9月1日、音楽紙芝居「アリババと40人の盗賊」をさいたま市で上演する予定だった。しかし、サンサンとなづけられた台風10号の接近を危惧して中止するという判断が下された。実は、パソコンのハードディスクが壊れてしまい、かなりの部分を作りなおした。特にパレスチナの現状が悲しくて、こんなことをしている場合なのだろうかという悶々とした気持ちも込めて作り直したので、皆さんに見てほしかった。しかも10月からは新作「古代漂流、ギルガメシュの夜」が始まるので最後のアリババ公演になるはずだったから、残念でならない。そこでせめて見どころだけでもここで紹介しておこう。
アリババと40人の盗賊は、中世のバグダードが舞台となっているが、この仕事をもらった時に、真っ先に、2003年のイラク戦争の時の掠奪を思い出した。サダム政権が崩壊し米軍が占領すると、町中で掠奪が横行し、ならず者から、ただの貧しい人達も加わって政府の施設や病院などから、とれるものすべてを持ち去った。部屋は空っぽで、それどころか、電灯のスイッチや、コンセント、電線までもが盗まれた。略奪を働く者のことを、なぜかアリババと呼んでいた。物語では、アリババは、善玉のように描かれているが、よく読めば、アリババは盗賊が盗んだ財宝を横取りするわけだから、彼もまた盗賊なのだ。「アリババと40人の盗賊」は盗賊同士の戦いの物語でもあるのだ。
この紙芝居を作ったときは、まだ今回のガザ戦争が始まる前だったのだが、主人公のアリババは、パレスチナ連帯の白黒のカフィーヤを巻いていた。これは、アリババ自身がパレスチナ人ではないのだけど、少なくても連帯の意思を表している。一方の盗賊団は、「恐怖」を強調するために「イスラム国」のイメージで作りこんだ。盗賊の頭にアリババの兄や、役に立たない手下が首をはねられるシーンは、ふつうは絵本などは文字だけになっているが、あえて書き込んだ。実際に「イスラム国」から逃げてきたヤジディ教徒の女の子が描いた絵も使っている。こういった設定は、何か主張があるのではなく、作画のモチベーションを高めるためのもので、物語とは直接関係なく、観客にはどっちでもいいことだ。僕が20年間見てきたイラクでの体験が絵の中に盛り込まれていることには違いない。
物語はほぼ古典的な話の通りに展開する。貧しいアリババは、盗賊の洞窟を見つけ、盗んだパスワードで、洞窟に入り込み、そこにあった財宝を盗んでしまう。兄のカーシムは、アリババから洞窟のことを聞き出し、財宝を盗みに行くがパスワードを忘れて洞窟から出られなくなったところに盗賊が現れパラパラに切り刻まれて殺されてしまった。
盗賊たちは、アリババを見つけだして財宝を奪い返そうとするが、女奴隷のモルジアーナが、かめに隠れている盗賊たちに気が付き、煮えたぎった油を注いで殺してしまう。アリババはすっかりモルジアーナを気に入っていまい、二人は恋に落ちる。盗賊の頭が、コーヒー商人を装い、一人で復讐にやってくると、ここでもモルジアーナが気づき、盗賊の頭を刺し殺してしまう。アリババは、モルジアーナを褒めたたえ、思わず、「愛している」と言ってしまい浮気がばれてしまう。アリババは、ばつが悪くなって、リンカーン大統領の真似をして奴隷解放宣言を叫び、モルジアーナを奴隷の身分から解放する。みんなが、「フリーダム!」と叫ぶ。しかし、妻の目線は冷たいままである。アリババは、パレスチナの伝統的な踊りを踊って、妻の機嫌を取る。
アラブ音楽のエキゾチックな世界に、ヤッチ(ギター)、荻野仁子(ウード)のテンポのいいコントがところどころ挿入されていて、喜劇として仕上げてあるが、僕自身のパレスチナへの思いを入れ込みたいと思い、背景の中にも岩のドームや、分離壁などを書き込んだ。パレスチナの子どもの絵も使った。
いったん物語が終わった後には、子どもたちの絵を使ってイラクとパレスチナの現状を紹介して、最後は、パレスチナ民謡に合わせてダンスを踊るシーンで盛り上げた。昨年、20年以上も前に14歳の少女メルナが描いたダンスを踊るこどもたちの原画が出てきて、あまりにもかわいらしいので、いろいろなところで登場している。彼女とも連絡が取れて今では3児の母になっていて彼女の子どもにも絵を描いてもらい、親子でダンスするという仕掛けを作った。
なぜ僕がこんなことをするのだろうかと考えてみると、まず僕がパレスチナの子どもの絵を見て感動し、パレスチナの子どもたちの絵を舞台にあげて、それを見て感動する日本人がいて、感動している日本人を見て、パレスチナの人々が元気になってほしいという連鎖なのだと思う。憎しみの連鎖とは違うやつ。
それにしても台風が憎い。
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