話の話 第16話:なんの話

戸田昌子

誘惑者というのは、こんなふうである。壁の上にあぶなげに立っている。気づいて、こちらに向かって手を振る。だからこっちは、そっちは悪所だからこっちへおいで、と声をかける。するとこっちへ来そうなそぶりをわざとみせる。でも、結局はあちら側へ落ちるのだ。ハンプティ・ダンプティはなぜ壁の上に立っているの? それはアリスを誘惑するためさ。アリス、ぼくはそっちへ行くよ、もしアリスがぼくの相手をしてくれるならね。アリスは近づく。ハンプティ・ダンプティは言う。こっちへおいで、ぼくにそのスカートの中身を、そうでなけりゃその素敵なおつむの中身を、見せてよ。そうやってアリスが近づいたところで手を取ろうとし、その手を振り払おうとしてひっくり返ったアリスは水たまりに落ちて、素敵なスカートは泥でぐちゃぐちゃ。
あれ、そういう話だっけ。

雨が降ったら待ち合わせに行かないんですよ、とショーダ先生が言う。ショーダ先生は装束の研究者で、会うと2回に1回はお着物を着ていらっしゃる。いまは梅雨である。お着物はいろいろたいへん。草履のうえにカバーをかけないといけないし、お着物は高価なものは濡らしてはいけない。「昔の人は携帯電話もないし、雨が降ったから待ち合わせに行くのをやめたいと思っても、連絡もできない。どうすると思います?」とショーダ先生はわたしに尋ねる。「わかりません」とわたしが言うと、ショーダ先生はおごそかに「行かないんです。雨が降ったら、行かなくても約束を破ったことにはならないんですよ」とおっしゃった。

雨が降ったら約束は反故になる、そういう共通理解がある昔の待ち合わせでも、どうしても会いたかったりすれば、これくらいの雨なら、と片方が出かけてしまい、もう一方が来ない、などということはあったのではないだろうか。待てど暮らせど来ぬ人を、などという恋の情緒も、半分は来なくて当然、半分は来るかも、という半々の割合の期待感なのであれば、約束が反故になった悔しさ苦しさにただ心奪われることもないかもしれない。そんな中、濡れそぼってりんごの木の下で待っているうら若い女。恋はまもなく終わる予感を感じているけれど、約束を頼りに雨の中、待ち続けている。そんな中。ちりんと自転車のベルを鳴らして少年が現れたりして。「XXさんは今日は来ませんと伝えてくださいって言われました」なんて、恋のなんたるかも知らないいがぐり頭の少年の無神経な伝言を聞いて、女はさらにその切なさをつのらせ……いやいや、なんの話だっけ。

友達は嫉妬と憧れでできている、そんなことを考える。そのうちの、嫉妬と憧れを強くして所有関係になってしまうと恋人になる。その所有が始まる一線というやつが、セックスで、それは共通項としての所有の合図である(人はそれを愛と呼ぶ)。それが高じると家族になる(人はそれを愛と呼ぶ)。つまり家族は、所有の先鋭化された形態ということ。だから、家父長制に反対するなら、友達は所有してはいけないのだ、とわたしは思っている。なのに人々は「オレ、あいつと友達なんだぜ」というマウンティングをきりなく続けている。そんなふうだから、わたしは、友達とはあまり親しくしないようにしたいと思っている。高校生のときの仲の良い友達とは当時、学校以外で会ったことはほとんどなかった。それをするとなにか「特別」な関係になってしまうような気がして。そんなふうになったら、お互いがいつも所有の程度を測り合って、気が合うかどうかを確認しあう、つまりは恋人同士みたいな関係になってしまうではないか。そんな考えだから、わたしは、待ち合わせに友達が遅れることや来ないことについては、気にすることがない。だって、そもそも、約束でお互いを縛り合うことはしないほうがいいのだから。だから大学生のとき、四ツ谷駅のホームで友達と朝9時に待ち合わせて、6時間待たされたときも、わたしは怒らなかった。そもそも彼女は遅刻魔だったし、1時間くらいは遅刻するだろうとふんで、本を4、5冊、持って出かけていた。しかし1時間経っても来ないので、公衆電話から電話をかけたら「いま起きたところ!ごめん!」と言って、なかなか来ない。3時間後に電話をかけると、「今準備していて出るところ、ちょっと用事片付けてから行くから!」そう言って結局、彼女が来たのは午後の3時。「ごめーん!」と現れた彼女に「大丈夫だよ、本読んでたから」とにっこりしたら、「その余裕の笑顔がむかつくー!」と怒られた。いやいや、なぜよ。

携帯電話のない時代には、待ち合わせが成功しないこともよくあった。わりと素朴な人間なので、ナンパだったことに気づかないまま、朝の通勤電車で知り合った男性に家の電話番号を渡してしまい、ディズニーランドに行こうと誘われた。なぜか西千葉の駅で待ち合わせることになり、約束通りにそこに行ったつもりが、到着時間を読み間違えて30分遅れた。しかも待ち合わせ場所がよくわからない(昔は「駅で待ち合わせね」ということがよくあった)。うろうろしてはみたが、結局は会えずじまい。しかし出かけた以上、家に帰っていろいろ聞かれるのも面倒なので、そこから友達に公衆電話で電話をかけた。これからどっか行こうぜ。いままだ寝てるから起きたら行くわ、新宿の西口で待ってて。そう言われてそのまま新宿駅へ。しかしなかなか来ないので、駅のキオスクで文庫本でも買おうと、回転式の本棚をぐるぐる回しながら選んでいたら、目についたのは『マキャベリ語録』。君主論じゃないのか、と思いつつ、それを買う。立ち読みしながら待つ。結局、友達は、来なかった。きっと彼女はわたしの「特別」になりたくなかったんじゃないかな。友達でいるには、特別にならないほうがいい、ということもある。

梅雨入りしたというのに、傘をなくしてしまった。いや、わかっているのだ。バスの車両に置き忘れてしまったのだ。なぜ手放してしまったんだろうね。気に入っていた傘なのである。MARVELのマークがついている、赤と黒の折り畳み傘。細くて赤い取手が「し」の字に湾曲していて(あるいは「つ」の字かもしれない)、しっかりとした作りのもの。電車では「棚に載せましたおにもつ、手すりにかけました傘など、お忘れ物のないようにお気をつけください」と車掌が連呼しているシーズンだというのに、うっかり置き忘れてバスを降りてしまった。わかっているのだ。前に同じバスに定期入れを置き忘れたときにも、かなり遠方の遺失物保管所まで取りに行ったから。そんな遠くまで行っている時間はない、諦めよう……。でもあの傘にはちょっと思い出がある。ホリイさんと京都のギャラリー「PURPLE」で初めて会って、パーっと話が盛り上がって「担々麺食いに行こうぜ!」となったときのこと。帰り、店を出たら、雨が降り始めていた。「じゃあまたね」と、傘をさして帰るわたしの後ろ姿を見ていたホリイさんは、そのとき、まるで戸田さんはメリーポピンズだ、と思ったのだ、と後になってわたしに言った。わたしがそのときさしていたのはMARVELの傘だったというのに。

でも、メリーポピンズって、おばあちゃんだよね。そういう意味なの?とわたしが尋ねるとホリイさんはあわてて、「いや、映画のほうのメリーポピンズ!」とフォローする。でも、そのメリーポピンズは、ホリイさんたちと別れたあと、彼らの姿が見えなくなったあたりでコンビニへと吸い込まれ、そこで500ミリリットル缶の黒ラベルを2本買って帰ったんだよ。とわたしがそう言ったら、ホリイさんは笑って誤魔化した。

伝書鳩が地図を覚えたら、きっと飛べなくなってしまうだろう。そう言ったのは、ロベール・ドアノーだそうである。出典がわからないままなので、いまでも探している。「あなたがじっとしていれば、人はあなたに会いにくるだろう」というのも、やはりドアノーであるらしい。この言葉は『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』のなかで、笑い男ことアオイが口にするセリフであるが、その出典はポール・ヴィリリオ『情報エネルギー社会』である。このとき翻訳者が「ドワノ」と訳してしまったため、草薙素子も「ドワノね」と返答するのだが、これがロベール・ドアノーであることは間違いなさそうだ。フレッドに「ドアノーがこんなこと言ってるらしいけど、オリジナルの発言がどこにあるのか調べたいんだよね」と言ったら、「ドアノーはいつだってそんなことばっかり言ってるんだよ」という味気ない返答だった。いつか見つけたい、とずっと考えている。伝書鳩が地図を覚えたら飛べなくなってしまうには違いないが。ところで、と兄が言う。「知ってる? 鳩ってこうやっていつも首振って歩いてるじゃん。だから、鳩の首にギプスすると歩けなくなるんだよ」。鳩にギプス! ああ、なるほど、そりゃそうだな、と納得したところで、「嘘に決まってんじゃん」とちゃぶ台を返された。ああ、わたしはこうやっていつも騙される。

梅雨は鬱々として、気分が晴れないから、どこか近場に旅行でも行こうかね、と夫が言うので、「熱海とか?」と返すと、「そうだね、熱海に行ってパンイチおみやの像でも見るか。ほら、きんいろよるまたって小説のさ」などと言う。それは尾崎紅葉の『金色夜叉』(こんじきやしゃ)の貫一お宮の像のことですね。とわたしがそう言うと、「めぐるめぐるよ時代はめぐる デモと内ゲバ繰り返し 今日は別れたセクトたちも 生まれ変わってアジり出すよ」と歌いながら去っていった。
それは一体、なんの話。