『アフリカ』を続けて(4)

下窪俊哉

 この夏、犬飼愛生さんのエッセイ集『それでもやっぱりドロンゲーム』を「アフリカキカク」でつくって、雑誌『アフリカ』と同様に、主にウェブで販売している。犬飼さんは詩を書く人(詩人)で、これまでに詩集を3冊発表しているが、エッセイ集は初めて。2009年から今年(2021年)前半にかけて『アフリカ』に発表してきたエッセイと、『京都新聞』の「季節のエッセー」に書かれた連載を中心に、未発表原稿を含む27篇+α をたっぷり収録した。

「アフリカキカク」というのは、極私的な出版社(出版体?)で、もともとは「アフリカ企画」だった。『アフリカ』を始めた時に、版元は『アフリカ』を企画しているところだから「アフリカ企画」でいいんじゃないか、と考えて適当に名づけた。いつから「アフリカキカク」になったのだろう? 覚えていなかったので調べてみたところ、vol.14(2012年5月号)からのようだ。意味をあやふやにして、「企画」「規格」あたりを匂わせつつ、どうとでもとれるように「キカク」とカタカナにしたのだろうか。あるいは、カタカナにした方が洒落てるな、と思ったのか。よく覚えていない。いい加減だ。
 最近、「アフリカキカク」でつくっている本の大半は書き下ろしではなくて、10年、20年の間に書かれたものを集め、著者と共に(自分が著者の場合はふさわしい誰かに付き合ってもらって)じっくり読み直し、手を入れようとなったものには手を入れて、編集している。そうすると嫌でも、時間の蓄積を感じる。

『それでもやっぱりドロンゲーム』には「デザートのように」と題された前書きがついていて、その文章だけは私(下窪俊哉)が書いている。犬飼さんから「編集者のことばがほしい」と言われて、そのリクエストに応えた3ページ、その中で、『アフリカ』には当初、詩作品を載せないつもりだった、と書いた。ほんとうにそう思っていた。詩の雑誌は当時、身近にたくさんあったから。
 詩を書く人たちの間では、まだ同人雑誌の営みが生きている。小説を書く人たちの間からそれが消えつつあるのは、なぜだろう? と考えると、出版社が公募している新人賞が流行っているからだろうと想像はできた。人は金のなる木に群がるのであり、金の離れていくような木には寄ってこない、というわけか。
 それなら、まあ仕方ないかな、と思う。けれど、なぜ書こうと思うの? といえば、動機の物語は、書く人の数だけあるはずだ。それを読むのにふさわしい場所は、いろいろあるはずなのだ。
 自分はどうか? 私はそんなに、書くことが大好き! というわけではなさそうだ。むしろ、書くことを強制されたら苦しくなる。小説も書いてはきたが、小説をこそ書きたいとは考えていない。理想を言えば、いろんな文章を気ままに書いて、気ままに読むなら、いいのだけど。それではたぶん職業にはならない。
 ただの個人の営みにしてしまえば一番自然なのかもしれない。
「アフリカキカク」は、いわばプライベート・スタジオである。でもせっかくつくるなら、自分だけが使えるスタジオというのでは詰まらない。いろんな人が入ってこられるような「場」をつくりたいと思った。

 最近は、文章教室という名のワークショップをひらいて、『アフリカ』をつくる際にメールで行われている”セッション”を現実の空間の中で、顔を突き合わせてやってみている。そこでは各々が書いてきたものを読んで、例えば、どうしてフィクションが書かれるんだろう? というような話をしたり、個人的なことを書いて、それって他人に読ませるようなものだろうか? という話をしたりする。

 ことばはどこから来るんだろう?

 もともと私は23年前に、大学の文芸創作ワークショップに入って書き始めた。それ以前には、自分の作品ですと言えるようなものは何ひとつ書いたことがなかったし、書こうともしていなかった。たまたま巡り合って、入学したそこで影響を受けて、書き始めた。
 そこで過ごした時間の一端は、今年の春に「アフリカキカク」で本にした『海のように、光のように満ち〜小川国夫との時間』という本の中に書いてある。
 ことばというものを考えるうえで私の先生となった作家・小川国夫さんは、はじめて雑誌をやろうとしている若者(私)に声をかけて「仲間とやりなさいよ」と言った。「親しい友人とやるというのじゃない、雑誌をやることで仲間になるんだ」と。
 そういうわけなので、私はひとりぽっちで書いていた経験がない。いつも必ず身近に読者がいた。彼らはいつも親身であり、厳しくもあった。また自分自身も常に、誰かの身近な読者だった。書き手と並走できる、よき読者に恵まれるかどうかは書く人にとって大きい。雑誌はそういう人との出合いを生み出す「場」でもある。
 よく思うことだけど、雑誌という「場」にとって、ほんとうの主役は書く人ではなくて、読む人なのかもしれない。

 さて、20年前に「消えつつある」と思っていた個人的な雑誌の営みは、じつは社会のあちこちで生きていて、続いていた。自分が知らなかっただけかもしれない。最近はよく、SNSを通じてその存在が見えてくる。「雑誌」と言うと不思議そうな顔をされる。「ZINE」と呼ぶ方がしっくりくるらしい。いまの『アフリカ』にはエッセイも小説も(詩も!)漫画も写真も、対話の記録も載っていて雑誌らしく(?)なってきたが、もともとは短編小説と雑記だけだった。少なくても人が集まって、つくっているのを見るといいなあという気持ちがわく。たまに、こんな書き手がいるのか! と驚くような出合いもある。彼らにはプロフェッショナルの自負どころか自覚もないだろう。洗練されてはいない、粗削りの中にこそ感じられることばの力というものもあるような気がする。