『アフリカ』を続けて(5)

下窪俊哉

 2011年11月11日、府中市美好町に珈琲焙煎舎という小さな店が誕生した。そこは当時、私が住んでいたところのすぐ隣にある長屋の一角だった。それまでも珈琲は好きだったが、何かこだわりがあるわけではないし、部屋で珈琲を淹れる時には安物のコーヒーメーカーを使っていた。珈琲焙煎舎は「手網焙煎珈琲」の専門店らしいが、そう言われても何のことやらサッパリわからない。でも隣に珈琲豆を売る店ができたので、オープン2日目に顔を出してみた。
 11月11日、関東地方は一日中雨だった。しかし私はその前日から泊まりがけの外出をしており、美好町に戻ったのは夜遅かったので初日のことは知らない。2日目の12日、土曜日だった。秋晴れの気持ちのいい日だったので、昼頃から散歩に出て大國魂神社までゆき、戻ってきて珈琲豆を買いに立ち寄った。
 男女ふたりの店員が迎えてくれて、どうしようかと思っていたら、「お時間あれば少し飲んでみませんか。試飲で出しますから」と言われて待つことにした。男性の方がハンド・ドリップで淹れて、デミタス用のコップに注がれた珈琲を受け取ってひと口飲んだ。
 その時の感動を、おそらく私は一生忘れないだろう。
 あれは本当に、現実の珈琲だったのだろうか、とすら思う。

 当時、私はひとり暮らしで、「生存確認のため」と言いながら毎日、短い文章をブログに書いて公開していた。「道草のススメ」という、よくあるようなタイトルのブログだったが、その翌11月13日には「珈琲焙煎舎」と題して、こんなふうに書いている。

「いまぼくが住んでいる建物の隣に、長屋のような小さな店舗(兼住居)群がある。その一角に「珈琲焙煎舎」という店が入って、11日にオープンしたばかり。昨日、行ってみると、若い夫婦(と思われる)ふたりが迎えてくれた。機械に頼らない「手網焙煎」で、少量ずつ焙煎して出している。できるだけ安く提供するために、珈琲豆以外の部分はごく質素なサービスにして、ということらしい。不器用そうな、ふたりの控えめな笑顔を見て、何だか励まされる気がした。どういう経緯を経てここへ来られたのか、何ひとつぼくは知らないけれど。応援したくなった。ぼくに出来ることは、定期的に顔を出して珈琲豆を買うことくらいしかないとは思うけれど。
 それにしても、待ち時間に出してもらった珈琲の、素晴らしさ!」

 書くことと珈琲は、いつも切り離せない関係にあった。
 大阪では、あべの橋筋にあった「田園」という喫茶店に通って書いていた。近くに住んでいた時期もあって、その頃は多い時で週3日か4日はそこにいた。いろんな人とそこで待ち合わせて、話もした。
 いつもその手元には珈琲があった。「田園」ではコーヒーとカタカナで書く方が似合っている。店の前の看板には「コーヒ」と書いてあったっけ。ホット・コーヒが320円で飲めて、長々と過ごせた。広い店で、店員とも顔馴染になっているので気楽だった。
 どこかに出かけると、よい喫茶店がないか、探したくなる。そして、ふらりと入ってみる。そうやって観察してみると、珈琲にも幾つかパターンがあって、けっして同じではないことはすぐにわかる。しかしそれ以上、深く考えてみたことはなかった。
 一方、自宅で飲む珈琲に満足したことは、なかった。まあこんなもんだろうとしか考えていなかった。

 珈琲焙煎舎で飲ませてもらった珈琲は、しかしそれまでに自分が飲んできたどの珈琲とも違った。衝撃的だった。それは、どこまでも入ってゆけるくらい深くて、濃厚で、澄み切った珈琲だった。しかし、豆を挽いてもらって買って、家のコーヒーメーカーで淹れても(美味しいとは思ったが)その味にはならないのだった。

 その後、珈琲焙煎舎の男性の方が「道草のススメ」を見つけて読んだらしくて、「きっとあの人だよ」という話になったらしい。たまに顔を出して立ち話をするようになり、ある夜には、SNSを通して「営業終わってこれから晩ご飯にするけど、食べに来ない? 茶碗と箸は持って来てね」と連絡があった。じつはすでに食べ始めていたのだが、面白そうだ、と思って(まだ食べてないことにして)出て行った。徒歩1分もかからない距離である。茶碗と箸だけを持って。
 話を聞いてみたら、ふたりは夫婦ではなくて、前の職場で一緒に働いていた同僚らしい。女性の方が「店主」で、男性の方は期間限定でお店のオープンを手伝っている「焙煎士」らしい。その夜、どんな話をしたのかは忘れた。何だか気が合いそうだ、ということはわかった。
 12月になって、『アフリカ』をまた出すことになって、珈琲焙煎舎でもその話をしたら、「うちで売りません?」という話になった。『アフリカ』はその時まで店頭で売られたことがなかったが、誘われたらとりあえず乗ろう、というのが当時の自分の方針だった。そうしたら焙煎士が言ったのだ。「『アフリカ』なら、アフリカ・ブレンドをつくるからセット販売しない?」

 なるほど、それで『アフリカ』という名前の雑誌にしたのかもしれない。何がどうなるかわからないものだ。私は翌2012年2月、珈琲焙煎舎のオープンと同時期に出会った女性と結婚することにして横浜に引っ越したが、それまでずっと私の住居に付いてきていたアフリカキカクの現住所は府中市美好町に残すことになった。つまり、珈琲焙煎舎に引き受けてもらったのだった。

 あれから10年がたち、今月、『珈琲焙煎舎の本』と題した小冊子をアフリカキカクから発売することになった。1年前から「つくりましょう!」と話していた本だが、いざつくろうとなったら、こうしてみたらどうか、ああしてみたらどうかと、よさそうな本のアイデアが幾つも浮かんだ。しかしそれらは全て「よさそう」なだけで、自分からボツにしてしまった。10年間、珈琲焙煎舎の珈琲を飲み続け、語り合いを続けてきて、その時々で『アフリカ』用に書いたインタビューも幾つかある。手元にある素材をそのまま出して、それに最新のインタビューや写真を加えるかたちで編集する方がずっと面白いと思った。忘れていたことが、次から次へと思い出されてきたりもして。
 その本の中で珈琲焙煎舎の店主は、何が正解か、不正解かではない、要は、どうすれば自分が美味しいと思うかなんだ、という話をしている。その話は、書いたり読んだり、本をつくったりすることにも通じると思った。