初恋と結婚した女(下)

イリナ・グリゴレ

その後の人生では何十回も、何百回も殴り続けられた。自分の身体がジャガイモの袋のような感覚となった。自分の母語ではこういう言い方もある。「ジャガイモの袋を殴るように。」母語以外の言葉がわからないのでこういう表現は違う言語にもあるかどうか知りたくなる。なんで誰かが袋のジャガイモを殴りたくなるのか、理由はわからなかった。ジャガイモだって殴られたいと思っていない。彼女は子供のごろからジャガイモを畑で育てていて、世話をしていて虫がたくさん付くのも知っている。アブラムシ、オオタバコガ、ナスノミハムシ、コメツキムシ、線虫がつく。特にてんとう虫騙しに気をつけないといけない。彼女は小さい時からジャガイモの葉っぱにくっ付いているてんとう虫騙しの卵を取っていた。ジャガイモの紫と白い花が咲く頃に葉っぱの裏に黄色い小さな卵がたくさんある。それを葉っぱの一部をちぎって取る。何時間もかけて。

彼女にとって結婚生活はてんとう虫騙しと同じ。てんとう虫のふりをしなければならなかった。誰も知らない。ジャガイモ掘りは楽しいのに。土を掘るといろんな形のジャガイモが出る。手で取って、土を洗って、気持ちいい。彼はフライドポテトが好きで、熱々の時たくさんのチーズをかけて、目玉焼きを乗せて食べる。彼は彼女の料理が好き。

彼が自分の身体を殴る理由もわからなかった。言葉は割れたグラスのように、殴られる時の泣き声しか世の中にはないみたいな感覚。自分はよく泣く。涙がたっぷりある。その涙と同じ量のアザが身体にできる。そして痛いと叫ぶけど風邪で耳が聞こえない時と同じ、自分の声が割れた声となる。誰にも届いてない。殺される動物はみんなこの声だと気づく。動物の方が楽かもしれない。言葉は喋らないから。自分は言葉でお願いすることは一番辛い。「殴らないでください」と「痛い」、何も悪いことしてないのに「許してください」という言葉は泣きながら言うけれど彼には聞こえていない。その時ただ酒と悪魔に取り憑かれて殴るのに。悪魔と酒は言葉が通じない。

初めて結婚式の日に殴られたときの理由を思い出した。彼女が彼の母親の前に車から降りたからだった。彼の母親が怒って彼に言った。その後あのシーンが起きた。何度でもあの日を頭で繰り返してきた。あの時、自分がもっと彼の母親に気づけばこんなことがならなかった。前から彼の母親は彼女のことが好きではなかったし、結婚に反対していたとわかっていたのに。でも自分の結婚式だったから忘れていた。花嫁ドレスにはパールが縫いつけてあることも思い出した。花嫁ドレスにパールがあると花嫁は涙を流すという言い伝えがあるのに。なんではずさなかったのか、今でもわからない。あの日のことを考えるといくつかのサインがあったのに。夏なのにとても寒かったし、家の屋根に大きな黒い鳥がいた。あれはフクロウに違いない。フクロウを見ると家族の誰かが死ぬと言われるからあまりいいサインではなかったけど結局誰も死ななかった。

自分は少しずつ死んだだけ。あの日から。一回だけ自殺もしようとした。飲めるだけ飲んだ。飲み込んだ。たくさんの睡眠薬。彼の前で、子供の前で、泣きながら、涙でびしょびしょになって。そしたら彼は病院にすぐ連れていってくれて胃袋のものをぜんぶ吐いて終わり。こんな早く終わるのか、人の自殺未遂。キッチンで洗い物して瓶が割れてその割れたガラスを集めて、新聞に包んで捨てる。自分の人生もあんな感じだと思い込んでますますいろんなことを忘れ始めた。

泣きながら、彼を待つ朝方。子供の寝息が聞こえる。白いワンピースの寝巻きは涙で濡れている。彼がアパートのドアから入った瞬間に目が合う。彼の目が赤い、酒で。ご機嫌のようだったが彼女の涙を見て機嫌が悪くなる瞬間が永遠に感じる彼女。「今夜は友人と酒を飲んで音楽家まで来ていたのに、あなたを見ると気分悪くなるのよ」と言われて殴られたことも何回あった。

20代で結婚して、子供は二人産んだ。結婚する前に子供を授かるとは決して許せないことだ。それを知っていたのに、どうしてもあの子を降ろすことが出来なかった。彼の母親にそう願ったのに。できなかった。自分はただ愛している彼と身体が一緒になって、一体化しただけなのに、一回だけなのに子供ができた。でもあの時のこともよく覚えてない。最初は彼とキスをして、手を繋いで歩いたりしていたことをなんとなく覚えている。彼はまだ学生で友達の家に連れていかれて、一緒に寝た。楽しいとか、気持ちいいとか、何も覚えてない。彼の身体が自分の身体を触る感覚は全く残ってない。彼の服は洗剤の匂いがしていたことだけ覚えている。彼の母親があのシャツを洗うと想像をして、自分も彼のシャツを洗いたいと思っただけ。

結婚してからも何回も寝たけど殴る人と寝ることは抜け殻のようにならないとできない。彼の母親は亡くなってから自分を求めることは一切なくなったけど彼女の身体は子供を作ること以外の愛情に触れていないとたまに思っている。考えてみれば男と一緒になったのも彼が最初で最後なので男の愛を肌で感じたかどうか言えないかもしれない。その後、彼はたくさんの女と一緒になって、最後に何年間も愛人がいた。想像していた、彼女たちを自分より身体で愛し、大事にしているかもしれない。想像が止まらなかった。自分を誰か触って欲しい時もあった。でも自分は叩かれるばかりの身体で、子供を産む以外何もできない。

でも、彼女は初恋の彼と結婚した。色々あったけど、もしやり直ししてもいいと神様に言われたら同じことをする。彼の子供を産んで、それで十分。そして彼はいつも彼女のところに帰ってきた。亡くなった彼の母親も、付き合った何人の愛人も彼を止めることが出来なかった。母親だって、たくさんのことをした、彼を取り戻すため。村の一番怖いジプシーの魔女に頼んで彼が私から離れるように呪いをかけた。私のパジャマと彼のパジャマに血で描いた不思議な絵が描いてあった。だから彼女を殴ること自体彼の意志ではなく、呪いのせいだと彼女は思い込んでいた。

愛人だって、殴られていたかもしれない。一度電話をかけて、彼は電話を止め忘れたから愛人との会話が聞こえた。そしたら向こうの相手に対しても彼女にかける言葉と同じ悪い言葉で、大事にしている様子は全くなかった。彼は女性に対して同じ態度を示すかもしれない。母親の呪いのせいで。どうして、自分の息子を呪われるのか?

どうして他の女性をここまで嫌うことができるのか。彼女は全くわからなかった。彼の母親が亡くなった時も彼は大きなショックを受けてしばらく実家に引きこもった。その亡き姿もとても苦しくて、何日も魂は身体から出なかった。村ではこの死に方は邪術をやった人の死に方とすぐバレた。

今になって彼女はもう殴られることはない。あの感覚をほとんど忘れている。彼は一度病気になってから呪いが解けたように彼女を殴らなくなった。大事にしていた仲間も仕事を辞めてから知らない間に遠くにいて彼の機嫌を取ることもない。たまに叫ぶ、いつもと同じお世話を焼く必要があるけど彼が望むのであればあれだけ嫌だった彼の実家に一緒に引っ越すことさえ大丈夫になってきた。あの家にはたくさんのネズミが出るし、だいぶ壊れているが自分の身体と同じように労ってきた。大掃除をして、妖術のため取ってあった義母の髪をタンスの中から見つけて燃やした。義母もあの村の一番怖い魔女も結構昔に死んでいる。花嫁姿の自分の写真と義母の花嫁姿の写真を並べてペンキが落ちた壁に飾った。