『アフリカ』を続けて(9)

下窪俊哉

 先月(2月)、『アフリカ』vol.33を出した。表紙には黄色の紙を使い、その中には切り絵のカマキリがいて、例によって「2/2022」という発行年月のみが書かれている。初めて読む人には何の本なのか、表紙だけでは何ひとつ伝わらない。
 開いてみると、最初のページには写真がどーんと置かれていて、その中に文字が見える。装幀の守安くんが撮った写真を使わせてもらった(他にも数点あったので、雑誌の中ほどのページに置かせてもらっている)。この時代を表すような写真で、じっと見てしまう。
 続いて出てくるのは、犬飼愛生さんの新連載「相当なアソートassort」の第1回で、「応募癖」というタイトルの短いエッセイ。詩人の犬飼さんは昨年、アフリカキカクで『それでもやっぱりドロンゲーム』というエッセイ集をつくったが、その中に詩の話は殆ど出てこない。「応募」も詩の文学賞に限らず、「癖」のように出してしまう。
 その後に目次がくる。目次の隣にはいつも、かかわっている人たちのクレジット・ページがあるのだが、今回も途中から怪しい団体名が出てきたりして大いにふざけている。
 最初のページから紹介し始めてしまったが、どこから読んでもいい。編集後記(最後のページ)を最初に読むという人は多いようだし、最近は「校正後記?」というページもあるので、そこから読むという人も出始めたようである。

 例によって『アフリカ』は何も決めずに、つくり始める。まずは声をかける。声をかける人のラインナップは前号の続きという風だけれど、最近は書いていなかった人や、まだ書いたことのない人でも何かの連絡をするついでに声をかける場合がある。ようするに気まぐれで、適当だ。「お元気ですか?」に始まる、何ということもない連絡なのだが、「また『アフリカ』をやりますよ」と付け加えることは忘れない。

 今回、最初に原稿を送ってきてくれたのは宮村茉希さんで、未完成の短文をふたつ、読ませてもらった。「文章教室に持ってゆくようなつもりで」とのこと。私のやっている文章教室では、多くの人が書きかけの文章を持ち寄る。でもそれでは『アフリカ』には載せられないので、いま、書き上げられそうな方に取り組んでみて、ということになる。その結果、「マタアシタ!」が生まれた。タイトルを見た瞬間に、あ、今回の『アフリカ』のラストはこの文章になるのかな、と感じた。伊勢佐木町で三代続く実家の印刷会社を、幼い頃の自分の記憶を元に書いたエッセイで、彼女はきっとこれからこの続きを書くだろうという気がする。
 次に届いたのは、UNIさんの短編小説「さらわれていた朝」で、これは完成形に近い状態で届いた。こどもの頃に短時間「さらわれた」思い出があるらしくて、その恐怖を思い出して書かれたそうだ。奇妙な夫婦関係、本当に存在するのか不安になってくるような隣人との関係、インターネット空間で行われるふわふわとした交流が、「さらわれていた朝」の背景にひろがっている。
 同じ頃、犬飼さんから詩とエッセイが届いた。エッセイは冒頭で触れた「応募癖」。詩は、今回は掲載を見送ったコロナ禍を書いたもので、感想を返したら「見抜かれてるね」と返事がきて、「じつはもうひとつ書いている詩があるんだ」と送られてきたのが「美しいフォーク」。犬飼さんの最新詩集に入っている(もともとは『アフリカ』に載せた)「おいしいボロネーゼ」のアンサー・ソング的な作品で、マ・マーを茹でて、食べるという日常風景に家族の歴史を重ねている。最後の連が鮮やか、と思ったのは、おそらく母の声が聞こえてくるからではないか。

 ところで、最近の私は『アフリカ』の中でよく喋っている。その間に、必ずといっていいくらい別の本をつくっているので、その宣伝というか、記念というか、後日談というか、オマケというか、そういうページをつくりたいと考える。その本をめぐって誰かと話す、というのはアイデアとしては平凡だが、やってみると楽しいので、やってみましょうかということになる。今回は『それでもやっぱりドロンゲーム』の楽屋話と、『珈琲焙煎舎の本』に収録できなかったアウトテイクを載せた。本当はもうひとつ、ある人へのインタビューがあったのだが、お蔵入りさせてしまった。対話が満載の「対話号」にしようというアイデアもあったのだが、考え直して、止めたのだった。
 いまは、書くひとが自らの内にそっと降りてゆくような文章を、もっと読みたいし、自分も書いてみようと思った。「なぜ書くか/なにを書くか」という問いかけを置いて、まずは年末にオンラインの文章教室をひらいて、手応えがあったので、その過程で生まれたエッセイを今回の『アフリカ』の前半に並べた。
 年末の文章教室に出された文章は9つあったが、その文章だけ単体で(説明なしに)読むことが出来て、完成度の高いものを選んだら、UNIさんの「ほぐすこと、なだめること」、堀内ルミさんの「書くことについて」、私の「船は進む〜なにを、なぜ書くか」、田島凪さんの「むしろ言葉はあり過ぎる」の4篇になった。
 同じ問いかけを元に書かれた文章だけれど、それぞれの人生の「書く」現場が立ち上がってきていて、そこで起こっていることは、ぞれぞれ違う。
「どうしてわたしはこんな辛いことの多いものに希望をもってしまうのか」と書くUNIさん。「困難を多く与えるけれど世界が美しく見える目をあげようと、神様はきっとそうおっしゃったのだ」と書く堀内さん。「自分が書き残さなければ脆くも失われてしまう」と書いた自分。「病気になってよかったと思ったことは一度もない」と書き、「言葉が怖い」とこぼす田島さん。
 こうやってふり返ってみると、しかし共通する何事かも感じられてくるようだ。

 そうこうしていたら、いつもイラストの仕事をお願いしている髙城青さんからメールが届いた。今回の『アフリカ』にはまとまった原稿を書けず、漫画も描けなかったけれど、ちょっと書いたので読んでほしい、と。「ねこはいる」は、昨年亡くなった父親の不在と、数年前から飼っている猫との暮らしを書いた短文で、句点がなく改行が多いのはメールの文章だからだ(私は日本語の文章に、句読点が絶対に必要だとは思っていない)。その文章に寄り添うような、猫のイラストも描いてもらった。
 それから自分は、『珈琲焙煎舎の本』のアウトテイクを載せるついでに、10年前、お店がオープンした頃のことを書いておきたいと思った。やっているうちに、日記風にするのはどう? というアイデアが自分の中に浮かんできた。2011年11月12日、珈琲焙煎舎のオープン2日目に顔を出した時から始めて、12月後半のある日までを、当時に戻って日記をつけるようにして書いた。10年後に、どうしてそんなものが書けたのかというと当時、毎日書いていたブログがあったからだ。それを見ていたら、忘れていたいろんなことが蘇ってきた。
 あとひとつ、最後に潜り込ませたエッセイの小品は芦原陽子さんの「なくした手袋が教えてくれたこと」で、小さな違和感と向き合った、この冬のある時期の話。

 雑誌が完成すると、まずは書いてくれた人たちに送って、読んでもらうのが楽しみだ。ウイルス騒動が続き切羽詰まったような状況の中、「生きる」ことを感じさせる作品が並んでいる、と話してくれる人あり、そうか、そうかもしれないな、と思う。家族のことを書いた原稿が多いね、と指摘してくれる人もあり、そういえばそうだ、と思う。いつも楽しみに待ってくれている読者の皆さんからはご注文をいただいて、お送りする。初めての方からのご注文も、ぽつりぽつりといただく。
 SNSやメールで感想が送られてくることもある。ハガキや手紙もたまにいただく。
 読んで話し合いたくなるのだけれど、うまく言えない、という方あり、焦らずゆっくり読んで、書いてくださいね、と返事を出す。今回の『アフリカ』はひと味違う、という話をしてくださる方も数名あり、そうかな、と思う。でもそうなのかもしれない。自分としては毎回、少し違うつもりなのだ。一度読んで、えっ? となり、くり返し読んで気づくことがいろいろある、などと読書の経過を報告してくれる方もあり、面白い。