『アフリカ』を続けて(30)

下窪俊哉

 コスモス色の表紙のなかで孔雀が、羽をひろげている。その目は、俯き加減ではあるものの、黒々として生命力に溢れている。こちらを見据えてはいないのだが、大きく、画面からはみ出すまでひろげられた羽のなかに、じつは幾つもの目があり、見つめられているような気がして私はハッとする。咲き誇った花に見られているようでもある。羽をひろげている孔雀はオスだろうが、そのなかに、私はある女性の目を感じている。

 10月末、『アフリカ』最新号(vol.35/2023年11月号)の入稿をすませた日の午後、自室の片付けをしていたら、ふとしたところから手紙が出てきた。それは8年前(2015年)の5月、向谷陽子さんから届いた『アフリカ』の切り絵に添えられていたもので、作品を作者に戻した後、その封筒のなかには手紙だけが残されていた。
 いつも『アフリカ』は予定より1、2ヶ月は遅れて完成するので、〆切が来たからと言ってそんなに焦る必要はないのだが、向谷さんはいつも、ギリギリになってごめんなさい、と手紙のなかで謝っていた。が、このときは「かつてないピンチ」だったらしい。「モチーフ選びは大事だな」「でも出来上がったものに関しては満足」していると書かれている。
 その後を読んで、私は思わず仰け反った。
「表紙にはパイナップルをオススメします。孔雀だと拡大した時に切りの甘さが目立ってしまうので。切り始めてから、和紙じゃなくてケント紙にすれば良かったと思いました。後の祭。」
 ああ! そうだったのか。私は今回、そのとき孔雀を表紙に使わなかった理由を「あまりの力作でアフリカの文字の入る余白がなかったのだろう」(編集後記より)と想像したのだが、全くそういうことではなく、作者の希望だった! できれば表紙には使わないでほしい、という。
 その年の夏、珈琲焙煎舎で『アフリカ』をめぐるグループ展(「鳥たちのその後」展)をした際の手紙も、同じ封筒に入って残っていた。そこには、「孔雀は展示NGでお願いします」とまで書かれている。
 よほど納得いってないというか、技術的な問題を感じていたらしい。
 大急ぎで、装幀の守安くんに知らせようと思った。そのメールを書きながら、何かじわあっと熱く、伝わってくるものを感じた。そうか、入稿が終わるまで、待っていてくれたんだね、と。
 守安くんからは、こんな返信が来た。
「それを聞いていたらさすがに躊躇したとは思うけど、やっぱり今回はこの孔雀でしょう、という気がします。展示NGだなんて、こだわってるところが逆にいいよ。作家の人間味がにじみ出てる。毛羽立ちや汚れはいつも気になったらデータを触ったりもしてたんだけど、今回はあえて何もしてなかった。それでよかったな、といまは思っています。」

 8年前のことで、すっかり忘れていた。そのことが判明してからも、果たして本当にそうだったかな? と思う気持ちがまだ残っている。それくらい忘れていた。
 こだわっていた、ということは、それだけ大事なものだった、ということだろうと私は考える。
 なぜ、どのように大事だったのか、いまとなっては訊くことができない。しかし、訊けたとしても、そんなことを容易く話すことが出来るだろうか。
 理由は何であれ、とにかく大事なものだった。
 彼女が突然いなくなった後、その、いなくなった彼女と一緒に『アフリカ』をもう1冊つくろうとした私が、守安くんの助けを借りて、その孔雀を見出したのだと思うと、気持ちが波を立てて、この孔雀の切り絵の良さを、作者に向かって語り聞かせたくなってきた。

 この11月、ザ・ビートルズの最後の新曲(になるだろうとポール・マッカートニーが言っているらしい曲)が話題になっている。あの4人が(時空を超えて)揃って演奏しているというふうに言われているが、何が、どうあれば、”ザ・ビートルズの曲”と言えるのか、当人たちにとって実際にはもっと感覚的な、何とも言えない部分もあるのだろう。

 向谷さんの切り絵という〈顔〉がなくなった後、どうあれば、『アフリカ』だと言えるだろうか。

 そう考えると、もう『アフリカ』でなくてもいいのではないか、という気もしないではない。そうすると、この「『アフリカ』を続けて」も終わってしまうわけだが、などと思っていたら、これまでになかった現象が起こり始めた。
 最新号が出来たばかりで、まだ宣伝もままならない状況のなか、すでに次号への原稿が送られてきている! しかもひとりではない、そういう人が、ふたり、さんにん、と現れてきた。
 止めるなよ、と言われたら私はすぐにでも止めたくなる、天邪鬼である。しかし、送られてきた原稿を疎かにはできない。これを(次号に載せるかどうかは、さておき)どうやって生かそうと考えるのが自然だからだ。

 そこで思い出す。『アフリカ』を始めたときにも、そんなふうだった。もうこんなことは止めよう、でも、すでに生まれてきているものは生かしてあげたい。そう思って始めたのだ。だから雑誌名なんか何でもよかった。つまり、その場限りのものになるはずだった。