『幻視 in 堺~能舞台に舞うジャワの夢~』公演のお知らせ

冨岡三智

もう10月…というわけで、今回は今月23日に迫った主催公演の宣伝である。秋以降にはコロナもだいぶ収束しているのではないか…という期待を持って進めた企画で、練習場所を分散したりオンラインを組み合わせたりして練習を乗り越えてきた。なんとか無事に実施できたらなあと思っている。


公演: 幻視in堺 ― 能舞台に舞うジャワの夢 ―
    ジャワ舞踊&ガムラン音楽公演

日時: 2021年10月23日 (土) ①12:30~ ②16:00~
場所: 堺能楽会館・能舞台

プログラム
前半: 舞踊『ガンビョン』(オリジナル振付)
    間狂言(あいきょうげん)
後半: スラカルタ宮廷舞踊『スリンピ・ロボン』(完全版)

※ 堺市文化芸術活動応援補助金対象事業(舞台芸術創造発信事業)

● 幻視 in ~ シリーズ

タイトルに『幻視 in ~』とあるが、実はこれをタイトルにした公演は今回で3回目である。1回目は1998年10月、最初の留学から帰国した年に国営飛鳥歴史公園の野外で実施した『幻視in飛鳥~万葉人の見たジャワの夢~』で、スラカルタ宮廷舞踊『スリンピ・アングリルムンドゥン』を単独で上演した(録音使用)。ちなみにスリンピは4人の女性で踊る舞踊。日没時間を調べて、曲の第1部の終わりで日没となり、第2部で篝火を焚くという風に構成した。ただ、台風がきて1週間延期した上に開演前にまごまごしていたら、開始時点ですでに暗くなってしまったが…。古代から異国文化が入ってきた飛鳥の地でふと目にしたかもしれないような舞踊の幻影…というイメージを創り出してみたかった。

2回目は2005年11月に橋本市教育文化会館大ホールで行った公演『幻視in紀の国~南海に響くジャワの音~』。今回の公演にも出演するダルマブダヤの演奏で、自分で振り付けた『陰陽 ON-YO』と男性優形の舞踊『スリ・パモソ(人の歩む道、の意)』を上演した。『ON-YO』は宮廷舞踊のような感じで作ってもらった曲で、私はドドッという宮廷特有の衣装を着て踊った。この時は橋本市で狂言を習っている姉妹が扮する太郎冠者と次郎冠者が、ジャワ王家を守護するという南海の女王の宮殿に迷い込み、女王の私に出会う…という物語構成にした。南紀からジャワの南海が地下水路でつながっていくようなイメージを出してみた。

そして3回目が今回。今回は能舞台でジャワ舞踊を上演する。前半では現世の女性が登場し、その一生を舞踊で語る。それを聞いていたのは、南蛮船の荷にあったジャワの影絵(ワヤン)から抜け出てきた二人の男。彼の地の言葉やらいろんな言葉を駆使して堺の町をさまよっている間に、松原の向こうに天女が降り立つ姿を垣間見て心を奪われる…。この人の男の場面は機能的にはまさしく間狂言(二場物の能で前ジテの退場後,後ジテの登場までのあいだをつなぐ役)なのだが、『幻視 in 紀の国』の公演の時の太郎冠者、次郎冠者のシーンも私は間狂言とプログラムに書いていたことを最近発見した。間狂言を挟んで異次元にいく構成が私は好きらしい…とあらためて気づく。前回は間狂言をはさんで女性から男性へと変わり、今回は現実の女性から天女へと変わる。

● 間狂言とワヤン

今回の間狂言ではジャワ人のローフィーとナナンがワヤン人形から抜け出したキャラクターになって港町・堺をうろうろする。実はこのシーンは2人に任せているので(全体の構想はあるが)、どうなるか私も予想がつかない。声が低くて老成した雰囲気のあるローフィーと、声が高くて年齢以上に若く見えるナナンがコンビで動いたらきっと面白いに違いないと思っている。2人をワヤン人形から抜け出したキャラクターにしたのは、実は会場の堺能楽会館・館主の大澤徳平氏との話から思いついた。この能楽会館は、大澤氏の母が私財を投じて創設した個人所有の能舞台である。大澤家は堺で江戸時代から続く商家で、自宅は空襲で焼けてしまったが、ワヤンのような人形があったのだと言う。最初の打ち合わせで大澤氏と会った時に、共演者たちの舞台写真を色々見せていたところ、ワヤン上演の写真に目を留めて、こんな影絵人形がうちにもあったよ…という話になったのだった。どういういきさつでその人形が大澤家に来たのか今となっては分からないが、なんだか堺を感じさせる話だなあと思っている。

● ガンビョンとスリンピ

ジャワの芸能は大きく宮廷起源のものと民間起源のものに分かれる。女性舞踊であれば、宮廷舞踊はスリンピとブドヨ、民間舞踊であればレデッ、タレデッ、ロンゲンなどと呼ばれる女芸人の舞踊(スラカルタの場合はガンビョン)しかない。1817年に書かれたラッフルズの『ジャワ誌』に掲載されている女性舞踊の種類もスリンピ、ブドヨ、ロンゲンの3つしかない。現在は舞踊の種類も増えているが、それらはスリンピ+ブドヨ極とロンゲン極の間に存在し、両極の性質が混じっている(他の外来要素が混じっていることもある)と言える。だからこの公演ではこの2極を見てもらう形になる。

この2極の特徴を対比してみると、
宮廷舞踊(スリンピ+ブドヨ):ブダヤン斉唱が作るメロディーにのって踊る、歌い手と踊り手が分離、大太鼓を使う、集団で決まった振付を踊る
民間舞踊(ガンビョン):太鼓が作るリズムにのって踊る、歌いながら踊る、チブロン太鼓を使う、1人で半ば即興的に踊る
となる。

留学していた時、私はスラカルタ宮廷のスリンピとブドヨの元々の長いバージョンを全曲修得するという目標を立てたが、同時にガンビョンを自由に踊れるようになりたいという目標も立てた。ガンビョンには、太鼓の展開パターンや規則に従いつつも半ば即興的に踊る余地がある。女性が歌いながら踊るという煽情的な踊りがガンビョンの元になっているため、実はガンビョンが一般子女が踊ることのできる健全な舞踊になったのは1960年代以降である。その健全化の過程の中で、ガンビョンは宮廷舞踊のように集団女性が決まった振付を踊る舞踊へと変化していった(これには市販カセットの普及という要素も大きい)。しかし、太鼓との駆け引きの中で自分の個性で踊るのがガンビョンの醍醐味だと私は思っている。

ガンビョンはチブロン太鼓の奏法と共に発展し、実はどんな曲でも踊ることができる。大別すればラドラン形式の曲で踊るか、グンディン形式という規模の大きい曲で踊るかの2種類しかない。それで、既存の曲(カセット化されている曲)を全部習ったあと、太鼓の先生にいろんな太鼓のリズムを叩いてもらって録音し、それを舞踊の師匠の所に持って行って練習した。師匠のジョコ女史はまだパターン化する前のガンビョンを知っている世代なのだった。というわけで、今回もそうだが、私が生演奏でガンビョンを踊る時は全体の演出と太鼓の手組を自分で考える。カセットと同じこと、そして過去の公演と全く同じことは二度としない。これは太鼓奏者と演奏者の1人がジャワ人で、私の意を汲みとって形にしてくれるからこそできるというのもある。伝統曲で新しいことをするのは意外にむずかしい。外国人ガムラン奏者だと、どうしても正しいか正しくないか(カセット録音されたものと同じかどうか)という点が達成度を測る目安になってしまいがちな気がする。

逆に、スリンピやブドヨは古い長い振付(40分~1時間)で踊るというのが私の信条である。ジャワでも王宮であれ芸術大学等であれ、短縮したバージョン(15~30分)を踊るのが普通になっていて、たぶん短縮しないバージョンを公演した経験では私は多い方に属するかもしれない。宮廷舞踊は曲の展開と振付が対応している。短縮版ではこの対応関係がずれてしまっている場合もあり、不満を感じることも多い。宮廷舞踊はその長い振付構成でなければ場面展開の構成のうまさや動きの妙は伝わりにくい。

思えば、日本で4人揃ったスリンピをした公演するのは今度が初めてである。2012年の島根公演では4人揃っていたが、あの時はインドネシア国立芸術大学スラカルタ校の一行を招聘し、私以外の3人の踊り手も芸大の先生たちだった。しかし、今回の上演では踊り手4人とも日本在住者である。うち2人は元々スラカルタ王家の踊り子で、結婚して日本に在住している。今回の出演者は、岸城神社(岸和田市)で2009年から10年間、毎年『観月の夕べ』公演を一緒にやってきたメンバーが中心だが、もう1人の踊り手の岡戸さんは私と留学先の大学も大学院(大阪)も同じで、何度かこの『観月の夕べ』公演に出演している。

今回上演する『スリンピ・ロボン』では、踊り手は弓を手に優雅に戦う。後にパク・ブウォノVIII世となるスラカルタの王により1845年に創られた。同じくVIII世が即位前に作った作品としては、他に『スリンピ・ガンビルサウィット』(1843)、『スリンピ・ラグドゥンプル』(1845)があり、動きの語彙や展開に共通性が見られる。

というわけで公演PRに終始した今回の記事だが、私のジャワ舞踊観も少し知ってもらえると嬉しい。