聖なる骨

イリナ・グリゴレ

ここはルーマニア。救いのない地方の町にいる。急に激しい雨が降り出してきた。バス停に避難した。シャオルマを食べている二人の高校生はバス停の小さなベンチの席を譲ってくれた。一言も言わず、目も合わせなかったのに、この狭い場所を雨の中で分かち合う身体同士の当たり前のような優しさ。二人は急にバス停から消え、ベンチの一番奥に座っていた80歳くらいのおじいさんは、ステッキを握りながらひさしぶりに会話できるチャンスをステッキのグリップを握るのと同じ感覚で捕まえた顔をする。高校生たちが雨の中に消えた時も、おじいさんさんの白くて血の気が引いた顔を見た瞬間も、ここは誰も知らない舞台だと思った。雨が強く降っているにもかかわらず、身体に当たる雨粒がない静けさに驚く。雨の中をドライブしていてトンネルに入った途端に雨を感じない違和感と同じ。

バス停という舞台から降りた若者の存在と触れるのはこの一瞬だけ。奥に座っているおじいさんも。ただこの一瞬に同じバス停の空間を分かち合い、そして二度と会えない。でも本当に会いたい人にはこの瞬間に同じバス停でなぜ会えないのか不思議に思える。遠くにいる人、もうこの世にいない人。いくら待ってもバスが来ないのも不思議。雨は止んだのにもう歩けない。待つしかない。ここまで待つのであれば。時間の感覚鈍い。「2時間たっているのではないか」と長女がいう。「そんなことない」とあまり自信ない声で答える私。このバスの主、あるいは神様はこのおじいさんだろう、ずっと私たちの方を見て、誰が先に話すのかゲームをしているみたい。私たちが2時間ここにいるのであれば、この老人はいつからいるのか誰にも測れない。測れるものではない。こういう時間とは。時計が壊れている間と雨が降っている間は時間が測れないということを、私は子供の頃から知っている。このバス停にいるのも苦しくなったので、一緒についてきた母に目で助けを求める。母はバス停の主に話しかける。すると、バスは来ないことが明らかになる。違うバス停へ移動しないといけない。次女はバス停の壁に書いてあった文字をずっと読もうとしていたが、飽きて諦めた顔で静かに私たちの後ろを走ってついてくる。

二番目のバス停は透明のガラスが張ってあって、壊れているが電子パネルの表示もあった。バス停には私たちつまり私、母、娘たちしかいなかった。ガラスの向こうでは、団地の前のベンチに喪服を着ている女性が携帯電話で話していた。激しい雨がまた降り出し、アスファルトの上に水ぶくれのような泡がたくさんできる。水ぶくれという言葉が好きだ。この場所にピッタリだから。自分の身体にアレルギー反応を起こすような場所に再び帰ってきたのだ。地面の皮膚にも水ぶくれができるような場所。地面の口から泡が出るような場所。雨が降って汚い匂いのする場所。ガラス越しに喪服の女性を観察し始める。最近彼女の家族のだれかが亡くなったような、全身を覆う黒服に黒のスカーフを頭に巻いている。髪の毛は真っ白だけれど年齢はきっと見た目よりずっと若いと思う。夫を亡くしたような雰囲気を感じるが、雨と行きかう車の音にかき消され、話している内容が聞こえない。彼女もバスを待っているのだろう。雨が強くなったから同じバス停の中にやってきた。彼女はどこからどこへ行くのか知りたくて仕方なくなった。昔からこんな風に知らない人の人生に興味があった。バスは来ないから娘たちはバス停の屋根から落ちる雨水を、舌を突き出して飲んでいる。いくらやめなさいと言ってもやめない。私も田舎でこうしていた。雨水は甘くて美味しい。田舎では大きなバケツに雨水をためておいて髪の毛を洗ったり、洗濯に使ったり。空から降る水は良い水だという感覚が強かった。雪もよく食べていた。食べたくなる。雨も雪も。「汚染されているからやめなさい」と娘たちに繰り返す自分の声に自分でも納得しない。どうせ昔も今もこの地球の全ては人間によってずっと汚染されてきた。バスが来た。バスというよりミニバンだ。バスに乗りこむと、車内の乗客たちは教会の地獄絵に描かれているような顔をしているので怖くなった。「このバスじゃないのでは?」と母に言いたかったけど黙って乗った。

病院の救急外来を受けるため停留所二つ分の区間乗った。娘は公園で転んで「手を骨折した」と言い、病院に連れていくように私に強くせがんだ。怪我をした時、医療を受けることはいいことだと思って連れてきたが、私はこの土地の病院の暗い雰囲気をよく知っている。だが思ったよりマシだった。待合室に入ると受付のお姉さんはほかの病院と同じように怖いが、不親切に対応したら私もおとなしくしないと通じたようで、最後には優しくなった。娘はルーマニアの保険証も身分証明証もないのに診てもらうことになった。娘の一言に驚いた。そういえば、この病院は去年かかったバヌアツの病院と同じだ。バヌアツのフィールドワークでは次女が三日間40度の熱を出し、マラリアではないかと怖くなって現地の人がやってくる病院の夜間救急に行った。雰囲気はよく似ている。どこの公立病院もこういう雰囲気か。今回はレントゲンとエコーを撮ったにもかかわらず無料だった。自分の中では医療人類学という分野に大きな魅了を感じながらどっちかという宗教人類学の方に行く。なぜだ。

今回のルーマニアの旅も、テープを逆回しするようで、昔何度も見たEnigmaの『Return to Innocence』M Vを思い出す。私の中で祖父母の人生と同じような人生のイメージと重なる。人生の巻き戻し、いつでもできたらなんていいだろう。土、骨、皮膚、おまじない。エコー検査で娘は骨折していないことがわかる。レントゲンを怖がる娘にただの写真だと納得させるため、練習だよといって放射線技師が自分のスマホを取り出して娘にカメラを向けた。私は受付にも医師にも看護師にも「マミ(お母さん)」と呼ばれた。自分に向けて初めて聞く呼びかけにも惑わない。「マミは今妊娠していない?授乳はしていない?それじゃ一緒に部屋に入って撮ろうか?」怖がる娘を安心させるため一緒にレントゲンを撮った。病院と長い付き合いの身として、驚くほど病院にいるときは何も感じない。人生の流れに全く従わない私が、病院だけは何でも従ってしまう。従うというより、実験台になるのが嫌いではない。見たいから。機械と身体の関係を。自分の身体の反応を観察したいし、医療について考え続けることは、この世紀では最大のテーマの一つだという感じがする。

今回のルーマニアの旅ではもう一つの「気になるテーマ」が出来上がってきた。そう、私にとってもう全ての旅はフィールドワークなのだ。ルーマニアの聖人信仰。サブテーマは前から関心のあった女性の聖人と暴力。聖なる身体つまり聖遺物はしばしばバラバラに分割され、できるだけ多くの信徒のために数多くの教会に遺され、初期キリスト教会の誕生以降数々の現象を呼び起こしてきたこと。この旅で不快なことがたくさんあっても、私自身も巡礼者となった感覚で聖遺物について調べ、実際行ってみて、見て、聞いて、触って自分の身体で確かめ、触れて。土、骨、皮膚、おまじない。祖母が亡くなってから私の中にはずっと理想の女性像を探している自分がいるために聖女にたどり着いたのだろうか。ルーマニアに帰って一番先に行きたい場所は祖父母の家だ。今は親戚同士の相続争いで誰も住んでないからボロボロだ。娘と敷地の門から入って誰も食べない木からそのまま落ちている果実を見てしあわせな気分になった。そしてボロボロになった家に入る瞬間、家の中から焼き立てのパンの強い香りがした。祖母が生きていた時と同じ。この場所が好き。地面に落ちて腐り始めた果実からパンを焼く酵母が取れる。だから昔と同じ焼き立てのパンの香りに安心した。そう、先日見たのは、祖母が鶏のスープを作ってこの家で私たち孫に食べさせる夢だった。

黒海からの帰り道、聖女マリナと出会った。そこはルーマニアの東、ドブロジャ地方。ドナウ・デルタを含むドナウ川下流域から黒海にかけての一帯を指す。葡萄畑と黄色い土が広がる大地に不思議な魅力を感じる。古代ギリシャ文化やローマ帝国の一部でもあった歴史を黄色い埃から肌に吸い取る。古代都市ヒストリアとワイナリーをめぐるツアーがキャンセルになって悲しかったので、せめてもと帰りに先住民でルーマニア民族の先祖でもあるゲタエあるいはダキアににらみを利かせたローマ帝国の都市も見ようとした。だが、その日は気温が40℃にまで上がり、幼い子連れの私は両親に反対されて諦めた。それでたどり着いたのは同じ地域の初期キリスト教の教会、十二使徒の聖アンデレの洞窟だった。キリスト教の初期はローマ帝国の暴力と結びついていて興味がある。当時の信徒は洞窟に教会を作り、人目に隠れて聖体礼儀を執り行っていた。祈りの場を岩に削るという雰囲気が好きなのだ。差別、虐殺、拷問など暴力に向き合って全うした人たちは列聖され、大勢の救いを助ける身となる。聖アンデレは、ドブロジャ地方、当時の名前でいうと小スキュティアまで布教に訪れ、この洞窟にしばらく暮らしたと伝えられる。初めて見る初期教会は歴史的な知的興味の方が感動より大きかったが、洞窟の隣に建っている新しい教会で初めて見た聖マリナのイコンには本当に感動した。こんな図像は初めてだ。悪魔の姿はよく教会の地獄絵に描かれるが、教会の入り口で聖人と共に描かれるのは見たことがない。彼女は容姿端麗で、落ち着いた姿勢を取り、右手に霊力の証である槌を、左手には退治されて諦め顔の悪魔をツノで掴んで立っている。このイコンが家父長制についての表象だと感じたのは私だけかもしれないが。