『アフリカ』を続けて(51)

下窪俊哉

 水色の紙に、切り絵のガーベラが1輪、あとはいつものように 8/2025 アフリカ の文字があるだけ。先月、完成した『アフリカ』最新号(vol.37/2025年8月号)の表紙である。今回は少し凝っていて、切り絵の原画がどのようなものかはp53に載せているが、装幀の守安涼くんはガーベラの背景を大きくひろげ、空間の奥行きを深いものにしている。
 切り絵の作者・向谷陽子さんが事故に遭い急逝してから、ちょうど2年がたった。私にはまだ、いまも、切り絵の新作がまた届くのではないか、という予感が残っている。スキャンしてメールで送ってきたということは一度もないのだ。必ず速達で、原画が届く。私はその切り絵を傍に置いて、また『アフリカ』をつくるのだ。
 今回、表紙に使わせてもらったガーベラは、亡くなった後、切り絵にかんする記録を整理しているときに、それが以前『アフリカ』誌面に発表したものとは別の作品であることに気づいた。vol.11(2011年6月号)に載っているガーベラは2輪で、向谷さんを追悼する号になったvol.35(2023年11月号)にはカラーで掲載してある。その2作は、背景の色合いも違うし、作風にも変化が見られることから、同時期に制作された別バージョンとは言い難い。1輪のガーベラは数年後、アフリカキカクのグループ展に出すにあたって制作されたものだろうと私は推察している。その際、向谷さんはこれが新作だとは伝えてこなかった(と私は記憶している)。したがって私も、以前の作品を展示しているつもりでいたはずだ。自分の目のいい加減さに呆れるが、その時は他にもいろんなものを展示したので、切り絵に集中していなかったという事情もある。彼女はほくそ笑んでいたかもしれない。よし、気づかれていないぞ、と。
 それにしても、どうして1輪なのだろう。孤高、ということだろうか。どちらにしても、ガーベラの花束を切り出そうとはしていないわけだ。2輪のガーベラは、寄り添っているようにも見える。背の高い方の赤い花のガーベラが、再制作の際にも切り絵の中に残って、立ちすくんでいるように私には感じられる。いま、ハッとしたのだが、赤い花は、あるひとのイメージではないか。ガーベラは向谷さんの好きな花だから、作者本人の自画像のようなものだとばかり思っていた。
 今号の巻頭に「「藤橋」覚え書き」を書いているスズキヒロミさんは、SNSでこんなことを言っていた。

今号の表紙、『アフリカ』にしては珍しく質感のある紙を使ったのかな? と思ったら、触ってみるとそれは印刷で、いつもの色上質紙だった。つまりこの質感の部分は、向谷さんの切り絵の画面の一部だったのだ。そこで気がついたのは、切り絵を観る時、私は無意識に「切られたものだけ」を絵として見ていたのかな、ということだ。それ以外の部分を私は背景とか、もっと言うと台紙としてしか認識してこなかったのかもしれない。でも切り絵は「絵」なのだから、主たるモチーフの外側であっても画面内なら絵なのである。(中略)向谷さんの切り絵の表紙を見ながら、この花の咲いているこの日は晴れているのだろうか、それとも曇っているのだろうか、あるいは雨上がりなのか、と思う。

 それは『アフリカ』を手にして、読む人のひとりひとりに(どう感じるか)聞いてみたい気がする。私には、向谷さんのガーベラは晴れた空の下に咲いているようにしか思えないが、もしかしたら天気雨には降られているかもしれない。

 前回、書きそびれてしまったが、今号には黒砂水路さんが久しぶりに「校正後記?」を寄せている。『アフリカ』の校正にかんする裏話ではなく、校正の仕事の裏話で、「少し前、ちょっとした人気作家の長篇小説を校正した」時の話。私と日沖直也さんとの対話で、編集後記に雑記を書く話が出てくるが、黒砂さんもその影響を受けている?

 最新号で「正月日記二〇二五」を書いている坂崎麻結さんとは住んでいる場所が近いので、久しぶりに会ってお喋りをした。坂崎さんは最近、横浜の「本屋象の旅」の中の小さな本屋「SCENT OF BOOKS」で『アフリカ』を販売してくれているのだが、そこへ行けば「いつでもアフリカの最新号が買える、という状態にしておけたらいいな」とのこと。
 お喋りしながら差し出された小冊子があり、タイトルは『writing swimming 書きおよぐ日々』、『FAT magazine』という雑誌に発表された坂崎さんのエッセイを集めたものだ。シカゴに住むアーティストと交換したZINE、「ねずみくん」の絵本シリーズ、ポール・オースターの文庫本、河田桟『くらやみに、馬といる』、晶文社の「ダウンタウン・ブックス」、『小島武イラストブック』などの本の紹介をしつつ、自分にとって大切なもの・ことは何なのかを探る小文集で、冊子の後半にゆくにしたがって話の中心は本というよりも、暮らしの中の細部や、家族との会話や、人との出合いになっていることがとても印象に残った。B6サイズ、表紙を含めて32ページの小さな本の中で、書き手の中に何かしらの変化が起こっており、それを隠さず表現している。
 その最後に収録されている「一冊の本が、その夜を連れてくる」には、『ジャズ詩大全』の著者との邂逅がある。私も昔から図書館にある『ジャズ詩大全』にはお世話になってきたが、その本を書いたのがどんな人なのかということには、気を向けたことがなかった。『ジャズ詩大全』は「1990年から2006年にかけて別巻を含む全22巻が刊行され、900曲以上」のジャズ・スタンダードを中心としたアメリカン・ポップソングの歌詞が取り上げられていて、坂崎さんは旅先の図書館で、そのシリーズの1冊と出合ったそうだ。その本の著者は村尾陸男さんというピアニストで、「横浜・関内のファーラウトというジャズクラブを運営していることもわかった」。徒歩で行っても30分くらいの場所である。ある夜、坂崎さんはふらっとその店を訪ねてみる。夜の9時を過ぎていたせいか、客は坂崎さんだけだった。あとお店にいるのは村尾さんと、もうひとりの「演奏者」、具体的に書いてないのだがベーシストではないかという気がする。少し引用しよう。

 ホットコーヒーを頼むと、カップをコーヒーメーカーにセットして、「じゃあ、コーヒーが入るまで2、3曲やりましょうか」と小さな声でつぶやき、いきなりそれが始まった。1曲目は「イパネマの娘」。村尾さんは演奏を始める前に、思い出話をするように曲について語りだす。

 それが『ジャズ詩大全』の著者だと知った今、私には何とも羨ましい状況である。坂崎さんはその時の、村尾さんの声を、そこに書き残している。ほんとうにその声が、聴こえてくるようだ。書き手は耳になり、聴いている。読んでいる私も、その声をありありと感じる。5曲分の語りが書き残されているが、何曲目を引用しようか迷うところだ。どれも味わい深い。

 3曲目は「ケアレス・ラブ」。これは誰が作ったかわからないくらい古いジャズの曲。南北戦争が終わって、それから30年くらいたって、やっとジャズの形ができてきた。ブルースは当時、バーでギャラなしでチップもらって、また別のバーに移って演奏していた。別の街まで貨物線にただ乗りして、人種差別があってホテルには泊まれないから女の人の家に泊まっていた。また別のバー、また別の女の人、それを繰り返す。この無慈悲な恋の歌は20番くらいまであってね、みんな歌いながらつけ足していったんだ。ぼくが歌うのは5番くらいまでなんですけどね。バーの女性側からの歌もある。

 自分もそこにいて、一緒に聴いているようだ。音楽は聴こえなくても、声は聴こえている。歌のことば(歌詞)も書き写し方によっては、音楽が聴こえてくるようになるかもしれない。文章の役割とは、きっとそういうことなのだろう。『ジャズ詩大全』は日本語で書かれているわけだから、ジャズ・スタンダードの音を日本語で書き残そうとした労作なのかもしれない。その本の内容については、坂崎さんはまだ深く書き込んでいないが、いつかやればよいのではないかという気がする。
 その時、村尾さんは80代、その文章を書いた後で、掲載誌を持って再びファーラウトを訪ねたら、「施設に入られたので、もう店には出られない」と引き継いだ方から言われたとか。まさに一期一会! その時は、その時にだけあり、その後には、もうないのである。

 私は自分の原点を思い返すと、「書くべきことは何もない」という実感があった。見ず知らずの誰かに語れるような何かを自分は持っているだろうか、と考えた時に、持っていないだろうと強く感じた。「書くべきことは何もない。ただ、方法論はある」ということだった。つまり、何を書くのか、というのはよくわからないが、どう書くのか、ということについては深く考えていた。
 今度の『アフリカ』でRTさんが「潜る」という文章の中で「何を描くか、どう描くか、どちらかというと何を描くかが大事だと思っていた。しかしどう描くか、どうやって伝えるか、無意識のうちにではあるが考えてはいた」と書いている。これは私の体験とは真逆と言えそうだ。私はいつも意識して「どう描くか」を考えながら書き続け、時間をかけて「何を描くか」に行き着くのである。その先には「なぜ書くのか」があるだろう。自分が書かなければいけない理由は、何だろうか。

 2017年の夏、その頃、親しくしていた吉祥寺美術学院でイベントの企画をたくさんする中で、福間健二さんをゲストに呼んで詩のワークショップを開いたことがあった。その日、何かの話の流れで、福間さんから聞いた話を私は忘れられない。一言一句覚えているわけではないのだが、「作家というのは、書くことがなくても毎日書いている人のことである」という趣旨のことを言われた。その時、私はハッとした。なるほど、何か伝えたいことがあって書くというのなら、誰でもやる。でも作家というのは、それ以前から書いている人である、ということだ。
 私には、それは要するに自分自身のことなのだった。
 いまは生々しく思える。「何を書く(描く)か」なんて、書き手の中に元々あるものではないのだ、と。