母の熟したトマト

植松眞人

 母が生まれてすぐに戦争が始まった。もともと貧しい家に生まれたのだが、戦中戦後の混乱の中で辛酸を舐めた。六人兄弟の真ん中に生まれた母は長男長女ほどの愛情も注いでもらえず、弟や妹ほどにお金をかけてもらうこともなかったらしい。
 小学校に入学しても弟や妹の面倒を見るためにほとんど通えず、母はいまも読み書きがほとんどできない。学校の思い出はと言えば、文房具がまともに買えず、消しゴムの代わりにズック靴の底のゴムを刻んで使ったが、ノートが破れるばかりだったとか、弁当を持って行けず水ばかり飲んでいたという貧しさの話しか出てこない。
 子どもの頃に、母からおやつをもらいながら、昔のおやつはどんなだったのか、と聞いたことがあった。母は、おやつなんかなかった、と言った後で、しばらく経ってから、あの時食べたトマトは本当に美味しかった、と呟いた。
 母が子どもの頃、三度の食事を摂ることもままならなったと言う。腹を空かせた母は、学校や用事の行き帰りに、低く茂ったトマト畑を見つけた。そこには真っ赤なトマトが実っていた。けれど、他人の物を盗んではいけない、という教えだけは擦り込まれていて、ただ毎日赤く実っていくトマトをじっと見つめていたらしい。
 ある日、いつものようにトマト畑の前を通った母は、あんなに実っていたトマトが全部なくなっていた。農夫によって収穫されたのだ。誰の口に入るのだろう。どんなふうに食べられるのだろう。母は想像をするだけでぺこぺこのお腹が動き始めた。その活発な動きを支えられなかったのか、なんとなく力が抜けて、トマト畑の側に座り込んでしまったそうだ。すると、目線の下がった母の視界にひとつだけ、形の悪い小さめのトマトがぶら下がったままになっているのを見つけたのだ。
 それから毎日、母はその農夫に忘れられたトマトを見に出かけた。木になっている間は農家のものだが、熟して落ちれば食べてもいいのではないかと思ったからだ。
 来る日も来る日も母は弟や妹を背負いながら、トマトを眺めた。誰にも知られないように、そっと周囲をうかがってから、トマト畑に近づき身を屈めた。トマトは日に日に赤くなった。
 何日めだっただろう。母が畑に行くと、トマトが落ちていた。熟しすぎて、落ちたトマトの皮は破れ、形をなくしていた。それでもトマトは陽の光に輝いていて、母は思わずそれを拾うと多少の汚れも気にせずにむしゃぶりついた。トマトはこの世のものとは思えないほど美味しかった。酸っぱさが鼻を突き、土の匂いがした後に甘みが口の中に広がった。
 あのトマトは忘れられへん、と母は言い、今食べているトマトとどっちが美味いかと私が聞く。母は間髪入れず、そりゃ今食べてるトマトの方がきれいでおいしいがな、と笑うのだった。