苦い草が生えている山に行って
この草をとってきたと
ルネが二枚の草の葉をくれた
おみやげだよ
雲南省かどこかの山林に行っていたらしい
葉は法蓮草くらいの大きさで
やや茶色に変色しているところもあって
あまりみずみずしいとはいえないが
そのまま食べられないほどでもない
何だろう、この葉は
オオタニワタリでもないし
これはherbaceousな植物なんだ
名前は・・・・・・と聞き取れない名を告げられた
名前はたいがい一度では聞き取れない
なかなかよい香りがする
ローズマリーとミントを浸した水を
苔くさい池から切り出した氷を砕いたものの上に
注いで飲んだらこんな香りがするかも
葉を噛むとサクッと深い歯応えがあって
悪くない
ただし苦い、苦みが残る
苦味の本質は過去の改訂、未来への期待
とぼくはまるで無関係なことを考える
気をつけて、とルネがいう
いきなり来るよ
ルネは中国系のタヒチ人で学生時代のともだち
ひさしぶりに東京に訪ねてきてくれた
その場で一枚の葉を食べてしまった
するといきなりはじまったのだ
あのころ、あるところで
いや、それは東京なのだが
凧揚げが流行っていた
青山通りに都バスの駐車場に
なっている空き地があり
小学生でもないのに
ぼくらはそこでよく凧揚げをした
ビル風を集めて
風は強く吹き上げる
蝙蝠のかたちをした凧はぐんぐん上がり
青空の中の小さな黒点になる
目を預けるのよと
知らないオバさまが助言をくれた
凧に目を預けて上空から下を見るのだと
何度も凧を揚げているうちにそれができる
心が自分の外に出て
この都会はバカバカしくなる
なるほど凧は心の乗り物
鬱屈した心が青空に放たれる
この葉っぱを食べることにもいわば
目を預けるような効果があるわけか
とぼくがいうと、ルネがいった
脈拍が速くなるけれど気にしなくていい
未来に移し替えられた過去に
ただ入っていくだけ
おやおや、風景が変わりはじめた
このあたりに高い建物はないんだね
人間があまり住んでいないね
都会だと思っていたら荒野だね
開発という言葉が罪悪だとはっきりわかった
わたしが糸をもっていてあげるから
とさっきのオバさま(いったい誰?)がいう
歩いてらっしゃい、飛んでらっしゃい
ルネとぼくは逍遥をはじめる
地上の視点と空の視点が
自由に入れ替わる
ずいぶん変わったね、このあたりは
いいほうに変わったよ、とぼくは答える
空にいるような風を感じながら地上を歩いている
地上にいるかと思うと風のせいで
いつのまにか空にいる
この位相変換のおかげでいろいろなことが
手に取るようにわかってきた
ここが海だった時代もあった、とルネがいった
そうだよ、海岸線も目まぐるしく変わっている
ただわれわれはあまり長く生きないので
それが見通せないだけ
だがいま凧に預けた目で地上を見ると
この土地の地表の水理のみならず
地下の水系までもが蛍光色でわかるのだ
こうしていろいろなことがはっきりする
青山通りはいま原野に戻り
人間もずいぶん少なくて居心地がいい
ああ、いいものが落ちている、とルネがいった
なんだろうこれは、毛皮だな
狼の毛皮だとルネがいった
とりあえず持っていこう
ぼくは尾頭つきの狼の毛皮を
ショールのように肩に巻いてみた
じんわり熱が伝わってくるようだ
そのまま外苑前あたりまで歩くと
小屋や屋台が並ぶエリアがあり
それぞれ勝手な商売をしている
こういうところだったんだなとぼくはいった
江戸よりもだいぶ古い
鎌倉よりも前の状況かもしれない
だが商売は繁盛していて
これが人間社会の宿縁かと思う
物欲とその延長としての金銭欲ばかりだ
それでも役に立つものを手に入れたいとか
役に立たないからこそ手に入れたいとか
市を行き交う中世人たちも
おなじようなことを考えていたのだろう
人間は欲ばかりだ
どこか暗いところのある存在だ
ぼくは市には興味がないので
素通りしようとしていたら
屋台で犬の剥製を売っている人がいるのだ
野蛮だな
どうするんですか、これ
かわいがってもらえれば、と商人(あきんど)がいう
剝製を? 飾って?
生きている犬がかわいいなら
死んでいる犬だってかわいがれないはずないでしょう
商人の論理に納得はしないが反論のしようもない
飾られているのはブルドッグ、ポインター
芝犬、ビーグル
この時代に犬種は成立していないだろうから
犬種以前の犬種か
試してみるといいよ、とルネがいった
何を?
貸してごらん、と彼はいって
狼の毛皮をぼくから取り上げた
狼の毛皮をブルドッグにかぶせる
ややだぶついているがそれはちょうど
大きすぎるフード付きパーカを
着ているラッパー程度の話
ブルドッグin 狼がたちまち生まれた
すると
ああ、なんというふしぎ
剝製のブルドッグが生き返って
尻尾をふりながら歩きはじめたのだ
ぼくのほうにやってきて手を舐める
立ち上がって前脚で
じゃれかかろうとする
ブルドッグ特有の人なつこさで
まとわりついてくる
こういう仕組みになってたのかと
ぼくは突然理解する
茫然自失している
いったでしょう、剝製は死んでいるわけではないと
商人が得意げにいい、ルネも頷いている
狼は死して毛皮を残すとは
こういうことなんですよ
また商人がいうのが説教くさいが
まあ、いい
狼の毛皮を着たブルドッグを抱き抱えると
体重は25キロくらいかな
ずっしり重いが生命力にあふれている
もぞもぞと動き
はあはあと息をしている
このまま行けると思う? とルネに訊く
ルネが大きく頷いてくれた
ぼくはいつしか凧につかまっている
凧につけたハーネスに
犬を抱いたまますわり
離陸を待っているのだ
さあ、飛んでおいで、とルネが肩を叩いてくれた
飛び出した、みるみる上昇する
ブルドッグがよろこんでバウと吠える
原野のむこうに新宿の
高層ビル街が見える
あちらには丹沢の山々
目が自由に空をさまよっている