話の話 第10話:12月と言えば

戸田昌子

年の瀬が押し迫る12月30日である。我が家の動物たちがおしゃべりをしている。

クマ「年末になると、戸締りがいい加減になるじゃんか」
ぼち夫「そんな!空き巣なんていけませんよ!」
クマ「違うよ、意識調査だよ」

クマは我が家に滞在するようになって20年くらいになる。初めてうちに来たのはクリスマスの夜だった。彼は意外に苦労人で、生活苦からパチモンの時計を街で売り歩く仕事をしており、その夜、わたくしどもの家のドアをピンポンした。わたしが扉を開けると1匹のクマが立っていた。「時計買いませんかね」と彼は言いながらすすすいと部屋に上がり込み、わたしの出した茶をすすって残り物のケーキを食べ、その日は我が家で寝た。翌朝、彼はなんてことのない顔をして一緒に朝ごはんを食らい、それ以外、我が家に居候している。かなり危ない渡世であったようだが、最近は羊のローズちゃんと仲良くなって、悪い遊びはすっかり落ち着ちつき、「おれも若い頃はだいぶヤンチャでさ」などと言って得意がっている。

ぼち夫は、娘の片割れになった靴下から生まれた。靴下なので頭のてっぺんは擦り切れていて、顔色は細かいボーダーのマゼンタ。すぐに学校教師みたいなことを言う癖があって、常識人なだけでなく、なにかと平凡でつまらない。口癖は「きのこは体にいいんですよ!」である。

他にも、やよいさんや、兄と生き別れになったゾウなどがいるので、我が家はいつも通り、賑やかな年の瀬である。

毎年、年の瀬のこの時期になると、「そろそろ電話がかかってくるのでは」と思い出す人がある。犬養さんである。こちらは名前に「犬」がついているが、実は人であって、夫の友人であり、わたしにとっては先輩にあたる。この犬養さんは脱ぐのが大好きなので、わたしが彼に初めて会ったときも、ほぼ脱いでいた。風呂桶を手渡すと裸にネクタイで踊ってくれる親切な人で、冬季五輪のスキーのジャンプ競技では、男子アブノーマルヒルの代表になれるのではないかといつも期待されている選手である。いまは結婚していて、3人の人間のお子さんがいる。この時期になると毎年電話をかけてきて、「遊ぼうぜ!」と誘われる。この「遊び」は文字通りの遊びで、公園でバドミントンなどをして遊ぶのである。だいたい晦日などに遊んでいることが多い。

そんな調子で空気が読めない人だから、犬養さんは家族にも適当な扱いをされている。それはコロナが始まったばかりの冬のことだった。いつも通り年末に犬養さんから電話があったのだが、着信するスマートフォンの画面を見た夫が「あ、犬養だ」と言ったきり、さらりと無視した。しかたないのでわたしが電話を取る。LINE電話で顔を見ながら通話をするテクを覚えたばかりの犬養さんは、ビデオ通話である。「おお、戸田か」と犬養さんがスマホの画面に現れる。「あ、犬養さん。お久しぶりです。いまなにしてんですか」とわたし。「おお、おれか。ソロキャン」と犬養さんは言うが、スマホ画面の背景はどう見ても自宅リビングで、キャンプ場ではない。「自宅じゃないですか。ソロキャンって、家族どうしたんですか」「ああ、家族な、実家に帰ってる。義理の両親から、他人からコロナをうつされるの嫌だからお前だけは来るなって言われたんでな、おれは家でソロキャンしてんだよ」と犬養さん。「おれは準家族だからな」と言いながらコンビニパスタをもぐもぐ食べている。冬の風物詩である。

それにしても、今年の12月は実に忙しかった。12月初頭には鳩尾が上京していて、そのお付き合いで、1日に2万5千歩も歩いたりしたのがその始まりだったと言えようか。鳩尾にはいつも京都でお世話になっているので、東京へ来るとなったら、わたしがきちんとお世話をしないといけない責任がある。だから宿泊先や観光スポットなども吟味してオススメをお知らせしたり、旅程を綿密に組んでリストにして渡したり、我が家の近くに滞在させて朝ごはんも用意するなどした。鳩尾はいつも「道に迷ったことなんてありませんよ」というていで、京都の街をスタスタ歩いているので、わたしは道に迷わない人だと思っていたのだが、東京での鳩尾は意外に道を覚えるのが苦手なようである。そんなわけで、我が家へのルートを一生懸命説明したのだが、鳩尾は平然と「もう忘れてしまいましたね」などと言う。「だから!」とわたしも熱が入る。「駅を出たら、とにかく、左!」と言おうとしたところが力が入りすぎて、「駅を出たら、とにかく、しだり!」と言ってしまう。「おっ、”ひ”が”し”になるとは、さすが江戸っ子ですね」と喜ぶ鳩尾。いや、それは江戸っ子だからではなくて、ただの言い間違いだから、と言い訳するが、「落語でしか聞いたことないから新鮮だなあ〜」などと言って、鳩尾はニヤニヤしている。

それから12月には、銀座の教文館に行って、クリスマスの支度をしなければならない、と決まっている。なにしろわたしはクリスマスが大好きなのだ。わたしは子どもの頃、プロテスタントの保育園に通っていたので、自分をキリスト教徒だと思い込んでいたのに、小学校へ入ってから自分がクリスチャンではないことがわかった時のショックは大きかった。入信もしていないのに棄教させられたかのような気持ちであった。それに加えて、世俗的な小学校の同級生たちに心の底から幻滅したことも追い討ちをかけた。世俗的な人たちにはサンタは来ない、サンタは信じる人の元にしか来ないんだ!という強い思いから、後年になって、日本クリスマス教団という新しい宗教団体を立ち上げて、自分がその開祖になることにした。日本ではキリスト教徒は人口の1パーセント程度に満たない。残りはみな非キリスト教徒である。そんな、キリスト教徒ではない人たちが、日本でクリスマスを祝うための新興宗教である。主な活動は教文館に行ってくるみ割り人形を見ることであるが、決して強制ではない。とくにお祈りや経典、決まりごとなどはないが、世界平和と人類平等をめざしている。

そして12月には締め切りがたてこむ。海外の仕事相手はクリスマス前になんとか仕事を滑り込ませようとしてくるし、国内の仕事相手は28日ごろでに仕事を済ませてしまって正月は休もうと言うのだ。こちらは発注する側ではなく、発注される側なので、四の五の言う立場にはない。間断なく続くめまぐるしい催促メールに対して、その場しのぎの言い訳で打ち返すばかりである。どうしようもなってくると、クマが取り扱っている、なんだか怪しい薬でなんとかしよう、などと考え始める。おすすめはメオソラスール1000mg配合の「ゲンジツトウヒ」である。定価670円が今なら480円、という売り文句についつられてしまう。成分としては「キカナーイ」「キニナラナーイ」「ムシムシスール」「ムカンシーン」などが入っているらしい。忙しさのあまりに疲れ果てた時には、「心ガムテープ」や「心修正液」などの商品もおすすめだ。夫婦関係に問題のある人たちには「愛情水増しスポイト」などという商品もあるそうだ。足りない愛情をスポイトで増やしてくれる。

心が問題だ、というのは確かにその通りで、心を全面的に守ってくれる薬としては「心ガードスプレー」というのもある。「元気エキス」「根太さ」「粘り強さ粉」「無神経粉」「ボーっとエキス」などが配合されていて、多角的に心を守ってくれる。ようは、気にしなければいいのである。そんなわけで、「キニシナーイZ」という薬も発売されているらしい。しかし、問題から目を逸らすのが主眼なので、根本的な問題はなにひとつ解決しないところがミソである。

そういうわけで、締め切りをいくつか反射神経で片付けたあと、コーヒーが飲みたくなって淹れている。とはいえわたしはコーヒーを淹れるのが不得意なので、コンビニのドリップパックである。わたしには苦手なことがいくつかあって、まずは卵を割るのが苦手である。つぎに人の名前を覚えるのが苦手である。そしてコーヒーを淹れるのが苦手である。これが苦手ランキング1位から3位を占める。そういうわけで、自分で頑張って淹れたコーヒーを飲みながら話しているところ。

わたし「わたしはXXのお店のコーヒーは苦くて苦手なんだよね」
友人「どんなコーヒーが好きなの?」
わたし「あまり苦くなくて、雑味のないやつ」
友人「ああ、あるよね、そういうの」
わたし「長野にさ、とにかく雑味のないコーヒーを淹れる喫茶店があってさ。もう、水なの?っていうくらい雑味がないのよ」
友人「それ、水なんじゃないの?」

味の違いがよくわからないので、もしかしたら水なのかもしれない。まあ、万が一、もし水だとしても、キニシナーイ。