シンクウカンと言っても、ぜんぜんわからない人がいる。
この文章を書いているMacの横に、私が組み立てた真空管アンプがおいてある。仏教についてのインタビューに来た若い女性が、これはなんですか?赤く光ってきれいですね、とむき出しのシンクウカンに触ろうとした。あわてて止めた。「熱いですよ、やけどしますよ」。
「このアンプは私が自分で組み立てのです」とほがらかに自慢したが、まったく感心しない。「秋葉原で買ってきたトランスも格好いいでしょ。もう生産中止なんだ。空港で重たかったよ」。
いよいよ分からない様子だ。まあ当然だな。
四角い鉄の箱(シャーシー)の上に電球の小さいのが並んでいて、鉄の塊のトランスが三つ乗っている。ふたつの出力トランスと電源トランスなのだけど、そんなもの初めて見るのである。シンクウカンという音が、どういう漢字なのかも分からない。真空管ですよ。ガラスの中は真空なんです。
私は音楽を聞きながら、真空の中で光るフェラメントとか、それを囲むプレートを見たいのでアンプのカバーはない。
真空管には、二極管とか三極管とか五極管があってね、エジソンが電球を発明して、フェラメントとプレートの間を飛ぶマイナス電子の動きを発見したときにまで遡るものなんだよ。と演説したところで、そんなことが音楽を聞くこととなんの関係があるのかしら?
それにもう少しインタビューをしたいのだけど。という顔をしていても、アンプの電気を切って触ってもやけどしない程度の熱さになったところで、持ち上げて、ひっくり返して裏蓋をはずす。
ハンダ付けで部品を配線した様子を見せて、「すごいでしょう」と言いたいのだけど、やはり何なのこれ?という感じで、自慢する気がなくなる。
それで彼女は、だいたいこんな質問をする。
「音はいいんですか?、高いんですか?」
このアンプは、いまは病気の木村哲さんに作り方を教わった。ありがとう。
木村さんのウェブサイトに、丁寧に作り方と原理が書いてある。(http://www.op316.com/tubes/tubes.htm)。これをよく読む。なんどでも何度でも読むのです。まずは理解が肝心。分からない部分もずいぶんとあるけどね。
その文章にしたがって部品集めをする。バークレーにも、かつて電子部品屋があった。シリコンバレーにコンピュータと電気部品の店があったし、あとは日本に行くときに、秋葉原に行った。そのいずれに行っても、私はうれしくてニコニコしてしまう。
秋葉原は私が生まれ育ったところから省線で三つの駅だし、都電でも行けた。だから中学生のラジオ少年になってからよく通った。大人になっても、どこの店(ガード下の一人が店番する小さな店だよ)に行けば、どんな部品が買えるか知っている。
最初の真空管アンプを作ったのは、中学生の時だったなあ。モノラルで小さな出力トランスを使った。大きいトランスは高いからね。
あのとき感電した。電源を切っていたのだけど、アクシデントで指が配線に触ったら、バーンと肩と肘にショックが来た。電源を切っていてもコンデンサに電気が溜まっている。電流は少なくても200ボルト以上だった。肩と肘にショックが来たのは、肩と肘の関節の骨が向かい合っているところにコンデンサみたいに電気が溜まったのだろう。まったくもって驚いた。
あのころのラジオ少年は、「模型とラジオ」とか「初歩のラジオ」などという雑誌を読んで、いっしょうけんめい勉強したのです。真空管のなかにあるフェラメントが電気でもって発熱·発光して、これは白熱電球と同じ、マイナス電子が飛び出すのだね。真空管の中には高圧の電気が通じているプレートがあって、プレートが一枚だと二極管で、交流を直流に整流する。それに網状のグリッド加わると三極管になって、電気を増幅する作用があるの。あともう少し複雑な五極管がある。そんなことの原理を読んで、またいろんな真空管の仕様を丸暗記していた。
真空管を手にとってじっと睨んでいるだけで、回路を組んでいなくても、想像力が働く。また私は天文少年でもあったので、手作り望遠鏡で夜空をにらんでいるときも、想像力が動きだす。
休みの日に女の子と喫茶店に行くのも楽しかったけどね、真空管と女の子を比べれば、真空管のほうがいい。いつ女の子の手を握ろうか、とドキドキとしなくても、真空管ならいつでもぎゅっと握りしめることができるのです。
いまでも私の本棚の一角に古い真空管が入っている箱がある。古いといってもまだ使っていないもので、東南アジアとか南米の小さな電気屋を回って使っていない古い真空管を集めてきて、アメリカで売っているオンライン店がある。いまのアンプの真空管が壊れたときのための予備もあるし、いつか作ろうと思っているアンプの真空管もある。でもそんな時間はあるか?私が死んだときに、古びた真空管を捨てるな、と息子に言っておかないといけない。だけど、どうしろと言うのかは、まだ考えていない。
かつてのソ連(いまは知らないよ)、中国にヨーロッパでも、真空管を作る工場があるのです。というのは一部に真空管アンプ信者がいるし、それよりもギターアンプとして真空管が使われている。大きな入力を入れて真空管から歪んだ音がでてくるのがいい。それが真空管から出てきている音だと知らないで聞いているひとが多いはずだ。半導体アンプでも真空管アンプの音がするように設計されたものがある。
真空管の寿命
真空管には、まずナスの形をしたナス管でしょ、それからST管(ダルマ管)、GT管(これを私のアンプは使っている)、それからミニチュア管にサブミニチュア管。サブミニチュア管は、電池で動かして、かつてはポータブルラジオに使った。ちょうど真空管から半導体に変わっていく時期に私はラジオ少年になった。だから、サブミニチュア管と半導体(トランジスタ)の両方を使った経験がある。
でもサブミニチュア管なんかダメだね。ダルマ管こそが、真空管のなかの真空管のように思える。添付の写真の左から二番目だ。
真空管を使った並三ラジオとか並四ラジオ(低周波増幅一段と二段の違い)。これは再生検波でピーピーと発振する、U型マグネチックのスピーカーがついている。それに高周波一段をつけたのもあった。いまから考えるとひどい音だ。
あとでスーパー(スーパー·へトロダイン方式)が出てきて、これは455kヘルツの中間周波数を使っていた。ことなんか思い出すが、文章を読んでいるほとんどの人は、それがなんだか分からないだろう。
真空管アンプには寿命がある。
真空管の寿命は長い。使い方にもよるが、精一杯に電圧を上げた回路で使わなければ、十年とか二十年とか三十年とか。興味のある人とはGoogleで調べてください。真空管より、アルミの電解コンデンサの方が最初にへたると思う。雑音がしたり音が歪んだりするらしい。私の真空管アンプはすでに十年だが、アンプもコンデンサもまだまだ頑張って働いています。
かつて私の仕事場の真空管アンプを前にして、親父が死んだら、どちらが手作りアンプをもらうか息子二人が議論していたことがあり。一人が真空管アンプで、もうひとりが半導体のヘッドフォーンアンプを持っていくらしい。それにこれは私が作ったものではないけど、真空管ギターアンプもある。作りかけのアンプもあったけど、どこにいったのかなあ。仕事部屋の中をみまわしても、見当たらない。天井裏か。
いま使っているアンプの古くなってきた電解コンデンサを、取り替えておいたほうがいいかもしれない。息子たちのために。
真空管は終わったテクノロジーなんだ。一部のギターアンプに使われているが。それに宇宙開発で使われているらしい。終わったテクノロジーには美しさがある。インタビューに来た若い女性にはまったく分からなくても、美しいんだよ。
でも、それは本当かな?
私は75歳の老人でそろそろ寿命で、だから終わりかけのものは美しいと勝手に書いているのかもしれないよ。若い人は、疑ったほうがいい。
注 写真は
(http://kawoyama.la.coocan.jp/tubestorysubminiature.htmからダウンロードした)
木村哲さんの真空管の本
『情熱の真空管アンプ』(2004年実業之日本社)
『真空管アンプの素』(2011年技術評論社)