水牛的読書日記2024年6月

アサノタカオ

6月某日 月刊『地平』創刊号を神奈川・大船の最寄りの書店、ポルベニールブックストアで購入した。《コトバで新たな地平をひらく》という編集部のメッセージが誌面に大きく印刷されている。創刊特集は「コトバの復興」、もうひとつの緊急特集は「パレスチナとともに」。社会思想史の研究者・酒井隆史さんの論考「“過激な中道”に抗して」、現代アラブ文学、パレスチナ問題を論じる岡真理さんの「ガザ 存在の耐えられない軽さ」など読みごたえのある記事が多い。

本誌には、4月に刊行した拙随筆集『小さな声の島』(サウダージ・ブックス)の書評が掲載されていたのだった。書店員によるリレー書評「個と場と本」で、評者は京都・鴨葱書店の大森皓太さん。

《風を感じる本》《著者が旅と暮らしの中で受け取ってきた「さびしい」という言葉は、まさにそうしたうつくしさを放つ詩の言葉である》

素晴らしい評のことばを贈ってもらってうれしかった。と同時に、メディアの世界に華々しく打って出た話題の雑誌で、こんな少部数で地味なスモールプレスの本が取り上げられることに正直驚いた。

6月某日 近所のジュンク堂書店藤沢店に行くと、詩集コーナーに「山尾三省」の棚差し著者名プレートが設置されているのを発見し、感無量だった。ついに、「山尾三省」が書店でひとつのジャンルとして認められるようになったか、と。前職で三省さんの詩文集『火を焚きなさい』『五月の風』(野草社)など生誕80年出版企画の編集を担当したのだが、当時、ひそかに目標にしたのがかれの著作を「ジャンルとして確立すること」「海外で翻訳紹介すること」の2点で、これでどちらも実現した。翻訳紹介に関しては、再編集された詩文集の韓国語版が刊行されている。

最近も、詩人の大崎清夏さんが雑誌で『火を焚きなさい』を紹介してくださり、読者の輪がさらに広がっていると伝え聞く。いまも思いがけないところで、2021年刊の三省さんの講義録『新装版 アニミズムという希望』(野草社)を読んだという若い世代の人たちと出会うことがある。屋久島で生きた詩人のことばを、それぞれの土地で生きるための道しるべにしてくれているのだ。

6月某日 京都へ出張。四条通り近くの徳正寺を訪問し、建築家の藤森照信が設計した茶室「矩庵」で取材後、住職の井上迅さんやお母様からいろいろな昔話を聞かせてもらった。井上さんは、筆名・扉野良人として文筆と編集をおこなう。著書に『ボマルツォのどんぐり』(晶文社)。井上さん=扉野さんが主宰するプライベートプレス「りいぶる・とふん」から刊行された詩誌『百年のわたくし』を入手した。徳正寺を辞し、地下鉄の車内で『百年のわたくし』のページをひらくと、ほんのりとお寺の香りがした。メアリルイーズ・パターソンの講演録「まだ、叶わぬ夢 アフリカ系アメリカ人の解放闘争とラングストン・ヒューズの詩的ヴィジョン」や、ぱくきょんみさんの詩を読む。

夜はこもれび書店で、拙著『小さな声の島』の刊行記念トークイベントをおこなった。文筆家の大阿久佳乃さんとの対談で、テーマは「さびしさ」について。「望まない移動を強いられる人の旅と、観光旅行者の旅のちがいとは?」と大阿久さんから本質的な問いを向けられたのだが、十分に応えられなかった。考え続けたい。参加者や、準備をしていただいた関係者のみなさまに感謝。終了後、大阿久さんの通う大学の仲間や、京都の知人友人と歓談した。

こもれび書店は、丸太町駅から徒歩3分とアクセスがよいシェア型書店で、イベントスペースもある。雑誌『K』を刊行するNPO法人Knit-K(ニッケ)のおふたりが営む、人の温もりを感じる本の空間だった。また訪れたい。

6月某日 《誰かにとって羅針盤のような言葉に出逢う場所となることを願い、開店します》。快晴の京都の朝、東九条にオープンしたばかりの鴨葱書店を訪問。店主の大森皓太さんが、月刊『地平』に拙著の書評を寄稿してくれたのだった。お礼を直接伝えることができて一安心。古い平屋の建物を改装した店内に、多すぎず少なすぎず程よい冊数の本が並んでいる。土壁があり緑があり、気持ちのよい風が流れる空間でゆっくり書棚を拝見。

《羅針盤のような言葉》に出会いたい。そう思って書店で購入したのは、文芸評論家・宮崎智之さんの『平熱のまま、この世界に熱狂したい 増補新版』(ちくま文庫)。冒頭の一編「打算的な優しさと「○を作る理論」」からして日々の暮らしと地続きのところにある知性に裏打ちされた名文で、心がぐっと引き込まれる。とてもよいエッセイ集で共感することしきり。

京都駅からバスに乗って銀閣寺方面へ移動し、ホホホ座を訪問。店内で開催中の香港生まれの漫画家・イラストレーター、リトルサンダーさんの『KYLOOE』原画展を鑑賞し、店主・山下賢二さんの『にいぜろにいぜろにっき 11がつ』を購入。「昨日、徳正寺に行きました」というと、「井上さんはぼくの高校の先輩なんです」と山下さんがおもしろいエピソードを聞かせてくれた。

ついで、歩いて古書・善行堂へ。山本善行さんと出版や文学のことについておしゃべりするたびに元気をもらう。よい本を読みたいし、よい本を作って届けたい。明日もがんばろう、という気持ちになるのだ。書物エッセイストとしての山本さんが監修した田畑修一郎『石ころ路』を買った。早世の小説家の3編の作品を収録し、表題作は三宅島を舞台にした小説。灯光舎の「本のともしび」シリーズの一冊で、美しい装丁の本。詩人・荒川洋治さんが執筆した書評のコピーを山本さんに見せてもらい、興味を引かれたのだった。帰り際、「こんど京都に来たら、深夜喫茶/ホール多聞に行ってみるといいよ」と教えてもらった。

京都の誠光社で堀部篤史さんに挨拶し、梶谷いこさん『和田夏十の言葉』(誠光社)を購入。昭和の名脚本家のことばを手がかりにして、日々の感情生活をこまやかに観察する随筆集。これで今回の京都書店巡りは終わり。

6月某日 岩手・盛岡から、さらに新幹線を乗り継いで秋田方面へ。車窓から見える岩手山と田んぼの緑がなんとまぶしいこと! いつかあの緑の中を歩きたい、と憧れの気持ちを掻き立てられる。

秋田・大仙のBAILEY BOOKSを訪問。アロマの香りが心地よい店内、書棚の前で静かで豊かな時間を過ごすことができた。店主の渋谷明子さんにおすすめいただいた、くどうれいんさんのエッセイと小説を購入。お店があるのは大曲駅の目の前で、学習塾の多いエリア。地元の高校生たちもここで本を買い、本を読むというお話を聞いた。

BAILEY BOOKS では、最首悟さん『能力で人を分けなくなる日』(創元社)を面出しで棚に並べている。「いのちと価値のあいだ」をテーマに中高生との対話をまとめた本。最首さんの著作を含む創元社のシリーズ「あいだで考える」の作品はどれも、高校生をはじめとする若い世代の人たちにぜひ読んでもらいたい。読者とのよい出会いがありますように、と念をこめておいた。

盛岡に戻り、駅地下の冷麺店で「温麺」を頼んだ。注文を取ってくれた人に「温麺?」と4回ぐらい聞き返され、不安になる。移動が続いて疲れたので、宿でくどうれいんさんのエッセイ『コーヒーにミルクを入れるような愛』(講談社)を半分ほど読み進める。小説『氷柱の声』(講談社)は家に帰ってから読もう。

6月某日 岩手・紫波町で開催される「本と商店街」という即売イベントにサウダージ・ブックスとして2日間出店。岩手、青森、秋田、東北各地からやってくるお客さんと、本をあいだに挟んでゆっくり語ることができた。

会場の同じ部屋の出店者、rn pressの野口理恵さんのエッセイ『私が私らしく死ぬために』(rn press)を買って初日の帰りに電車の中で読む。凍結した遺体をフリーズドライ機にかけて堆肥化するなど世界の遺体処理方法の最新情報のほか、死のリアル(実務)をめぐる野口さんの洞察やオランダでの体験など読みどころが多い。

6月某日 「本と商店街」の2日目。窓越しに青空が広がる。盛岡駅から始発のローカル線車内で座っていると、出発間際に見覚えのある人物が駆け込んで来た。夏葉社の島田潤一郎さんだった。

島田さんは同じイベントに出店していて、昨日はトークをおこなっていたのだが、会場では会えずじまい。「こんにちは、久しぶりですね」と声をかけると、右手をあげて制して「ちょっと……ちょっと待ってください!」とぜいぜい喘いでいる。となりの座席に腰掛けてぜいぜい喘いでいるあいまに、島田さんは紙袋をそっと開いて、「朝から……福田パンに並んで……コッペパンを……買って……どうしても……これ買いたくて……」と3種類の大きなコッペパンを秘密めかして見せてくれた。朝昼晩とひとつずつ食べるそうだ。

島田さんとは3年に1回ぐらいのペースですれ違うようにして会い、短くことばを交わす間柄だ。出版の世界で、ぼくがもっとも尊敬する人のひとり。この日も道中、息を吹き返した島田さんとあれこれおしゃべりしをして楽しかった。楽しかったし、とても大切なことを話したような気がする。紫波中央駅から会場までののどかな道のりをゆっくり歩きながら、本について、本屋さんについて語り合った20分ほどの時間は、風景の記憶とともに脳裏に焼き付いている。

「本と商店街」では、鉱物のような光を放つお客さんの真摯な「まなざし」にいくつも出会った。そういうお客さんとは、セールストークをこえて、真剣勝負のことばを交わすこともあった。出版者として、編集者として、本を通じてこの時代に何を届けるべきか。原点を見つめ直す機会になった。

上海出身のジャズボーカリストと「さびしい」の意味について語り合ったことも忘れがたい。「さびしい」は、中国語では「寂寞 Jìmò」というそう。旅に生きる彼女との対話から、さびしさという感情は必ずしも個人の所有物ではないのでは?という直観が芽生えた。ひとり悲しんでいるようなイメージで捉えられることが多いが、集団的な感情として考えることができるのではないか。これから育んでいきたい問いだ。また、隣県・秋田からのお客さんのなかに、これから地元に本の場所をつくります、という若い人たちが何人かいた。岩手でも秋田でも、本の世界の未来は明るい。

ひとりで店番をしていたので、残念ながらほかの出店者(出版社や書店など)のブースを見ることがほとんどできなかった。30分ほど早く店じまいして複数の別の会場を回ろうと思ったら、天候が急変してあいにくの大雨となり、町歩きをすることが叶わず。いつかまた、出会いの機会が訪れますように。

6月某日 自宅に戻ると、韓国の詩人パク・ジュンの『泣いたって変わることは何もないだろうけれど』が届いていた。すばらしい詩集で、一気に読み終える。訳者の趙倫子さん、出版社クオンのIさんに感想を伝えた。

6月某日 読書会にオンラインで参加。課題図書はブルカーコフ『巨匠とマルガリータ』下(水野忠夫訳、岩波文庫)。語ることそのものが人間(および猫)に憑依しながら時空を超えて旅するようなSF的な大長編。訳者解説によればロシアで1400万部以上も発行されているそうだ。これにはびっくり。

6月某日 三重・津の HIBIUTA AND COMPANY では、自分が主宰する読書会「やわらかくひろげる」の第12回を開催。こちらの会にもオンラインで参加。宮内勝典さんの長編小説『ぼくは始祖鳥になりたい』の第16章「エメラルドの密林の奥」、第17章「国境の沖」を参加者とともに読んだ。人間のアイデンティティとは何か、それを乗り越えることはできるのか。1年かけて、ようやく壮大な問いのゴールが見えてきた。この自主読書ゼミでは、2021年7月より以下の本を読んできた。山尾三省『新装 アニミズムという希望』、真木悠介『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)、そして宮内さん『ぼくは始祖鳥になりたい』。10月以降の新シーズンでは、石牟礼道子『苦海浄土』(講談社文庫)を課題図書にする予定だ。

6月某日 韓国の作家イ・ジュへの作品集『その猫の名前は長い』(牧野美加訳、里山社)が届く。これから読むところだが、解説は大阿久佳乃さんということもあり期待が高まる。『里山通信』1号も届いた。

6月某日 沖縄慰霊の日に詩を読む。

 地中の暗闇から 真夏の青空へ
 やがて父や母たちが 捕虜となって
 はい上がってくる ノミやシラミ
 ウジ虫に喰われた 身体を引きずって
 その母の子宮の中 小さな
 私の命が宿っている
 ガマから生まれた 戦後の命が

 ——高良勉「ガマ(洞窟)」より

6月某日 二松学舎大学での編集デザイン論の授業前、旬の文芸書を求めて機械書房へ。受講生の中には文学や写真好きの学生もいるので、いつか一緒に行きたいと思う。お店では、新しい文芸誌『SLOW WAVES issu03』を購入した。

夜は東京・青山の FLAT BASE で開催された文筆家・編集者の仲俣暁生さんのトークイベント、「「軽出版」は出版の未来を救うか」に参加。こちらについては以下で、レポートを公開している。

https://note.com/asanotakao1975/n/n5776a5c6814a

サウダージ・ブックスの本づくりの姿勢を再確認したいと思って会場に駆けつけたのだが、予想通りいろいろな発見があった。仲俣さんは4月に『橋本治「再読」ノート』という文芸評論の著作を破船房という自主レーベルで出版して販売しており、話題になっている。イベントの前に『橋本治「再読」ノート』と、同じ破船房から刊行された作家・藤谷治さんの『新刊小説の滅亡』を読んだ。どちらもよい本だった。

6月某日 島田潤一郎さんの『長い読書』(みすず書房)を読了。3部構成で、各部から極私的ベストエッセイを選ぶとしたら「アリー、僕の身体を消さないでくれよ」「沖縄の詩人」「そば屋さん」。島田さんの飾らない、しかし魂のこもった文章の余韻を味わううちに、本について本をもっと読みたくなり、永井宏さんの散文集『BOOK OF LOVE』(河出書房新社)を久しぶりに棚からひっぱりだした。

6月某日 詩人の川満信一さんの訃報に接する。サウダージ・ブックスより『マイケル・ハートネット+川満信一詩選』(今福龍太編)を刊行し、それ以来、多くのことを教えていただいた。川満さん、本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

 生と死の細い境をふはりと越えて
 その向こうにひょこりと立つと
 あ ここが天国
 あそこが浄土
 ふり向く地獄の無量寿光

 奥やんばるの海に
 切ない涙のような水脈は流れ
 その先はぼう洋とかすむ

 あの岬を過ぎると
 そこから先はもう未知への旅だ

 ——川満信一「風」より