『アフリカ』を続けて(2)

下窪俊哉

「どうして『アフリカ』なんですか?」という質問には、慣れている。口ごもって、「あのアフリカとはあまり関係がないんですが…」と返すのも、いまではすっかりお家芸のようになった。
 というのも、自分のつくっているその雑誌が、どうして『アフリカ』という名前なのか、自分でもよくわかっていないのだ。

 当初は、ある漢字二文字の名前にする予定だった。その新しい雑誌をつくる計画を友人に話したら、「絶対に『アフリカ』の方がいい!」と強く言われたのだった。
 彼はその頃、『初日』という手づくりの雑誌をやっていて、私もそこに少しだけ書かせてもらっていたのだが、「執筆者紹介も自分で書いてほしい」と言われたので、冗談で「嘘が入っていてもいいですか?」と聞いたら、「OK」とのこと。それでは、と、ありもしない作品名と雑誌名が入った短い(自己)紹介文を書いた。その中に、なぜか『アフリカ』があった。彼はそれを覚えていて、「『アフリカ』がいいですよ!」と言ったのだ。
 それを聞いて、私は少し迷いつつ、どうしてアフリカなのかよくわからないけど、続けるつもりのない雑誌だし、まあいいか、と思った。
 いま思えば、それが運命の分かれ道だったような気もする。
 最初の号を出した後、知り合いの文学者から「この雑誌が、どうして『アフリカ』なんだ?」と怒ったように言われたことがあった。ふざけていると思われたのかもしれない。たしかに、ふざけていた。いや、大真面目だったよ、という気もする。よくわからない。
 新しい雑誌をつくった、と言っても、売っている場所はないし(推価=推定価格のついた雑誌で売る気もない)、その時はまだインターネットでの情報発信も全くやっておらず、知り合いに配るくらいしか読んでもらう手段はなかった。しかし意外なところで反応があった。私が当時、通っていた近所の立ち飲み屋で、親しくなったマスターに渡したら読んでくれて、「おもしろいね」という話になり、常連さんが買って読んでくれたりもした。中には、誌代のかわりに生ビールをおごってくれる方もいて、生ビールはたしか360円だった(当時の『アフリカ』は推価300円)。
 その店があったのは京都市の西院というところで、近くに京都外国語大学がある。買ってくれた方の中には、外大の先生もいたような気がする。でも、そこで会う常連さんたちのひとりひとりがどういう人なのかということは、ほとんど知らず、そこだけの関係だった。私は一番若い方なのになぜか「先輩」と呼ばれていて、「社長」さんはたくさんいるのに、「先輩」はたぶん自分だけだった。そんな中で、『アフリカ』はまず、少しだけ読まれた。
 そこで、「どうして『アフリカ』なんですか?」と聞かれたかどうかは、覚えていない。きっと聞かれたのだろう。でも、何と言えばいいか、その雑誌はその時すでに『アフリカ』になっていた。
 考えてみれば、その雑誌の名前が『アフリカ』であることにはたいした意味がないし、そうやって生まれた『アフリカ』というメディアには、大仰な意義のようなものがない。しかし、その『アフリカ』という名前の雑誌に惹かれて来て、読んだり、書いたりする人は相変わらずいるのである。

 アフリカといえば、アフリカの各地の音楽にはすごく興味があったが、文芸作品となるとほとんど知らなかった。思い出すのは当時、天神橋筋の古本屋で見つけて買った岩波新書の『現代アフリカの文学』だ。南アフリカの作家ナディン・ゴーディマが書いた『The Black Interpreters』という本の、土屋哲さんによる翻訳で、英語によって書かれたアフリカの(1970年代前半の時点での)現代文学と、「南アフリカの新しい黒人の詩」について書かれていた。
 その冒頭、「アフリカ文学とは何か?」と書き出される。一方で、当時それを読む私の中には「日本文学とは何か?」という問いが浮かんでいた。それまでの自分には、日本語で書かれた文学が「日本文学」だ、と思っているところがあった。しかし、「アフリカ文学とは何か?」という問いに、「アフリカ語で書かれたものだ」と簡単には答えられない。植民地時代にアフリカに入ってきた言語(英語、フランス語など)で書かれた文学がたくさんあり、しかもアフリカと言っても広い、文字のある・なしに限らず言語も無数にあるだろう、「アフリカ文学」と言っている時点で世界を見ている(あるいは、見ざるを得ない)のではないかと思った。ゴーディマは、こう書いている。

 こういった疑問に対する一つの解答としてまず私自身の定義を示しておきたい。私の考えでは、「アフリカの作品とは、アフリカ人自身が書いた作品と、それに精神面・心理面でアフリカ人と共通する経験を、他でもないアフリカで体得した人が書いた作品を言う。しかもその場合、皮ふの色とか言語による制約は一切受けない。」それにもう一点、アフリカの作家であるためには、世界からアフリカを見るのではなく、アフリカから世界を見ることが必要条件となる。したがって、〈アフリカが中心である〉という意識さえあれば、アフリカの作家は何を書いてもよいし、かりにほかの国のことを書いても彼の作品は、れっきとしたアフリカの文学作品といってよい。

 書いているあなたは、どこにいるか、どこに立っているか、と問われているような気がした。

『アフリカ』の2冊目をつくろう、ということになった時、雑誌名を『カナリア』に変えようというアイデアがあった。しりとりにしよう、というわけ(でも、その次はまた「ア」ですね)。雑誌名がしりとりになるというのは、我ながらおもしろいアイデアだなあと思ったのだが、思っているうちに面倒くさくなって『アフリカ』のまま、2007年3月号を出した。
 アイデアというのは、それだけでおもしろいと思ったら、それ以上育たないものなのかもしれない。このアイデアは何? よくわからない、と思うところのある方が、よく育つのだったりして。

 そんなふうにして『アフリカ』を何冊か出した後、「『アフリカ』って、いい名前ですね?」と言う方が現れてきたのだった。