むもーままめ(13)世界で一番美しい声の巻

工藤あかね

 美しい声、というのは一体なにか。歌をうたって暮らしている身なので、このことに思い至らぬ日はない。

 水晶のような声、トランペットのような声、太陽のような声、天使の声…古今東西、ジャンルを問わず、様々な文字列で美声をたたえられる人たちを、何度うらやんだことか。

 私が録音で最も数多く聴いたのは、マリア・カラスというソプラノ歌手だ。彼女の声は、喉が開いていないとか、美しくないとか、世間ではさんざんに言われてきた。確かに同時代のソプラノには美声で鳴らしたテバルディもいたし。けれど、私が何度も聴いてしまうのは、テバルディではなくカラスだった。ありていにいえば、彼女は私のアイドルだった。学生の頃イタリアに行った時、彼女の豪華な写真集をみつけた。分厚くて大きく、やたら重たかったが、何のためらいもなく何万リラも払って持ち帰った。のちにそれが日本でも安価で手に入るようになっていたのには、少なからずがっかりしたが。

 じゃあ、マリア・カラスの何がそんなに良かったのか。わたしは、彼女が自分の全存在をかけて出した声に惹かれたのではないか、と思っている。そもそも人間なんて、美醜、清濁の渦巻いた世界に生きている。オペラであれ何であれ、何かを表現するのに完全に無垢なものだけ抽出したとして、果たしてそれが本物といえるのかどうか。

 美しい声の人にはたくさん出会ってきた。けれど私には、一度聞いただけなのに、いまだに忘れられない声の持ち主がいる。

 それは、駅のホームで大泣きしていた女性だった。

 ある仕事で、東京都下に通っていた時のこと。リハーサルが終わり、駅のホームにたどり着いたら、歳の頃が30歳くらいの女性が、文字通り「爆泣き」していた。その方はどうやら一般で言うところの障害を抱えているらしく、介護役の女性がついて一生懸命なだめていたが、ホームどころか近隣に響き渡るような彼女の爆泣きと叫びは、一向にとまらなかった。

 母音が刻々と変化していたから何か言葉は言っているようだったけれど、なぜ彼女がそんなにも大泣きしていたのかはわからない。ただ一つ言えることは、彼女の泣き声が、恐ろしいほどに胸を打つ響きだったことだ。

 人前で大声を出してはいけません、騒いではいけません、女の子なんだから、おしとやかにね。

 しつけと呼ばれる、さまざまな制約から解き放たれた人間の声は、こんなにも轟いて、響いて、強くて、輝かしいものなのかと、本当にうっとりしてしまう声だった。

 ちなみに泣き声の高音部分は、どんなオペラ歌手でも羨むような音色である。喉に全く余計な力が入っていなくて弾力があり、ふくよかでシルキー、メタリックな響きもあり、よく通り、声量もすごい。

 彼女には申し訳ないけれど、爆泣き声は録音させてもらった。その録音は今でも持っていて、あれはすごい声だったと思いながら時々聞き返す。歌うたいが目指すべきは、本能に基づき、野生を取り戻すことかもしれない。