むもーままめ(3)コロナキョウカの巻

工藤あかね

 昨日、東京に雪が降りました。部屋の中から雪を眺めつつ、窓枠を額縁に見立てる脳内遊びをしていたら、まるで動く絵のよう!ずっと見ていられる気持ちになりました。なぜだか、美術館に行きたい欲もほんの少しだけ満たされました。そういえば、ちょうど去年の今頃にも、雪が降った日がありましたね。あの頃はまだ、コロナ禍がこんなにひどくなるなんて思いもしませんでしたけれど。


1:いてうより はやりやまひのきたるとて うましさけもて どくけしながらふ

(大意:中国からの感染病が上陸したというので、美味しいお酒を飲んでアルコール消毒をして、生き延びよう。2020/1/30)

 ちょうど去年の今頃、ダイヤモンド・プリンセス号での集団感染のニュースとともに、日本でも新型コロナウイルスが話題にのぼるようになってきました。けれどもわたしが作った歌の調子からすると、まだまだ対岸の火事として捉えていたようです。この後まもなく、手指消毒用のアルコールやマスク、トイレットペーパーなどが一斉に、スーパーやドラッグストアの棚から消えることになりました。

 それにしても…。お酒で喉のアルコール消毒ができるのでは?などと、都合の良いお気楽なことを言っていたのですが、その後飲酒がコロナ予防には効果なしという記事を読みました。これに肩を落としたお酒好きは、きっと私だけではないはずです。


2:昏き春 いはばまさにのまつりごと たみのなやみは 忘れゆましじ

(大意:希望を持つのが難しい春になった。進まない政治。人々の苦しみを、私はこの先も忘れることができないだろう。2020/2/29)

 2月末ころには、新型コロナウイルスが想像以上に厄介なものだということが、肌身にしみるようなりました。テレビをつければ感染症対策について喧々囂々、SNSもさまざまな情報が入り乱れ始めました。演奏会の開催もあやうい状況になり、演奏予定の楽譜を眺めながら「果たしてこれはホールで演奏できるの?できないの?」と心がざわつき始めます。ストレスも溜まってきました。
 
世の中にはストレスの発散に買い物をする人がいます。このころ私は、ネットで何をポチったのか。自分の精神状態がどうだったのかちょっと気になったので、調べてみました。

・就寝用のマットレス…先代がへたってきたので買い替えどきでした。

・米、料理用のだし、麦味噌、梅干し…おいしいご飯とお味噌汁、それに梅干しがあれば幸せです。

・ノーズマスク(鼻の穴に直接入れる花粉症対策グッズ)…シェンキェーヴィチ「クオ・ワディス」の中で、変装する時鼻の穴に豆を詰める描写がありましたよね。この商品も鼻の穴がふくらむので見た目はちょっと変かもしれませんが、症状が軽減されるので重宝します。

・種村季弘「書物漫遊記」「迷信博覧会」…面白かった!!でも万人向けではないです。

・ちりとりとほうきのセット…ステイホームで掃除をしようと思ったらしい。

・子猫のラバーマスク(頭にかぶる変装グッズ)…ライオンのラバーマスクはすでに持っているのですが、ちょっとリアルすぎて可愛くなかったので、今回は猫ちゃんのマスクを入手しました。かぶって歩けば自然にソーシャルディスタンスが出来上がると期待していたのですが、ゴム製だし空気穴が小さくて息が苦しかったので、子猫姿で買い物に行くのは断念しました。


3:ちぢむけに せきあふ心をかさぬれば からげらるるは、人のたまなり

(大意:外出を制限されて縮こまりながら生活する日々である。我慢ばかりしていると縛られてしまうのは人の体ではなくむしろ心だ。2020/3/10) 

 3月といえば、少しづつ気温も上がってきて春の気配を感じる頃。私は春の気配を鼻や目に感じる花粉で察知するので、毎年この時期になると「とうとうきたな…!」と見えない敵を迎え撃つ感じになるのです。ところが、去年は四六時中室内にこもり、常時マスク使用!手洗い消毒!買い物に出たら帰宅後まっすぐにお風呂に向かい頭からシャワーを浴びる生活をしていたせいで、花粉とほとんど戦わずに済んでしまいました。

 人とは会わず、たとえばったり出会ってもキャピキャピ話さず、極力外出を控えて、電車にもほとんど乗らず、外食もなるべくせず…とやっていたら、ある時ハッと気づきました。わが家の窓から見える景色、いつもと変わらぬ外の風景が、なんだかニセモノみたいな感じがしたのです。ちょっと恐ろしくなって、ベランダに出てみたのですが、やっぱりなんだか感覚がぼんやりしている。刑務所にいる受刑者もこんな感じになるのかな。そうするとやっぱり、心身を健やかに保つために大切なのは規則正しい生活?

 ほんのひと月くらいでこのような感覚になるのだから、長らくゲットー地区に居住していたり、潜伏生活を続けていたユダヤ人の方々の生命力って、ものすごい逞しさなのではないか…。心はいつだって自由なはずなのに、行動の制限を受けると心まで縮こまってしまうのは、なぜなのでしょう。「アンネの日記」をまた読み返してみようかな。きっとコロナ時代にも通じるものがあるでしょうから。


4:時ならず 桜きよめる玉のちり さえの神まつ ゆきげとともに

(季節外れの雪が桜を洗うように降っている 疫病を防ぐ神さまがやってきて 溶ける雪とともにコロナも消してくれますように。2020/3/29)

 私が子供の頃は、小学校の入学式頃にちょうど桜が満開だったように記憶しています。それがいつの頃からか、花の時期が前倒しになっているように思えます。昨今は、花はまだ肌寒い時に咲き始め、少し気温があがって世間がお花見シーズンを演出したい時期には、散り始めるようになってしまいました。

 去年の桜の花は例年と違い、人もあまり寄せつけず、ひっそりと咲いていました。私も散歩の時に流し目をしながら花を愛でるくらいで、立ち止まったり、ましてやその下で一杯…、なんてこともせず。すぐそこにあるのに美しいものを存分に見ることのできないのは、思いの外つらいものです。

 そんなある日、急に寒くなって雪が降り出しました。季節外れの雪。急に三島由紀夫「春の雪」を思い出して、聡子の呼びかける「清さま」という声色を妄想したりしながら、桜の枝にしなだれかかる白いちりを窓から眺めていました。

 その数日後、とても感じの良いおばあさまが切り盛りしているお酒屋さんが閉店しました。その後、シュークリームのおいしい洋菓子屋さん、時々行っていたイタリアン、それからワインバーやお寿司屋さんが閉店してゆきました。

 あの日、雪が溶けると同時にコロナも洗い流して欲しいと天に願いましたが、まだその願いは叶っていません。