話の話 第15話:本の虫

戸田昌子

その昔、わたしが若い頃、町の本屋は立ち読みには寛容で、中学生のわたしはよく本屋に行っては文庫本を立ち読みしたものだった。2時間ほどで2、3冊は読み切ってしまうくらいのペースだった気がする。なぜ文庫本だったのか。それは当時、わたしが読んでいたのが主に小説だったからだし、大きなハードカバーの本を立ち読みする勇気はなかったからである。そんな中で立ち読みの対象になりがちだったのは瀬戸内晴美(のちの寂聴)や五木寛之など、ちょっと読みたいけど、読み返す必要はないな、という類の本だった。それでも出家する前の瀬戸内晴美はいま思い返せば、とても純粋な心を持った人だなあという印象はあって、「信頼」ということについて独特の考え方を持っていたから、影響を受けた。だから後で実は出家していたのだと聞いたとき、さもありなん、と納得した覚えがある。当時、わたしが通っていた本屋には、ハタキをばたばたと振り回しながら「ゴホン、ゴホン」と咳払いをするなんていう、漫画に出てくるような意地悪な書店主はいなくて、静かな立ち読みの時間を過ごせたものだった。

物心ついたときから、ひたすらに本を読む子どもだった。絵本の読み方も独特だったようである。通っていた保育園で定期購入していた、うすっぺらい福音館のこどもの本のシリーズは、きょうだいが多かったせいで、数百冊にのぼる冊数が家にはあった。だからわたしは時々気が向くと、100冊ほどを床に積み上げ、1冊ずつ読んでは隣に置いていく、という読み方をした。もちろん最後の1冊までちゃんと読むのである。これは自分が読んでない本をチェックするための作業なのだが、そういう読み方は、たぶんあまり、普通ではない。

そういうわけで「本の虫」とわたしが呼ばれるようになったのは、かなり古いことのようだ。小学校低学年のうちに小学館の「世界少年少女文学全集」は読み終わってしまったので、もう一度、いや、もう二度、いやいや、さらにそれ以上にと、繰り返し読む。好きなものだけではなく、好きではない巻も何度も読んで、これは好きじゃない、ということの確認作業もする。あるとき、このシリーズを読んでいたときに、母が階下から、子ども部屋にいたわたしを大きな声で呼んだ。ふだんは呼ばれたらすぐに返事をするのだが、そのときはたまたま「返事をしなくてもかまわないだろう」と思った。なぜそう思ったのかはわからない。たまには無視しても怒られないかな、という浅はかな考えだった気がする。しかしそう思ったのが運の尽き、そのとき母はきっと虫のいどころが悪かったに違いなく、ドスドスと階段を登ってきて、わたしが持っていた本を取り上げ、怒ってびりびり引き裂いた。いくら意図的に無視したからと言って本を破くなんて、とショックを受けるわたしだったが、「あえて」無視したという後ろめたさもあるのでバチが当たったんだな、といたく後悔したものだった。ちなみに、そのとき破かれた本のタイトルは「愛の一家」だった。

小学生にしてはたくさん本を読む子だった。いじめられっ子で友達がいなかったことや、家では漫画やテレビが禁止だったので、本くらいしかエンタメがなかったせいもある。親が言うには、もう学校に行ったと思っていたら玄関に座りこんで本を読んでいた、なんてこともしばしばあったそうなので、少々、異常だったかもしれない。道を歩きながら本を読むのも得意だったし(漱石のようだ)、夜、布団に入った後も、かけ布団の中で豆電球をともして本を読んだりもした。そんなふうだからある日、小学校の先生が、「みなさん本を読みましょう。毎日、読んだページ数を報告して、1ページ1キロに換算して、地図につけて、みんなで日本一周しましょうね!」というアイデアを出してきたときは、こんなわたしでもクラスに貢献できると発奮したのである。先生は「1日5ページでもいいんですよ、みなさんで頑張りましょうね!」とおっしゃる。翌日、全員が読んだページ数を報告する段になって、みな27ページとか、がんばって50ページ、などと報告している中で、わたしはひとりで500ページ超えの数字を報告する。先生は一瞬とまどい、読んだ本のタイトルとページ数を書いた紙を見つめて沈黙する。数字のかさ増しを疑われているのかと思い、つい「解説のページは数えていません」などとごにょごにょ言ってはみるが、ドツボにハマった感が否めない。そして気を取り直した先生は、「戸田さんは特別だから、みんなこんなに頑張らなくていいよ!」とおっしゃった。いや、頑張ったわけじゃなくて、毎日これくらいは普通に読んでいるんです、と言うほどの勇気もなかったわたしは、翌日、さらに600ページ超えの数字を報告してしまう。次第にしらけていく教室。日本の海岸線は35,293キロメートルである。わたしひとりでもこの調子なら2ヶ月あれば一周できる、などという計算をわたしがしたかどうかは覚えていない。3日目、わたしの報告した数字が何ページであったかは覚えていないが、ともあれその読書マラソンが1週間と続かなかったことだけは確かである。

そんな調子だから、小学生のうちに、家中の本を読み尽くしてしまった。父の本棚に並んでいた「日本思想体系」にも手を出したが、さすがに「おもろさうし」は読んでも意味がわからなかった。父の持っていた岩波のアンデルセン全集は旧仮名旧漢字で書かれていて、最初はわからなかったのだが、他に読むものもないのでこころみに手に取ってみる。小学6年生くらいのことである。眺めているうちに、ああ、「體」は「体」だな、などと、なんとなくわかってくる。「畢竟」という字も、いつのまにか読めるようになる。辞書を引く習慣はなかったので、想像で補っているうちにほとんど正解が出せるようになってしまう。そもそも、わからない言葉を両親に尋ねようにも、共働きで不在なので、質問をする習慣はなかった。そのおかげで習わずとも、旧仮名旧漢字はすらすらと読めるようになってしまい、これは中学に入ってから、古文や漢文の授業で役に立つことになる。

中学に入るといよいよ、読む本がなくなってしまう。そのころハマったのが井上靖や遠藤周作である。でも家には数冊しかない。そうすると父があわれんで、「書籍代」を出してくれるようになった(そもそも小遣いは存在しない)。父は社団法人の研究員をしていたので、自分の書籍代が使いきれないときは、レシートをくれれば何を買ってもいいよと言って、わたしに本代を融通してくれることがあった。たぶん、半年に1度くらいの頻度で、1万円をくれていたと記憶している。もらったわたしが向かうのは八重洲ブックセンターである。なぜならそこは本のワンダーランドで、私の母は、近所の本屋には置いていないような本が欲しいとき、八重洲ブックセンターに電話で注文しては、わたしに取りに行かせていたからである。だからわたしは、父に1万円札を握らされると、いつも八重洲ブックセンターへ向かうのだった。

そんなある日のこと。わたしが八重洲ブックセンターで本を選んでいると、高校生くらいの少年が本棚を見つめているのに気がついた。自分のことは棚に上げて言うけれど、ここは少年少女が出入りするような本屋ではない。どうも気になってしまう。するとその子もなんとなく自分を気にしているような気がする。そう思うと急に緊張してしまう。本を選びながら、その子の後ろをさっと通り過ぎる。やはり気にされているような気がする。すっとした好ましい顔立ちの少年であるのは、通り過ぎた瞬間の印象である。わたしはさりげない風を装って本棚の間を歩き続けるが、緊張してしまってうまく本が選べない。仕方がないので、視線を振り切ってエレベーターに乗り、2階へと上がった。少年はついてはこなかった。

恋どころか友情さえもろくに知らない中学生の少女のことだから、そのときは緊張して逃げてしまったけれど、あのとき話しかけてみたりすれば恋が始まったりしたのかもしれない、そういえば八重洲ブックセンターには中2階にナイスなカフェも併設されているのだから、そこでお茶をすることもできたかもしれないのだ、などなど、後になって思い返すことが何度かあった。とはいえ、そんな勇気が中学生の少女にあるわけもないのである。もし万が一、声をかけたとしても、喫茶店で向き合ってから、さあ本の話をしよう、などと思っても、ろくな話になるわけもないのである。少女漫画のハラハラドキドキなど、完全に架空の世界の物語であった。

しかし世の中には奇妙なことがあるもので、自分はそのときの少年だと名乗るおじさんに、その後、わたしは再会することになる。「むかしよく八重洲ブックセンターに行ってたんだよね」とわたしが言うのをきいたその人は「僕もよく八重洲ブックセンターに行ってた!」と言った。「え、じゃあ、会っていたのかもしれないね」とわたしが言うと、彼は「買い物カゴで本をたくさん買ってた中学生くらいの女の子でしょ。」と言い始める。確かに、当時、わたしは買い物カゴで本を買っていたが、それは普通ではないのか。とわたしが言うと「買い物カゴで本を買う中学生の女の子なんて他にいるわけありません」と断言する。高校生のころ、八重洲ブックセンターで買い物カゴに本をぽんぽん入れていく中学生の女の子を見かけた彼は、その姿に「打ちのめされた」のだそうだ。そんなふうに誰かを「打ちのめしていた」ことには気づいていなかったわたしの買い物カゴに、そのとき入っていたのは『オーウェル対訳集』、『旧約聖書 出エジプト記』、そしてカフカの『城』あたりだったと記憶している。

クラスメイトと読んでいる本が違いすぎて困ったことがある。小学5年生くらいのころ、講談社の「コバルト文庫」というのが大流行した。ここのところ、クラスの女の子たちがみんなで文庫本を回し読みしている。かわいらしいイラストのカバーもついていて、みんなでキャッキャッと言いながら本を見せ合っている。ちらちら見ていると、どうやら挿絵もついているらしい。あの文庫本はなんだろう? しかし友達のいないわたしに、それを解説してくれる人もいない。でもどうやら文庫本ブームは来ているらしいから、わたしも文庫本を学校に持っていけば、仲間に入れるかもしれない。そしてあわよくば、友達ができるかもしれない。そう思ったわたしは、家にある文庫本を適当に選んで学校へ持っていく。そして教室でこれみよがしに読んでいると、クラスメイトの一人が声をかけてくる。「戸田さん、何読んでるの?」しめしめ。「うん、これね、半村良の『獣人伝説』!」そのあとのクラスメートとの会話の展開は、なぜか全く覚えていない。

代弁、ならぬ代読をしたこともある。わたしが中学生くらいのころ、父が読まなければいけない新刊書がしばしば山積みになってしまうようなことがあった。すると父は夜中にわたしの部屋へやってきて、デスクに本を積んでいく。特に「読め」と指示されたわけでもないのだが、暗黙の了解というやつで、本が積んであれば、わたしはとりあえず3日以内に全部読む。読み終わったころに、父がやおら「どうだった」とわたしに尋ねる。しかも父はそれを、いかめしい雰囲気で、重々しく言うのである。わたしはあらすじや感想を簡単にまとめて伝える。父は小さなノートを出して、わたしのコメントを小さな文字でしたためていく。しかし、それを彼がどのように「活用」していたかについては、わたしの関知するところではなかった。

考えてみれば、兄にもよく本を押し付けられていた。自分が読んで面白かった本は全部、わたしに読ませないと気が済まない兄である。わたしは遠藤周作が好きだったのだが、『イエスの生涯』や『キリストの誕生』『海と毒薬』などの硬派な本に偏っている。一方、兄は「孤狸庵先生」シリーズと呼ばれていた、遠藤周作の面白おかしいエッセイが好きである。趣味は違うものの、兄が持ってくる孤狸庵先生の本は、わたしも楽しく読むことができた。その他には、アガサ・クリスティーなども兄から渡されて熱心に読んだ。しかし問題もあった。わたしはホラー小説が苦手なのだが、兄がスティーブン・キングにハマったときは、次々に差し出される『ペット・セメタリー』や『イット』などの、背筋も凍る分厚い文庫本に圧倒されたものだった。しかも兄は、わたしが読まないと不機嫌になるのである。仕方がないから読む。そしてわたしは夜、眠れなくなってしまう。

中学1年生のころ、2つ年上の姉が登校するときに、いつも一緒に行く友達がいた。ある日、姉が体調不良で休んでいたとき、わたしがその彼女と一緒に学校へ行くことになった。彼女が「昌子ちゃんって本が好きなんでしょ? いま何の本読んでるの?」と聞くので「古事記です」と正直に答えたが、もちろんそれでは普通の中学生には二の句が告げない。とりあえず「古事記っていうのは、日本の古い神話時代の話が書いてあるもので、」と説明してはみるのだが、かえってドツボにハマってしまう。仕方なしに「あ、でも、井上靖も読んでます!『額田女王』がいちばん好きです」と言って、そのときカバンに入っていたその文庫本を見せたのだけれど、彼女は今で言うところの「ドン引き」の表情をしている。ああ、またやってしまった、と当時のわたしが思ったか、どうか。普通に考えれば赤面するところだが、当時はまだ、そこまで考えていなかったかもしれない。

そんなわたしでも、高校生になると、自分をはるかに凌駕する本読みの友達に出会うのである。その人とは演劇部で知り合って、たまたま家の方角が一緒だったので、学校帰りにおしゃべりをするのが楽しみだった。彼女が日本史オタクであったので、わたしも日本史オタクになり、彼女は梅原猛を端から順にわたしに貸してくれた。下校途中の電車のなかで、弓削皇子ってかわいそうだよね、いや、草壁王子もわりと辛くない? などと熱く語り合う女子高校生2名。そんなふたりがひたすらに語り合っているのを横合いからずっと聞いていた別の友人が、しまいに「お前らさあ! 会話ってのはキャッチボールなんだよ! ドッチボールじゃねえんだよ!? ふたりとも自分の話しかしてねえじゃん!」と呆れ果てて言ったのは、また、別の話。

わたしを神保町の古本屋街へといざなったのは、この彼女である。そして古本屋を回るだけでは飽きたらず、古書会館で金曜日に本を買うテクニックを教えてくれたのもまた、彼女である。彼女はわたしが知っている人の中では、夫を除けば最も博識な人物だったのであるが、神保町のドトールでバイトしながら本を買うのが一番いいから、という理由で大学へは行かなかった。必ずしも頭のいい人が大学へ行くわけじゃないんだな、ということを知らされたのは、彼女によってである。そういえばこの彼女とふたりで、早稲田にある高校の先生の家を訪ねたことがあるのだが、彼は古本マニアで専用の図書室を持っており、本を3冊まで借りてよろしい、と許可してくれたので、借りたことがある。そのとき借りた本はタイトルは忘れたが刺青の歴史についての本と、日本史関係の本、そしてロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』であった。その昔、その描写が「猥褻か芸術か」が話題になった「チャタレイ裁判」についてはぼんやりした知識しかなかったので、それが理由で借りたというわけではなかったのだが、なんとなく有名な本だから読んでみよう、というような気持ちだったと記憶している。それは伊藤整による翻訳ではあったものの、しかし肝心な部分、すなわち「みだらな性描写」はきっちりカットされていたバージョンであった。それでも男と女のむにゃむにゃとした繊細な機微の描写は面白かったし、森番とできてしまう主人公の満たされない思いにも説得力はあったようだ。本を返却に行ったとき、先生が「どれが面白かった?」と尋ねたので「『チャタレイ夫人の恋人』が面白かったです」と即答したら、「あっ……えっ……あっ、そう、そうなの。そう……」と動揺されていたのが、当時は不可解であった。しかし大人になったいまでは、そりゃ女子高校生が「『チャタレイ夫人の恋人』が面白かった」と平然と言ったなら、先生としては何も言えなくなるよね、ということは、さすがにわかるわたしではある。