仙台ネイティブのつぶやき(64)ホヤは夏の味

西大立目祥子

気温が30度近くになると、無性に食べたくなるものがある。「ホヤ」だ。
ジューシーで、ほんのり苦味があり、甘味と旨味も乗り、ぷりぷりした独特の食感。口に放り込むと、一瞬暑さが遠のいて涼しい風が吹いてくるようだ。口の中にこの味が残っているうちに、水を飲むと不思議。甘いのだ。

もちろん、丸ごと買ってきてじぶんでさばく。固いごわごわした殻を裂くと中からマンゴーみたいな鮮やかなオレンジ色の身があらわれて、ああ、夏の色だと思う。とはいっても、東北の太平洋側に暮らしているならともかく、丸ごとのホヤにはあまりお目にかかれないものなのかもしれない。以前、東京の人たちを数人、三陸の気仙沼に案内したとき、「さばいたのを食べたことはことがあるけど、丸のままというのは見たことがなかった」と聞かされた。鮮度が落ちるのは早いから、水揚げされたあと、さばいてすぐ冷凍したものが首都圏に運ばれているのかもしれない。

「海のパイナップル」といわれたりするあの形状を、見たことのない人に説明するにはどう表現したらいいのだろう。手のひらに乗るくらいの大きさで、たしかにパイナップルのような形で、表面はぼこぼこしていて、色は赤味の強いオレンジ色。まぁ、かなりグロテスク。
この得体の知れない見た目もあってか、ホヤくらい好き嫌いいがはっきりと分かれるものはない。「暑くなると、ホヤが食べたくなる」といったときの反応。好きな人なら間髪入れずに「私も!」と返ってきて、そのあとは目を輝かせてのホヤ談義。一方、嫌いな人は「ホヤはダメ〜」と顔をしかめたり、首を横に振ったり、身体表現で拒絶してくる。
先だって、しばらく疎遠になっていた高校時代の友人と久しぶりにゆっくりと話をする機会があって、ホヤの話で盛り上がり、空白の時間が埋まるような気がした。好き嫌いが鮮明なだけに、好きというだけで関係は縮まるというわけだ。

海辺に育ったからとか、子どもの頃から食べていたからとか。ホヤ好きに、育った環境が関与していると必ずしも言い切ることはできない。というのも、私にとって、ホヤは30代に三陸は気仙沼唐桑のまちづくりにかかわるようになって、地元の人に教えられた味だからだ。5年間手伝いに通った浜のお祭りでは、決まってどんぶり一杯のホヤがドンとテーブルに並んだ。「ほら、ホヤだ。夏はホヤなのっさ。ホヤ食べてすぐにビール飲むと、ビールがうまいんだよなぁ」とみんながいった。そして、私がホヤを口に入れ、ビールを飲んで「うまい!」というのを待ち構えているのだった。

そうか。振り返れば、子どもの頃、魚屋の店先で私の目を釘付けにしたのはホヤだったのだ、と思いあたった。子どもの目に、明らかに魚屋に似つかわしくないものとして写ったのが、バットにいっぱい盛られたホヤ。そして、四角い鯨肉のブロック。その形状からどう見ても、それが魚の仲間とは思えなかったわけである。ホヤは三陸の浜から、そして鯨は宮城の捕鯨基地、鮎川から水揚げされたものだったのだろう。鯨の方は給食に出てくる固い鯨の竜田揚げで味は知っていたものの、直方体の塊とは結びつけられなかった。そして、母が決して買うことのない丸っこいヘンな格好のものを、ときどき魚屋のおばさんと嬉々として話しながら買っていく人がいることも奇異に思えた。めぐりめぐって私の前に現れたホヤよ。

浜の人といっしょに台所に立ったわけではないのだけれど、いつしかみようみまねで、さばき方も覚え、どれがうまいか見立てもできるようになった。丸々として黄色っぽく透明感があるのがよい。鮮度が落ちるとしぼんで赤黒くなっていく。これは、気仙沼で1年間高校教員をしていた友人の、近所の人からおすそわけしてもらった透明なホヤを「腐っている」と思い込んで捨てたという失敗談に教えられた。
そして、さばき方。まずは頭に突き出た2つの角を観察する。なんとおもしろいことに角のてっぺんには「+」と「−」と刻みが入っているのだ。「+」は口で、「−」は排泄口。まずは「+」側を切り落として中の水を器に取る。次に「−」側を落とし、さらに根の部分を切り落とす。あとは殻と身を裂き、殻から本体を引き剥がしたあと、身を開いて親指の先ほどの黒い部分(肝臓)と、黒い筋のように見えるフンを洗い落として、食べやすい大きさに切っておしまい。でもここまでの間に、がまんがしきれず、半分くらいは食べてしまう。落とした根の部分にわずかに残る身をほじくって食べるのも、ホヤ好きの楽しみ。この話をすると、「あ、それ私もやってる、おいしいんだよねえ」と話す友人は少なくない。

というわけで、私のホヤは、料理とはいえない段階にとどまっている。さばいて、口に放りり込むだけだもの。それが先日、長年料理教室を開いてきた80代のH先生のお宅でごちそうになったホヤの一品には感服してしまった。金の縁どりの四角いガラスの鉢の底に盛られたオレンジ色のホヤ、その向こうには千切りの繊細なミョウガとキュウリが添えられ、ほんのりとした甘酢がかけられている。ああ、美しい。上等な衣装を身にまとったかのようなホヤよ。ひと夏に一度か二度は、こんなふうなよそ行きの姿で味わってあげないと、かわいそうだね。

私が三陸地方にかかわるようになった30年前は、まだ浜に天然のホヤを採る名人がいた。唐桑には、5メートルも6メートルもあるような竹竿の先に鈎をつけ、箱メガネで海底を見ながら見事な手さばきで岩場のホヤを釣り上げる三上さんというおじいさんがいた。
もういまでは名人もいなくなり、ほとんどが養殖で育つ。ホヤは、出荷されるまでに3年から4年を要する。筏に吊り下げられたロープに牡蠣殻などをつけ、そこに付着したホヤを水深、水温、海流に注意を払いながら育て上げる。台風、高潮、津波…そのたびの被害と復旧の苦労は、浜の友人たちからずいぶん聞かされてきた。東日本大震災の被害は復旧したかに見えていまも続いている。福島原発の事故が起こったために、韓国への輸出がストップしたままなのだ。韓国ではホヤはキムチの材料として重宝され、震災前は実に生産量の8割が輸出されていたという。宮城は国内最大の生産量というから打撃は大きい。浜にホヤがだぶつき、値が下がり、それは生産者の暮らしに跳ね返る。2016年から2018年までの3年間は、生産が過剰となり、水揚げされたホヤは焼却して大量に捨てられた。ホヤ好きを増やして、生産者を支えようと、宮城や岩手ではファンクラブをつくったり、首都圏に売り込んだり、いろいろな試みが行われている。
生産地のそばに暮らすということは、鮮度のいいおいしいものを味わえる一方で、こうした身近なつくり手の現実を知ることでもある。食べ物が捨てられるという現実はあまりにもつらい。食べることは支えることにつながる。この夏も暑い。食べよう。ホヤご飯もおいしいよ。