『アフリカ』を続けて(14)

下窪俊哉

 先月は2年半ぶりに故郷・鹿児島に帰省してきた。前回帰った時、ちょうど横浜の港に新型ウイルスをつれたあの客船が着いて大騒ぎになっていたので、コロナ禍に突入する直前だった。いろんな形の鍵を並べた表紙の『アフリカ』vol.30(2020年2月号)を入稿した直後でもあった。そんなふうに『アフリカ』を思い出すこともある。

『アフリカ』の何年何月号というのは発行年月なので、多くはその少し前か、さらに前に書かれたものということになる。2020年2月号を見てみると、冒頭で柴田大輔さんが牛久の「農業ヘルパー」制度と、彼の通う畑のすぐ先にある「東日本入国管理センター」のことを書いている。
 田島凪さんの文章にも入管の話は出てきて、そこには実際に難民となった人たちとの交流がある。語り手は入院していて、病室で一緒になった人たちに(勝手に)名前をつけて呼びかけたり、見知らぬ人の日常に想いを馳せたりもする。
 犬飼愛生さんは「秋の日、突如として現代に現れる大正ロマン」と始まる二葉館をモデルにした詩を書いている。
 芦原陽子さんは2019年後半の日めくりエッセイのベストセレクションを寄せているし、中村茜さんの「フェスティバルと混乱」も秋の出来事を書いている。いまとなってはコロナ禍直前の、いわば嵐の前の静けさをそこに読んでしまう(「混乱」があってもその中に静を感じるというか)。
 静けさといえば、鍋倉僚介さんの小説「おとずれ」は「静か」な中に聴こえてくる音が印象的だった。
 髙城青さん恒例のエッセイ漫画では、猫と暮らし始めた話の続きを書いて(描いて)いるが、ストーブの前に猫が”落ちて”いるというシーンに始まるので、これは冬だ。
 犬飼さんが連載していたエッセイ「キレイなオバサン、普通のオバサン」はこの時、自身の「作家/宣材写真」を撮るのにカメラマンと共に森の中の”とっておきの場所”にゆき、オオスズメバチと遭遇してしまう(秋ですね)。
 ついでに自分も書いていて、それは「吃る街」という10年くらい前まで書いていた小説の続きだ。書かれている季節は冬だけれど、いちおう2005年頃を舞台に書いているつもりなので、直近の話ではない。コロナ禍になる前から、書く人としての自分の関心は過去に向かい出していた?
 そして編集後記を見ると、再開した文章教室に触れて「自分から外に出て、場をひらいていなければ、他者と出会うことはできない」なんて書いている。

 2019年は思うところあり、それまでやっていたワークショップを休んで「外に出て」ゆくのを少なくして、『アフリカ』のマイナーチェンジをはかり、あとはとにかく日々の仕事をこなしつつ毎日書いて、自分のリハビリに費やした(たまにそういう時期が必要になる)。それでいよいよ2020年は「外に出て」ゆく年にしようと思っていたのだが、ちょうどそのタイミングでコロナ騒動が始まったのだった。

 私はどちらかというと、ひとりでいるのが好きな人のようだ。あまり人と会いすぎていると、元気をもらうより吸い取られてしまう。たまに、本当に会いたいと思う人に会いにゆくというのは、いいものだけれど。そこでコロナ禍が始まったことにより私は、無理をして出てゆくなと言われた気がした。とはいえ、出て行ったり、引っ込んだり、両方必要で自分なりにバランスをとろうとしているんだろう。
 考えてみれば『アフリカ』も人前に出てゆくように始めた雑誌ではなく、むしろ人に背を向けて離れてゆくようにして始めた雑誌だった。でも、悪くないんじゃない? と、それに付き合ってくれる人たちがいたのだからありがたいことだ。つくっている自分にはふてくされたような気分もなかったとは言えないが、面白いふてくされ方もあるもんだ。人に背を向けて出て行った先にはまた人との出会いがある。そのまま続けていたらどちらが背でどちらが腹だったのか、背を向けているのはどちらなのかわからなくなってくる。

 さて、表紙にカマキリがいる最新号(vol.33/2022年2月号)を出してから、もう半年がたとうとしている。
 1冊仕上げると、そこにはある種の断絶が生まれる。仕上げないうちには持続している感じがあるけれど、仕上げるといったん終わったという感じが嫌でもするのである。
 次号には、何がどうつながる? そんなことはわからない。前回と今回、今回と次回は別のものだ。それを『アフリカ』という同じ名前で、同じ雑誌としてやっている。
 始めた頃には「1回、1回のセッションがあるだけで、続いているのではない」などと言っていた。しかし16年、33冊も続けていると、何か次をやらなければという気持ちも芽生えてくる。だからこそ再び「1回、1回のセッションがあるだけ」という自らのことばを思い出さなければ。続けなければならないということはない。いつ止めてもいい。
 そんなことをぶつぶつ言っていたら、「『アフリカ』は編集人がつくりたくなった時につくればいいよ」と話してくれる方あり、励ましと慰めが混ざったような声として受け止めたが、ちょっと待って、この編集人はつくりたくなった時に『アフリカ』をつくっているんだろうか?
 だとしたら、いつ、どんな時につくりたくなるかを研究すれば、続けられそうだ。
 しかし自分はいつでもつくりたいし、いつでもつくりたくない。つくりたくなる時を待っていても、そんなことが明解にわかる時は永遠に来ないかもしれない。いや、気づいたらつくり始めていたなんていうことも稀にあるのかもしれないが、それを待っていたら『アフリカ』という営みは続かないだろう。
『アフリカ』はつくっていない時でも毎日続いていて、どこにいても存在しているような気がしているのだった。そこに私は”場”というものを生々しく感じる。