『アフリカ』を続けて(28)

下窪俊哉

 前回は途中まで呑気に「出来ないこと」と「帰ってくる場所」について書いていたが、向谷陽子さんの突然の訃報を電話で受け、しばらくは耐えていたが、もうこれ以上は書けないと思い、亡くなったことを伝える文章を添えて、それで終わりにした。
 ふり返ってみれば、亡くなった夜に、私はそのことをまだ知らなかったが、『アフリカ』に送られてきた「言葉にならない喪失の体験」について書かれた文章を読んで、返信のメールを書いていた。何日かたって、そのテキストが、私の気持ちに寄り添ってくれるように感じられてきた。何も言わない、何かよくわからない音の中で、一緒に座っていてくれている。

 いろいろなことを思い出しながら、これまでに向谷さんが『アフリカ』の表紙のために切った作品、切り絵をスキャンしたデータを整理して制作順に並べ、パソコンの画面上で眺めてみた。
 亡くなった直後には、次号の『アフリカ』へは切り絵が届かなかったのだから、切り絵が不在の、文字だけが置かれた表紙の『アフリカ』をつくろう、と考えていた。それが『アフリカ』にとって喪に服すというか、追悼の仕方になるだろう。あの有名なホワイト・アルバムのように? 急に訪れた大きな転機を前に、まずは白紙を受け入れよう、と。しかし彼女が『アフリカ』に寄せた全81作品をくり返し眺めるうちに、考えは変わってきた。編集人が意図的に、喪失や不在を際立たせるようなことは、しない方がいい。これまでと変わらず、一緒につくろうじゃないか。
 向谷陽子の作品は、切り絵としての技を見せつけるようなところがない。いま何を切りたいかというモチーフ集めから始まり、そのデザインと、切り絵という方法が、上手く絡めば絡むほど力強い〈絵〉となる。
 毎号、表紙と裏表紙のために、2枚の新作を送ってもらっていた。
 81作あると書いたが、『アフリカ』最新号はvol.34なので、合わせると68作。残りの13作は表紙にも裏表紙にもなく、ページの中に置かせてもらうようにしていたが、殆どは目立たない扱いになっている。とくに初期の頃は、余力があったのか暇があったのか、そうではなくて試行錯誤の結果だったのか、多めに送られてくることがよくあった。中には、切った作品を鮮やかな色の和紙のようなものに貼り付けた、カラーの作品もある(『アフリカ』は全てモノクロ印刷なので、その色は消えてしまったのだけれど)。
 作者本人は、私から誘われるまでに自分の作品を発表しようと考えたことが、一度でもあったかどうか。『アフリカ』を除くと、おそらく知人・友人に宛てたハガキぐらいでしか”発表”していないはずである。
 私たちは20歳前後の頃にア・カペラのコーラス・グループをやっていた関係なのだが、その時代の友人たちは殆どが疎遠になり、いまでは音信不通だ。『アフリカ』に書いている人たちは、ほぼ全員、彼女と顔を合わせたことがない。やりとりも私との間にしか存在せず表にも出てこなかったので、どういう人だったのか、誰も知らない。親しみを覚えつつ、「どこかミステリアスな存在だった」と話してくれた人もいる。
 みんなが知らない人の追悼文集は、つくれそうにないし、唯一人私の中にあるのは、ごくごく個人的な思い出ばかりだ。外向けに発表するようなものではないだろう。『アフリカ』の切り絵についてを例外として。
 そんなことを考えながら過去のデータを探っていたら、2013年の夏に珈琲焙煎舎で開催した「『アフリカ』の切り絵展」の記録写真が出てきた。それを見て驚いたのだが、展示用に選んでもらった作品のひとつひとつに、作者のコメントが添えられている。すっかり忘れていた。ああ、彼女のことばが、残っていた。当時のコメントを読んでいると、それがきっかけとなって思い出されることが、また次から次へと出てきた。
 そして、これを使わせてもらって、向谷さんとつくる最後の『アフリカ』を編んでゆこう、と決めた。

 7月、最後に手紙を書いた時に、いま、ハーモニー・グループの話を書いているよ、と伝えたのだった。若い頃、もっとも身近にあったそのことをなぜか書いたことがないと気づいて、というのは半分嘘で、かつての自分たちをモデルにしたわけではないのだが、でも半分は本当だ。あの経験と、いま書いている原稿は、きっとどこかで通じているはずだから。
 その原稿は8月末の時点でかなりのところまで進んでいたのだけれど、思うところがあって一度止め、はじめから書き直すことにした。自分の中の気分というか、音の響きが、あの出来事によって大きく変わってしまったから。

 思い出すのは昔のことが多いのだが、『アフリカ』の今後にも目を向ける。最近、自著を出した仲間がふたりいるので、その2冊については、内容を深めたり、拡げたりするような企画を『アフリカ』誌上でやりたい。
 そんなふうにして、『アフリカ』はまた、自然と浮かび上がってきてくれた。

 それにしても、これで『アフリカ』はますます止められなくなってしまったと思う。向谷さんに「わたしがいなくなったから『アフリカ』が終わってしまった」と思われたくないから。この後、『アフリカ』の表紙のバトンを受けてくれる人は、どんな人だろう。いまは何も決められない。アイデアを胸に秘めて、なりゆきの風に吹かれていたら、きっとまた、よい出会いはあるだろう。でも、いまは何も決められない。
 そこで私はハッとする。ああ、そうだった、『アフリカ』は、続けないんだったね! 続けようとしない。ただ、次の1冊をつくるだけだ。またそうやってやってゆこう。