片山廣子(広子)、という名の歌人がいた。
といっても、岩波現代短歌辞典に一首のみ掲載されていたのを、
たまたま拾い読みしていたに過ぎないし、
ほかにどんな歌を作っていたのかも知らない。
ゆえにどんな歌人なのかも知る由はなかった。
ちなみにその一首はつぎの通り。
きりぎりすものの寂しきあけがたを昔の人も聞きし音に鳴く
「きりぎりす」の項目に掲載されている。
さて、ちょっと古くなるけれど、2018年4月の水牛だよりに、
片山廣子の書いたエッセイが紹介されていた。
https://suigyu.exblog.jp/m2018-04-01/
短歌を詠む人、と書かれていたので、気になって少しく調べてみた。
歌人の名は忘れていたが、調べていくうちにきりぎりすの歌にぶつかった。
きりぎりすの歌はそれなりに憶えていた。
それで、青空文庫に飛んだ。
色んなことがわかってきた。
歌人であるだけでなく、アイルランド文学の翻訳者であることも知った。
翻訳のときの筆名は、松村みね子であることも。
この名前には見憶えがある。
いくつかエッセイも読んでみた。
『或る国のこよみ』に興味をそそられた。
そんなこんなで、きっかけを与えてもらった気がして、
なんとなく短歌にして見ようかと思い立った。
この短いエッセイの最初の部分を書き移そうと思う。
*
はじめに生れたのは歓びの霊である、この新しい年をよろこべ!
一月 霊はまだ目がさめぬ
二月 虹を織る
三月 雨のなかに微笑する
四月 白と緑の衣を着る
五月 世界の青春
六月 壮厳
七月 二つの世界にゐる
八月 色彩
九月 美を夢みる
十月 溜息する
十一月 おとろへる
十二月 眠る
ケルトの古い言ひつたへかもしれない、或るふるぼけた本の最後の頁に何のつながりもなくこの暦が載つてゐるのを読んだのである。
この暦によると世界は無限にふくざつな色に包まれてゐる。・・・
*
このケルトのこよみは、日本の旧暦に当たるように思われる。
片山廣子も文中でなんどか触れているが、
季節感が少々ずれているように感じる。
北方であることも、影響しているようだ。
そんなことを踏まえながら、十二ある月を、
今回は、一月から六月までだけれど、
それぞれに引用しながら、歌にしてみた。
霊いまだめざめを知らず 白濁の声にしわぶくあけの一月
虹を織る手ゆびかすかにふるえつつ浅葱のいろにときめく二月
むらさきの小雨降るなか微笑するまなこ散りばめゆるし合う三月
とりどりに白にみどりの衣かさね祝いの踊りおぼえる四月
うれいなき青を育むさみどりの世界あまねく煌めく五月
ときまたず目覚めては泣く嬰児のこえ荘厳にして雨の六月