日曜日に生まれる子が神の子だ。あの子が何曜日に生まれたのか分からないが、会う前に夢で見た子だった。平地で何もないところで、世界が終わる直前に出会った。夢は白黒のサイレントムービーのようだ。ブカレストの中心部を一人で歩いていた私は、建物の壁に長い黒い影を見た。生身の人間というより、気配を感じただけだった。その影と共に歩き始めた。その時まで感じていた悲しみが消えた。愛のようなほかほかした温かみを感じた。ふんわりしたぬいぐるみを触るときの温もりのようだ。影でもいいからともに歩んでいる生き物がいるだけで救いのない世界から救われる。
当時の私は大学を卒業する前に仕事をし始めた。生活費を稼ぐためだ。とりあえず会社に就職したが、自分探しの時間と少々のお金を稼ぐためだけだった。大学に進学しても生活費を自分で稼がなければいけないのは、私も同年齢の若者と同じだった。大学を卒業しても仕事を見つけられる確率が低いので、大学の専門分野と全く関係ない分野で働く。面接の心理テストでは芸術家の傾向があると言われ、ギリギリの採用だった。山猫をケージに入れてパソコン仕事をさせられるような感覚だった。毎日オフィスにこもっていたので、身体のストレスが厳しかった。仕事はすぐ覚えたし、トラブル解決が早いと評価されたが、このまま企業のために一生働くという意識はなかった。自分というものとやっている仕事の内容には、脳が整理できないぐらいに、大きなズレがあった。資本主義は完全に間違っていると思った。先進国の企業が安い労働力を探し、ルーマニアにたどり着く。ここには私の居場所がない。21世紀初期の矛盾を完全に受け入れることできない状態だった。
仕事を終えると劇場かシネマテークに足を運んで、たくさんの演劇と映画を見た。自分の日常とのギャップが大きくて、喜びを感じるより恨みを感じることが多かった。上演後、一人で寂しくブカレストの中心部を歩いて、ホームレスの子供を遠くから観察していた。バスの中で歌を歌ってお金を集めた乞食の男の子は私のところにきて「かわいい」と言った。少し嬉しかった。ブカレストという街に馴染めない私にとって、ある類の優しさを見つけた気がする。ある日、バスに乗っていたとき、財布を盗まれて、盗んだ人に返してもらうまでお願いして泣いた。財布は返してもらった。バスの割引に使える学生証以外何もお金がなかったということもあるが、きっと私って本当にかわいそうに見えたのだろう。映画大学の受験で不合格だったモヤモヤが消えなかった。オアシスというイギリスのバンドの曲Don’t look back in angerを聞いて、希望のない毎日を送った。同じ映画大学の受験を失敗した人と偶然にコンサートで会ったとき驚いた。二人とも薬物で歯が黒くなって幽霊みたいになっていた。私は薬物に手を出すことも考えずに、ただ一人で苦しんでいたが、一歩間違えるとこうなるとわかったのだ。
毎日、行くところもなくひたすら歩くことしかできなかったが、一人狼の私でも誰かに会いたい、誰かと喋りたいと思うときがあった。早くこの街から逃げないと。シネマテークからあまり離れていない古い建物の狭い道を通ったとき、別の空間に入った。ブカレストが小さいパリと呼ばれた時期からそのままの雰囲気の建物だった。窓から窓へ違う色の洗濯物を干している風景で、貧しい人々が住んでいる地区だった。トルコ、アジアとヨーロッパの出会う場はここだと思った。ジプシーの音楽家「ラウタリ」の音楽が一階のバーから流れていて、ウォッカを立ち飲みしている男性と目があった。一瞬だったが、空気が薄くなった。この場所には何回も来た。ただあのバーにいる人たちとすれ違うだけだったが、なぜか私の好きな場所になった。全てを失った人たちの集まりの場所に見えたからかもしれない。
私も男性だったら一緒に酒を飲んでいただろう。彼らの絶望的な気分を受け継いだ気がする。一度でも人とすれ違うと、その人の細胞と交換する。私も死ぬまで強い酒を飲みたかった。いつも人が嫌いだと思っていた私は本当のところは人が好き。残りの人生を飲んでしまう選択をしたあの人が愛しかった。
私はそのころから、自分の身体と形は内面と合ってないと気づいた。一瞬、人と目を合わせるとその人になる能力を持っていた。繋がるというのか、共感するというのか、永遠にその人のイメージが私の中に残っていて、自分というものはその人だと感じてしまう。デペッシュ・モードの曲、Only when I lose myselfと同じ、自分を失う時だけ自分を見つけることができるという状況だ。だから、私は薬物はいらなかった。ブカレストの雰囲気を生きることだけで十分に自分を失っていた。
あの子と夢で出会った。壁に移った影とともに街を歩くあの夢を見た日はいつもと変わらなかった。朝に起きたら、本当に歩いたみたいに疲れていたが、いつものように街の外れにある遠いオフィス街まで、混んでいる地下鉄で通い、同じような服を着ているミドルクラスの若者と、窓のない建物に吸い込まれて、9時から5時までパソコンに向かって仕事をした。希望も夢も優しさもいらない、パソコン一つあればロボットの感覚になれる。
昼休みに隣に座っていた同僚と散歩に出る。街を外れた場所なので、アスファルトのない道もあったが、大手企業はそこで安く土地を買えたのだろう。私たちをも安く買えたものね。同僚は3歳からピアノをならい、高校まではピアニストになる夢を見ていたが、食べていけないのでここに就職したという。5時になったらすぐ帰る私たちは白い目で見られたが、地下鉄の乗り場に着くとニヤニヤ笑う。5時までしか買われてないからな。いつもと同じ地下鉄から街の中心部で降りて、シネマテークに向かう。
あの日はいつもの古い映画ではなく、現代日本映画の上映だった。友達と待ち合わせをしていたが、友達が来られなくなったので、私の隣の席が空いていた。日本の映画は人気だった。部屋は人でいっぱいになって、階段に座る人もたくさんいた。映画は始まったが私の隣の席が空いていたから、階段に座っている人に、座りませんかと声をかけた。暗かったしあまりよく見えない状態だったが空気が薄くなった。夜見ていた夢の影のような気配を感じた。階段から立つ瞬間に天井まで届いた気がして、隣に席に座った瞬間に空気は風に変わった。
映画館から出て、街の空気に触れたとき、後ろから影のような人が私に近づいて、夢と同じように、しばらく共に歩いた。何も喋れないまま、夢の続きの予感がした。落ち着いた声でなにかを言ったあの瞬間に、すでに全てが起きていたと思った。2メートルぐらいの背の高い人で、ヒゲと髪を伸ばして黒い服を着て修道院から出たばかりのような雰囲気だった。話を聞くと私と同じ年だったが、そう思えないぐらい疲れていた。遠くから見ればストリートの子供、乞食しか見えなかったが、話し始めると落ち着いた雰囲気で、私と同じ若者だとわかった。不思議な丸っこい、悲しい恋の始まりだった。このブカレストの街でも恋ができるなんて思えなかった私が不思議な優しさに囲まれた。
彼はブカレスト大学の建築科の大学生だった。私と同じ、複雑な家庭環境の中で大きくなったが、両親の離婚のその跡が深く彼の心を傷つけていた。父親は結婚後、大学に入り直して建築家になったあと、奥さんと二人の子供を残して独立し、再婚していた。建築大学に通っていたとき中学生の息子の彼を一緒に授業に連れていった。彼の才能は周りの学生と先生に気づかれて天才少年と呼ばれていた。父親といっしょに若いころから授業を受けていたせいなのか、大学生になった彼は全く学校に興味がなかった。建築関係の知識は父親を超えるレベルに至っていたが、私が会ったときの彼の心はひどく苦しんでいた。彼の静けさに驚いた。笑うところを見たことがなかった。父親の会社で建築の仕事をして、大学にほとんど行っていなかったが、天才的な才能があったので、試験は全てクリアしていた。
二人が出会ったとき、もう彼は少しずつ壊れ始めていた。私たちは捨てられた子猫のように、寒さの中でお互いの傷を触れないように、短時間だけ身体をお互いの体温で温めるような感覚だった。二人とも愛に救いを認めない世界に生まれていたが、お互いの優しさにまだ敏感だった。ブカレストという街は私たちから全てを奪うカーニバルのような街だった。何度も分かれたり、また一緒になったりして、苦しかった。彼は薬物とアルコールに手を出していた。いろんな苦しみに耐えるためだろうが、私にはそれは理解できなかった。優しく触れる事しかできなかった。
私の腫瘍が見つかったのは彼と出会って約数ヶ月後だった。突然、多量の出血を繰り返した。あのときの写真を見ると血が抜けていて、痩せていて、青白い顔をしている。死を覚悟した。この状態でも愛を感じること許されないだろう。闇の中で彼の痩せている手を触るだけで人間という状態に戻れた日々もあった。しかし、私が手術を受けた時に彼はそばに居なかった。手術後に病院に来た彼の目を見て、初めて愛とはある種の共感だとわかった。不思議な事に次は彼の脳腫瘍が見つかった。こうして二人はもっと深いところでつながっていた。彼の母親は私のせいだと言った。私から腫瘍が彼に移ったと酷く差別された。それがほんとうなら、私はそこまで彼に愛されたことになる。身体の細胞が交換されるぐらいの愛があるのか。でも違う。酷く痛んでいる二人の身体は、私たちはチェルノブイリの子供だったからだ。