばないか母の調子に神経を研ぎ澄ませる毎日だった。施設に入ってからも、電話が入れば何かあったのかとぎゅっと心臓をつかまれるようで、届けものの必要があればその日のうちに持参し、庭に椿の花が咲けば見てほしくなってきれいな紙でブーケをつくった。

 猫たちだってほおってはおけない。どんなに疲れていても自分のごはんより猫のごはんが先。トイレが汚れていたら猫にとっては最大のストレスだから、すぐにきれいにしなければならない。いや、違う。「ならない」ではなくて、母のために猫のために反射的に「そうしてあげよう」と体が動いてしまうのだ。ケアする対象が身近にいるというのは、もう一つの別の場所に向かって体も気持ちもそちらに自然と傾いてしまう状態がつくられているということなのだと思う。

 それが急になくなって、いまはぽかんとしている。頑張ったんだから、ゆっくりしなよ。のんびり過ごしたらいいんだよ。まわりは気づかってくれるけれど、自分がどんどん薄くなっていくよう。色彩を持って存在していた自分がだんだんモノトーンになっていくよう。どんなに疲れていても、母のディサービスのしたくをする私。どんなに眠くても猫の水を交換する私。これまではもうひとりの私が私の中に棲んでいるというのか、2人の私がいっしょにいるようだった。2人の間には会話があり、疲れた方を励ましたりなぐさめたり、一方が鼓舞して頑張らせたりがあった。感情の行き来だってあったのだ。それがなくなって、私はしんと静まっている。波立たない水面がただあるだけ。この状態に慣れていくのか、物足りなくてもう一人を、もう一つの場所をつくろうとするのか、まだわからない。何とも宙ぶらりんの師走。