白神山地で採れたアミタケの塩漬けを味噌汁に入れた日、太平洋の向こうではロバータ・フラックが亡くなった。中学校3年生の時、ルーマニアの独特なヒップポップは若者の間に人気となって、私もハマって、へそ出しの白いトップにサイズ3つ上のジーンズを穿いてMTVのMVを毎日欠かさず視ていた。中でもフージーズというバンドが一番好きだった。ルーマニアのあの寂しい団地で、彼らの曲が流れているだけで自分の身体はクラゲのような状態に変わり、自由を感じた。フージーズの「キリング・ミー・ソフトリー」と「Ready or not」の歌詞を全部覚えた。ヒップポップはほぼ詩なので、私の英語の習得はそこから始まった。
「キリング・ミー・ソフトリー」が実はロバータ・フラックのカバーソングだと知ったのはもっとあと。でもそれも間違いで、最初にこの歌を歌ったのはロリ・リーバーマンという歌手だ。それが1972年で、しかしヒットしなかった。その一年後、ロバータ・フラックがカバーしたことで大ヒットした。その後、1996年にもう一度ヒットする。フージーズとローリン・ヒルのおかげで。ちなみにフージーズという名前は英語refugees(難民)から。彼らはしばしばハイチ語でラップし、レゲエ、オルタナティブヒップポップ、ジャズ、ソウルなどをミックスして、難民としての政治的メッセージたっぷりの、ユニークな音楽を作ってきた。なかでも彼らの価値を世界に広げたのが「キリング・ミー・ソフトリー」だった。
この歌が白人のロリ・リーバーマンではヒットしなかった理由は、今にしてなんとなく分かる。彼女はギターを弾きながらフォークソングのように歌っていて、それに印象が薄い。これがロバータ・フラックとかフージーズのローリン・ヒルの声だと身体がプルプルになって溶けそうになる。同じ歌、同じ言葉なのに、何かが違う。それは200人中の一人のような違い。人間は同じにみえても同じではない。特に難民、移民、人種としての生き方が違うとき、その背景はみんな違う。クラゲでさえ200桶も中では一桶、一桶違う。ただの一桶ではない。広い青い海中の大事な一桶のクラゲ。そのクラゲいなかったら海は生態バランスを崩してしまい、命あるものは命を失う。この歌を大ヒットさせた歌手たちもそうだった。ただの歌、ただの歌手ではない。この歌に立場の弱い人が支えられたから。
クラゲは水母と海月とも書く。日本語ではなぜこの歌が「優しく歌って」と訳されたのか? こんなことを考えながら味噌汁からアミタケ二つを取り出して、じっくりと観察するために透明なガラス皿に置いた。昨年、犬の散歩をしたら、近所の家の前に「ご自由に」と貼紙して置いてあった食器セットの皿。昭和の食器。鮮やかな寒天など夏のデザートを盛り付けるような皿。そのような皿にこんな醜い山奥の塩漬けキノコを載せるなんて誰も想像もしないではないか。でもなんだか2月の自然の厳しい青森に合う。芸術作品のようだ。魯山人が見たら喜びそう。
この茶色いキノコは水母にしかみえない。冷蔵庫から出してビニール袋をハサミで切った瞬間、ボールにネバネバした茶色生き物が生まれたようなイメージだった。匂いも酸っぱい、腐ったものの匂いだった。水で流しながら手で触ると、プルプル感からルーマニアの田舎で殺したばかりの豚の肝臓を触った思い出が蘇る。でもこっちには生き物の肝臓が器官特有の血が通ったような温かさはない。水母には心臓も脳もない。最低限の器官は消化器官と生殖器官だけのシンプルな生きものだ。
これから食べるものだとは信じ難い、気持ち悪い。それでも長くフィールドにいた私の身体は何も疑わず冷静な動作で味噌汁の鍋に入れた。家中に腐った、酸っぱい匂いが広がる。一瞬、毒キノコだったりして、と考えるけど、考えるのやめる。この物体を食べ物として、キノコとして受け止める。自分が強いと褒めたくなる。この山のキノコと同じ。ここまでこの土地によく親しんだ証拠。親しむのも食べ物から。透明な皿にのせたからか、醜いのに美しく見えた。可愛く見えた。
鍋から取り出した二つのキノコは大きくて、入れる前と全く同じ形とネバネバ感。アミタケの裏面にはスポンジのような細かい穴があり、網にそっくり。この網に魚のように掴まったのは私。私が食はべるのではなく、アミタケに食べられる。窓まで積もった外の雪を見て、お箸でアミタケを口に運ぶ動作をする。お箸から滑る。次の瞬間、透明の皿から吸い込む。水餃子のように。思ったより、想像したより柔らかい。口の中に食べたことのない茶色いねばねばしたものが入っているが、そんな悪くないし誠に美味しい。強い土の味、森の味、木の味がする。味が聞こえるものだったら、このキノコの味が優しく歌われる歌のようだ。
アミタケを飲み込んだあと、大事なことを思い出した。その日の午前中は不思議な出会いがあった。車で走っていると、人の背より高く積もった雪の白い道の横にちょこちょこ歩いていたおばあちゃんがいた。歩道ではなく車が走る道路の横に。私も後ろからゆっくり通り過ぎて一瞬しか見てないが、その170歳以上のおばあちゃんは右手に小さな松の木を抱いてちょこちょこ歩いている。横顔はニコニコしてほっぺたがピンク色、幸せそうな顔だった。顔というより、お面だ。能にでも出てきそうなイメージ。小さな松の木を持って。こんな人は初めてみた。この話を知り合いにしたら、それは人ではなく、「新年の神様」だと言われた。松と老人。節分から時間が経っているが今は帰っていた。いいものをみたと言われた。
最近、人とは何か、キノコとは何か、人はどこからどこまでヒト、なんでヒトデではないのかとこれまで以上に深く考えるようになった。200人中の一人は本当に人間なのか、それともキノコ200個のなか、1個は本当にキノコなのか。それは出会った瞬間にわかるはず。出会った瞬間は身体がプルプルになる。クラゲのように、器官はあまりなくシンプルな生き物になる。