『アフリカ』を続けて(38)

下窪俊哉

 赤い表紙の中に、18年前の、あの「蝶」が蘇っている。と、前回、『アフリカ』最新号(vol.36/2024年7月号)の表紙について、そう書いた。しかし実際には、違ったのである。
『アフリカ』最新号を手にした熱心な読者のひとりから「同じ切り絵をもう一度使ったのかと思っていたけど、よく見たらこのふたつは別の切り絵」だという指摘があり、まさか! と思って見比べてみた。確かに、違う。よく見ないと、わからないのだが。編集している私も、装幀の守安涼くんも、わざわざ見比べることをしなかった。作者自ら、その原画を指して「記念すべき『アフリカ』最初の表紙を飾った作品」と説明していたのだから、そう言われて疑うことはなかった。
 よくわからなかったのは、2006年当時のデータの色が、全然違っていたことだ。その画像は、前号(vol.35/2023年11月号)の追悼企画「『アフリカ』の切り絵ベスト・セレクション」の中にカラーで載っている。そこで私は「カラー印刷を想定していないため、スキャンの色合いがいい加減」と説明していたが、それにしても全然違う色だ。一体どうしてそうなってしまったのだろうと思っていた。
 最新号の表紙に使った「蝶」は、2013年の夏に珈琲焙煎舎で開催した「『アフリカ』の切り絵展」で「最初の表紙を飾った作品」として展示したものだ。もともと複数のバージョンがあり、どれを出したのか作者の向谷陽子さん自身にもわからなくなっていたという可能性もある。しかし、この連載の(33)から(36)にかけて書いた2006年のタイムラインを思い出すと、向谷さんには2006年版「蝶」の完成度に不満があり、展示するにあたって同じ作品を切り直したのではないか、という気がしてくる。そして2013年当時の私は、それに気づくことが出来なかった。空の上にいる彼女はきっと、ほくそ笑んでいるのではないか。いまごろ気づいたか、と。
 2006年版「蝶」の原画は、見つかっていない。他にも見つかっていない作品はある。どこかに眠っているのだろうか。失われてしまったのだろうか。家族とのやりとりを続けながら、向谷陽子という人が生きて、”切った”痕跡をアーカイブする仕事は、これからもぼちぼち続けようと思う。

 さて、『アフリカ』をようやく再始動させて、最新号の発売直後に続々といただいたご注文の波も収まって、落ち着いたところだ。販売にかんして、落ち着いたというのは注文があまり来なくなったということで、よくないことのように感じるかもしれない。しかしもう在庫が50を切っているので、あとはノンビリでいいのである。
 最近の『アフリカ』は部数を200にしてあり、今回は少し増やそうかと考えてみたものの、これはいつもより売れるぞ、と踏んで部数を増やすときに限って売れないというジンクスもあるので、あえて変えなかった。『アフリカ』は雑誌で、売り切ったらそれまでというつもりだ。売り切れた後で、あー、読みたかったのに! とおっしゃる方には申し訳ないが、ご縁がなかったと思って諦めていただきたい(で、ぜひ次を読んでください)。
 執筆者に原稿料は出ない。いまは完成した『アフリカ』3冊をプレゼントすることにしている。表紙を含め全てモノクロ印刷、80ページ、無線綴じで、印刷・製本にかかった費用は4万2千円くらい(+税)である。私の代わりに売ってくださっている人や店には、気持ちのよい条件で買い取ってもらっている。こちらから営業はしないので、自ら売りたいとご連絡をくださる方のみに対応している。
 営業していろんな書店で売ってもらうとしたら、こちらの取り分を増やすか、価格そのものを上げないとやっていけなくなるだろう。しかし私にはとりあえず、書店より読者を大切にしたい気持ちが強いのである。彼らが買いやすい価格にしたい。彼らが、と他人事のように言うのはおかしい。自分が読者だったらどうか、と考える。
 では自ら売りたいと言われる店で売ってもらっているのはなぜかというと、読んで、ご縁を感じて声をかけていただく場合が殆どだからだ。つまりその店の人も『アフリカ』の大切な読者なのである(それがわからない場合は、「なぜ売りたいと思うのですか?」と訊く)。ただし、一度売ってもらったからと言って、次号が出たのでまたどうでしょうなどという声かけもしない。『アフリカ』は続いているのだから、読者も変わる。もちろんずっと読み続けている人もいる。切れたご縁は戻らないかと思えば、しばらくしてからまた戻ってくる人もいる。読者にも、いろんな人がいるから面白い。

 ここまで書いて、スタジオジブリの広報誌『熱風』2024年2月号で読んだ辻山良雄さんの「日本の「地の塩」をめぐる旅」(最終回)を思い出した。新潟で北書店というお店を開いている佐藤雄一さんとの語り合いが収録されているのだが、その中に「リトルプレスって関係性じゃない?」という項目があり、佐藤さんはこう言っている。

 見ず知らずのものを取る必要はまったくなくて、つくっている人と関係があるから、面白そうだから、流通には乗っていないけど、わざわざやるわけだよね。

 書店はそれでよいと私は思っている。「あたらしくできた店のテイストが似ている」のが気になるという話の流れで、リトルプレスの話が出ているのだが、極端なことを言うと(極端すぎるかもしれないが)あらゆる本がそのようにして売られたらよいのかもしれない。関係性に、相手が有名か無名かは関係ないことなのだし。

 ところで先日、アサノタカオさんがウェブ上(note)に書かれた「仲俣暁生さんのトーク「「軽出版」は出版の未来を救うか」に参加して」を読んで、「軽出版」ということばを知った。
 仲俣さんの「軽出版者宣言」という文章もウェブにあり、さっそく読んだ。その冒頭、「「軽出版」という言葉をあるとき、ふと思いついた。」と書いた後、こう続けている。

 軽出版とは何か。それは、zineより少しだけ本気で、でも一人出版社ほどには本格的ではない、即興的でカジュアルな本の出し方のことだ。何も新しい言葉をつくらなくても、すでに多くの人がやっていることである。にもかかわらず、私自身にとってはこの言葉の到来は福音だった。

 そこで仲俣さんは、大きな産業に支えられた「重出版」の対極にあるものとして「軽出版」を定義している。「軽出版者宣言」では書かれていないが、アサノさんによると「軽出版」の規模を「100〜1000部」と話していたそうだ。アフリカキカクでつくってきた雑誌や本はどんなに少なくても100部から、最も多くて(重版の末)1000部なので、「軽出版」に当たるのかもしれない。重要なのは、「重出版」では出せないような内容のものでも、たくさん売らなくていい「軽出版」なら気軽に出せる、ということだ。仲俣さんは自ら本をつくり、売ってみた実感から、こう書いている。

 本を作るのは容易く、売るのは難しい。でもいちばん難しいのは、書くべきことを書くこと、売るためでなく書くために書くことだ。

 この一文には、呼びかけられた、と感じた。この二十数年、私は「書くために書く」べくやってきたからである。
 仲俣さんの自主レーベル・破船房は、自らの書いたものを本にしてゆく活動が中心のようだ。アサノさんのサウダージ・ブックスは「バンド的な本のクリエイター集団を出発点にしている」そうである。その流れで考えると、アフリカキカクは同人雑誌的な営みをベースにしている。『アフリカ』は同人制をとっておらず同人雑誌とは言えないので「的」をつけたのだが、編集者としての私のソロ・プロジェクトと言えば、言えなくもないだろう。
 そんなふうに、やっていることは違うのだが、本をつくって、売る、ということにかんしては似ているというか、同じことなのだ。
「軽出版」という呼称には、これまでリトルプレス(少部数の出版物)とひとくくりにされてきたものを、内側から解き放って自由にしてくれるような軽さがあるのではないか。そう感じながら、まずはここで、少し書いてみた。