むもーままめ(41)捨てられない人の家庭料理、の巻

工藤あかね

 先日、はじめて熱中症になった。その日もとても暑い日で、外に出てすぐいやな予感がした。ものの5秒で脳みそが溶け出すよう感じがしたし、駅に着く頃にはなんとなく手がピリピリしびれだした。おまけに訪問先は降りた駅から目的地までほとんど日陰がなかったので、皮膚は容赦なく灼かれていく。こんな日になぜ日傘を持たずに出てしまったのかと後悔してももう遅い、往路で軽い頭痛がはじまり、帰路には足を引きずるほどに体が重くなり、帰宅後は嘔吐と下痢に苦しんだ。

 そんなこともあって最低限の生命維持のために、しばらくはきゅうりとか、トマトとか、レタスとか、体の熱をとってくれそうなものを食べて過ごしたのだった。世の中には虚無レシピといって、体力気力ゼロでも作れるお料理の紹介もあるのだが、体力気力がマイナスの時に適当に切りさえすれば、あるいはまるごとかぶりつけば食べられる野菜のありがたさよ。けれども少し体力が回復して来た頃に、たまには目先を変えた一品もいいかなと思い、美味しい食べ方を求めてネットをさまよってみた、ところがプロの料理研究家が提案するレシピは、普通の人でも作れそうにアレンジはしてあるのだけれど、ちょっとしたひと手間が入っている。おいしくするコツなので、その工程は省かないほうがよいのだろうけれど、病み上がりにはそれすら面倒くさい。しかも、食材の使い方がなかなか大胆というか、大盤振る舞いというか…。食べられる部分も料理に使わないところはばっさりと切り捨てる感じ。家庭料理だし、ひとつの食材から可食部をなるべく多く取りたいタイプの人間には、どうにももったいない精神が湧き起こってしまう。

トマトは種を取り…いやです。個人的にはゼリーっぽいタネのところが一番美味しい。
トマトは湯むきして…たまにはいいけれど、皮はとったあとどうする?
なすは皮をむき…皮はおいしいし、ポリフェノールもあるからむきたくない。
きゅうりは塩揉みして…カリウムたっぷりの水分絞って捨てちゃうの?うーーーーん。
千切りにしたキャベツは水にさらし…パリパリになるかもしれないけれど、栄養逃げちゃうのでは?
ピーマンはわたをとり…タネのところに栄養があるから使うよ。
オクラのへたをとり…へたも食べられますよ。
鶏肉の皮ははずし…栄養豊富だから食べたいです。

 お料理学校にでも通っていたら、食卓の豊かさのために捨てるところは潔く捨てるようなマインドになるのかもしれないけれどなあ。そんなことを思っていた時に平野レミさんのお料理が脳裏に浮かんできた。豪快な手さばきだけれど食材の可食部はめいいっぱい使い、合理的で、しかもどれもおいしそう。いまだに覚えているのは、ブロッコリーを房に小分けしたりせず、どーんとまるごと使ったお料理。ふだん、包丁で小房に分けると切れ端がポロポロとまな板に落ちてくるのがどうも好きではないのだが、まるごとなら無駄もなく、その一皿にそこはかとないパーティー感も出るというもの。レミさんのレシピで、にんじんの皮を剥かずにまるごと蒸すものもあったが、きっと甘みが出ておいしいのだろうな。

 手の込んだ工程を重ねてつくられた丁寧なお料理もたまには食べてみたいけれど、普段自分が作る時には捨てるところが少なく、工程に無駄がなく簡単でおいしいのが理想。「簡単」の範囲は人によってだいぶ違うのだろうけれど、レミさんのレシピなら面白がって真似したくなる。思わず作ってみたい、食べてみたいと思わせるのは料理研究家(愛好家)の究極の目標だと思う。
 
 シンプルであるということは、食材の本当の姿を追求すると言うことでもあるように思う。炊き込みご飯ばかり炊いていた時期もあったが、あるときふと白米を炊いたら最高においしかった。ツヤツヤと輝いて美しく、いい匂いがして、自然な甘みがあった。炊き込みご飯が悪いわけではないのだけれど、久しぶりにシンプルなものに立ち戻ってみたら、白米の本当の姿があまりに素晴らしくて、惚れ直した。クラスメイトがメガネをとったら意外と美人で、ドキッとしちゃったりするのと同じか。いや違うか。