話の話 第23話:始めてしまう

戸田昌子

まず、朝、起きます(いつもとおんなじように)。すると、太陽がピンク色に光り輝く朝焼けがあるので、急いで「みてみて朝焼けだよ」って、友達に知らせる。

それからベッドをするりと降りて、湯を沸かし、大きめのイギリスのティーポットに、PGティップスのティーバッグをぽんと放り込む。ポットにはあらかじめ、きび糖を少し入れておく。それからぐらぐら沸き立った熱湯を遠慮なく注いでから、ゆっくり待って、スプーンでぐるぐるとかきまぜる。ついでにミルクもそこに注いでしまう。これは、家の誰もがまだ起き出してはこない時間の、わたしの朝の儀式。

朝は、いつも同じように始めないといけない。だからシンクのなかに洗い物が溜まってたらイヤだし、なにか大きく違ってたら困る。ベッドの中で夕べの夢を反芻しながら、今日の予定が何個あるのかを数え上げていく。事務書類や校正の締め切りが2件、いや、3件。問い合わせのメールはまだ3件返事していないな。授業の支度は半分しかできてないから、あとは電車のなかで考えるとして、本はあれとこれを持っていかなくちゃ。今日は誰に会うんだったっけ? そんなことをひとしきり考えてから、えいや、とベッドを出るのである。

時間があるときは、それからかんたんにシャワーを浴びて、今日の洋服も決めてしまう。服の決め方は寒暖というよりも、まず「この色が着たいな」というところで決めるようにしている。今日会う予定のあの人は、よく白っぽい服を着ているから、私は別の色にしよう、とか。若い人たち相手にはモノトーンが多いし、お年寄り相手には明るい色の服を選ぶ。自分の気分というよりも、どこにいて、誰と話をするだろうか、というのをもっぱら気にしている。

だから去年の後半、わたしが主宰して熱心にやっていた「火星人の会」では、なんとなく「宇宙人っぽい」というのをテーマに服を選んでいた。これは伝わる人に伝わっていたようで、「なんだか宇宙っぽいお召し物ですね」などと言われたものだ。もともとわたしはキラキラした服が好きで、シルバーのパンツやタートルネック、タンクトップなどのアイテムを幾つも持っている。それらを揃えて、「ソラリス」みたいな雰囲気が出せたら面白かろうと思っていたのだけれど、最後はネタが尽きて、なんだか山登りの人みたいなぽってりとしたチョッキなどを着てしまったりして、およそ一貫性のないことであった。

この「火星人の会」というのは、「写真と人間について深く考える会」という、壮大でありつつも曖昧なテーマのもとに始められた、きわめていい加減な会である。中野にある「ギャラリー冬青」で開催されている。ギャラリーが平廊した夜7時から、隔週火曜日に場所を借りて、「とにかくなにやりましょうよ」ということで始まった。こんな思いつきにあっさりと乗ってくれるオーナーの野口奈央さんは、わたしよりはるかにお若いというのに、人間の器の大きさが特大である。とはいえ、こちらも宇宙人という設定なので、たぶん負けない。ともあれ、思いつきだけで準備もしないで始めてしまったし、そうね、夜だしお腹も空くでしょう、となどと考えて、とりあえず軽食を作って出すことにした。なにしろ、「行きますよー」と表明していた人たちが軒並み無職だったので、なにか食べさせなくては、と考えた。「とりあえずおにぎりでも出せばいいかしら」と言ったら「それはおにぎりミサですね」と人が言った。なぜ「ミサ」なのか? と考えていたら、毎回来てくれるメンバーの一人が、そのうちにミサワインを持ってきてくれるようになり、なんだか宗教的な雰囲気が加味されてしまったような気がする。しまいには、クリスマス会と称してプレゼント交換会もやってしまったのでますます宗教がかってしまい、テーマはどこへ行ったんだろう、と主宰者としては軽く頭を抱えていたのだが、参加した人たちはそれなりに楽しかったようだ。ちなみにミサワインは、普通のワインと違っていて、とても甘くて、おいしい。

わたしはそんなふうに、いつも思いついたことを思いついたまま、始めてしまう癖がある。「だから戸田さんはファーストペンギンなんですよ」と、鳩尾がいつもの調子で、ゆっくりと言う。崖っぷちにわらわらと集まっているペンギンの群れのなかで、一番最初に海に飛び込んでいくあいつ。勇気があると言えば聞こえはいいが、調子ぶっこいてノリだけで前へすすんでしまう向こう見ずのあいつを、「ファーストペンギン」と言うのだそうだ。そこでわたしはちょっとだけ反論する。「どっちかってえとわたしは、目立とうとして崖の端っこまでやってくるわりには飛び込む勇気がなくてグズグズしてるペンギンを、後ろから蹴り出す係のペンギンだと思うな」とわたし。「ああ、わかる。でもそいつさ、あとになってから、オレのこと蹴ったやろ、とか言うよな」「言う言う」「あれだよほら、押すなよ押すなよ〜」「それはダチョウ倶楽部でしょ!」などと、架空のペンギンの話を延々としている。

ペンギンと言えば、そういえば最近、いろんな鳥が流行っている。ひところはシマエナガ。これは白くて小さくてふくふく可愛い、北に住む鳥。それから、ハシビロコウ。これはふてぶてしい顔をした大きな鳥で、聞けば、ガサア! と大きな羽音で飛ぶのだそうだ。いきなり飛ぶからびっくりするのだ、というのはこれまた鳩尾の話。それからまた最近、別の鳥が流行っているが、名前を覚えることがなかなかできないやつがいる。なんとなく見るとダチョウのようだけれど、名前が思い出せない。「なんていうか、ダチョウみたいな、ダチョウでないような、さ、おしゃれなダチョウよ。わかる?」と人に尋ねても、要領を得るわけもない。仕方がないので「ダチョウ+おしゃれ」でgoogle検索をかけてみる。すると出てきた「エミュー」。みなさん、あれはエミューですよ。

もうじき節分である。ということは、もうじきバレンタインということでもある。そしてなによりもうじき、わくわく確定申告である。最近ではわたしも、携帯で簡単に申告を済ませてしまうのだけれども、最初のころは大変だった。初めての確定申告のときなどは、源泉徴収票ほか、必要だと言われた書類を握りしめて朝から税務署に行き、長蛇の列に並んだものだった。ドキドキしながら待っていると自分の番になったので、若い係員のお姉さんに言われるまま、手取り足取りコンピューターを操作を行い、最後に源泉徴収票をホチキス留めにして提出……しようとしたのだが、最後の段になって、ふと「この書類、コピー取っておいたほうがよかったのかしら」と不安になった。いまさら「コピー取りに行かせてください」と言うわけにもいかないので、携帯電話を取り出して「写真撮ってもいいですか?」と係員のお姉さんに尋ねた。するとお姉さん、ニッコリと微笑んで「ピースでいいですか?」と顔の横にピースサインを出してポーズを取ってくれる。「ああ、いや……あの……お姉さんの写真じゃなくて、書類の、写真を……」としどろもどろになるわたし。よくお姉さんのお顔を拝見すると、なんとなく地下アイドルといった感じの活動をやってそうな、オタクっぽいお姉さんだった。きっと税務署の期間限定バイトさんだったのではないだろうか。渾身のボケにツッコミで返せなかった自分に赤面しながら終えた、初めての確定申告の思い出。

確定申告でも洋服の整理でも、なんでもいいのだけれど、もしなにかを成し遂げるコツがあるとすれば、「始めてしまう」のがコツだと思っているところがある。まずは何も考えずに手をつけてしまうのである。領収書の整理。書けそうもない原稿。キックボクシングは2年ほど前に始めたのだが、思い立ったその日に、当たりをつけたジムに電話をかけていたらしく、先日ジムのオーナーに「そういえば、戸田さんが電話かけてきたのって去年の12月24日だったんですよ」と言われた。12月24日か……わたしよ、もっと他にすることあるやろ。

「Don’t think twice, it’s all rightやで」と、最近よく鼻歌を歌っている。これは永井宏という人が弾き語りのギターを披露しているのをYouTubeで目にしてから、歌うようになった「くよくよするなよ」という歌(https://www.youtube.com/watch?v=37MM8Y8BvLg)。元はと言えば、ボブ・ディランの「Don’t Think Twice, It’s All Right」である。日本語の定訳は無いようだけれど、ナガイさんはオリジナルで日本語の、関西弁ふうの歌詞をつけて歌っていた。「座り込んでそんなに悩むんことなんてないさ(It ain’t no use to sit and wonder why, babe)」とナガイさんはギターをほろほろと指で撫ぜながらよい声で歌う。それを聞いていて、ああ、やっぱりギターやりたいな、とわたしは思いつたのであった。そして友人のギターを借りてさっさとギターを始めてしまい、しまいにはそのギターを購入し、その半年後には、ほろほろといい加減なギターに合わせたオリジナルソングをネットの大海に放流したりしてしまった。

ナガイさんは『SUNSHINE+CLOUD』という葉山の洋服店の、洋服のカタログに文章を書いていた。洋服の値段や仕様の書いてあるところに、なぜか、ちょっとしたいい感じの文章が書いてあるのだ。友達と街で会ったとか、短パンが好きだとか、そんな、他愛のないものである。今で言ったらツイッター(現X)の1投稿ないし2投稿くらいの分量の、ふとした日常の一コマを描写したようなものなのだが、読んだ後ではなんだか、ふっと心の重さが変わるような感じの、独特の良さのある文章である。2020年に、信陽堂という小さな出版社から『愉快なしるし』という本にまとまっている。

実はわたしは長いこと、ナガイさんを探していた。ナガイさんの話は、あちこちで聞く。どんな人なの? と尋ねると、「どこかでなにかやってるらしい」(←中身がなさすぎる)というような曖昧な風の噂が聞こえる。写真の本を書いたり、美術の作品を作っていたりしたとも聞く。実際にはナガイさんは葉山に住んでいて、「葉山カルチャー」というようなものを発信したり、身近な人の表現活動を応援したりしていたらしい。「だれにでも表現は出来る。ひとりひとりの暮らしが表現になるんだ」と言っては、いろんなことを人に始めるように励ましていたのだとか。

だから、信陽堂で編集者のたんじさんに「永井宏の本を出したんですよ」と『愉快のしるし』を見せられたとき、「わたし、同姓同名の永井宏っていう人を知っているんですけど、この人とはきっと別人ですね」と言ったのである。「きっとそれ、同じ人だと思います。永井さんならありえます」と、たんじさん。やはり、風の噂のような人だなあと思ったものである。

やろうかやるまいか、というようなところで悩むのではなくて、まずは始めてみる。ナガイさんにもそんなところがあったんだろうな、と思う。

その開けた感じというのは、たとえば、カーテンのない部屋みたいな感じかもしれない。引っ越したばかりのとき、前の部屋で使っていたカーテンは、新しい部屋ではたいていサイズが合わないし、古いからと捨ててしまっていたりするものだ。その部屋にぴったりとサイズの合うカーテンは、なかなかすぐに用意できない。カーテンのない部屋はスカスカして寒々しく感じるし、自分の姿は窓から丸見えになってしまう。けれども太陽が登れば目がさめるし、日差しが傾いていくのをじっと眺め続ける愉しみもある。夜の訪れとともに外が見えなくなっても、自分は外につながっている感じがする。夜は宇宙に思いをはせてみることもできる。ばばばあちゃんの『いそがしいよる』みたいに、夜空をみながら、眠りに落ちるのだ。