別腸日記(3)ボグランドの水(後編)

新井卓

2015年8月、スコットランド西海岸、マル島での短い滞在の最後に、ストーン・サークル(環状立石)を求めて島の南側を訪れることにした。片面焼きのダブル・ベーコンエッグ、ハッシュブラウン、自家製ソーセージにリンゴ、パンとコーヒーの朝食をしたため、親切なB&Bの女将に別れを告げて、トバモリーの町を発った。微風に吹かれ燦々と太陽を浴びながら、何とも気持ちの良いドライヴだったのが、本土を結ぶフェリー港クレイグヌアを通り過ぎるころから、次第に雲行きが怪しくなり、程なく暗雲から大粒の雨がフロントガラスを叩き始めた。時折雲間からはまばゆい陽光が差し込むので、一条の川と化したフロントガラスは乱反射を起こしほとんど何も見えない。

北海から運ばれてくる嵐には、どこかしら、わたしたちの知らない切迫感がある、かすかに轟いてくる遠雷は、車中にあっても身をすくませる凄みを帯びている。しかし、どうせここまできたのだから、と猛烈に往復するワイパー越しに目をこらしつつ、ハンドルにかじりついて車を走らせた。やがて目的地のロックビーに到着するころには、風はすこし収まり、驟雨は小雨に変わっていた。なだらかな草地が奥の方で急に立ちあがって、山々が衝立のように立ちならんでいる、その前景のところどころに、可愛らしい家がぽつり、と点在している。墨を流したような空を背景に、それはどこか現実離れした風景に思えた。

ストーン・サークル、といえば名高いストーン・ヘンジがまず思い浮かぶ。しかし、グレートブリテン島や島嶼部に無数に存在するメンヒル(巨石記念物)は、その多くが地図に載っておらず、まして案内板などどこにも立っていないのが普通である。それらはしばしば広大な畑や牧草地のどこかに現存しており、牧場主の厚意で訪問が許されていることも多い。

メンヒル愛好者のウェブサイトに載っていた座標を手がかりに、それらしい牧場の入り口に車を停める。果たしてゲートの脇に「ストーン・サークル訪問者へ」と小さな看板が出ており、「石を目印に進め/家畜が逃げるから門は必ず閉めること」とつづく。目印の石というのはどこにあるのか──しばらく探しあぐね、ようやく50メートル程先に、ペンキで白丸が印されたそれらしい石を見つけ、歩き始めた。途端、くるぶしまで足が沈み込む。どうやら一帯はもともとボグランド(湿地帯)で、折からの雨でそこら中がぬかるんでいるらしかった。一つ、また一つと案内石を頼りに、慎重に進む。指示された順路は右へ、左へ折れ曲がっているので、タルコフスキーの『ストーカー』を想わずにはいられない。30分ほど歩いただろうか、ついに目当てのストーン・サークルに辿り着いた。

ロックビーのストーン・サークルは、1石が真北に位置する、計9石が描く円の真中心に、1石の独立したスタンディング・ストーン(立石)を擁し、さらに南東、南西、西南西方の離れた地点にそれぞれ立つ二つの離れ石で構成されている。列石が並ぶひらけた草地は周辺より数センチほど沈みこんでいるらしく、そこに入り込むと、しぶきを立てながら、浅い池のおもてを歩くような格好になった。

青銅器時代、いったい誰が、何のために石を立てたのか。太陽の運行に関連があることはほぼ確かとしても、その解釈には諸説あり、検証の手立てがないいま、結局はそのどれもが仮説にすぎない。数千年の年月によって意味だけが完全に揮発したモニュメントは、かつてそこにあった何者かの存在のシグナルとして、ただ明白に、時を超えてそびえつづけている。その実在の異様な強度に眩暈を覚えながら、わたしは長い時間、ただ立ち尽くしていた。

自分はいったい、何が起きるのを待っているのか──ふと我に返ると、あたりにはいつしか乳のような霧がたちこめている。

帰りのフェリーに間に合うためには、もう出発しなければならない時刻だった。あたりが急に暗くなった。また、雨雲が空を覆っているのだろうか。ただでさえ霧で視界が悪いのに、これでは目印の石は見つけられそうにない。しばらく右往左往したあと、思い切って近道をすることにした。羊たちが立っているあたりなら、それほどぬかるんでいないだろう──そう思って数歩進み、あっと驚く間もなく、膝まで一気に湿地にはまり込んでしまった。やれやれ、と思い片足を上げて踏み出そうとする、と、軸足がさらに深く、泥に飲み込まれてしまう。慌ててもう一歩、すると今度は踏み出した足がさらに奥へ──なんと、ものの数十秒で胸の下のあたりまで沈んでしまった。おっとこれはまずい、ちょっと死ぬかも、と内心焦ったが、何とか気持ちを落ちつかせ、身体を動かすのをやめた。動かなければ、とりあえず現状は維持されるようだ。

不思議なことに、羊たちはすぐ目の前を平然と歩き回り、暢気に草を食んでいる。人が一人死にかけているというのに、目もくれようとしない。エディンバラで毎日、酒のアテに、スコッチをたっぷりと回しかけたハギース(ミンチ羊肉の胃袋蒸し)をやっていたことへの恨みだろうか。それとも、羊どもはケルピー(馬の姿の妖怪で、河童よろしく旅人を水に引きずり込む)の手先で、まんまとその罠に落ちてしまったとでもいうのか──。

助けを求めたところで、周囲十キロ四方には、おそらくだれもいないだろう。それに、だんだんと身体が冷えてきたので、じっとしていても低体温症でお陀仏となるだろう。こうして人知れず湿地に沈み、いつかピート(泥炭)となって切り出されてウィスキーへと生まれ変わるのだろうか、ならばそれもけっこう悪くないかも、などと下らないことを考えながら、以前、どういうわけかYouTubeで見た「底なし沼からの脱出法」を試してみることにした。

まず、手に握りしめていた三脚を泥から引き抜いて水平に持ち替え、わずかな浮力を稼ぐ。それから、腕で泥を掻いて身体を少しずつ後方へ倒し、背泳ぎの体制に近づけていく。10分ほど格闘しただろうか、ようやく湯船に浸かっているような姿勢まで立て直し、あとは振りかえって、そこに生えていたイグサの束を掴んで這い上がった。

ほうほうの体で車まで戻り、全裸になって震えながら体を拭いていると、向こうからトレッキング姿の若い男女が歩いてやってきた。やはりストーン・サークルが目当てだろうか、ゲートの方へ近づいていく。「近道するな、死ぬから!」と親切に教えてあげたのに、変な顔をして黙って行ってしまったのは、もしかすると今ごろ、二人仲良くピートになっているかもしれない。

それにしても命あっての酒種、ではなく物種というものだが、こうしてストーン・サークルに詣で、ボグランドの洗礼を受けたからには、これから誰に恥じることもなく存分に飲んでよい、ということなのだろう。

クレイグヌアへと急ぐ道中、曇天が割れ傾いた太陽が濡れた道路を黄金色に輝かせていた。冷え切った身体は、アルコールも入れないうちからぽかぽかと指先まで暖かく、乾きはじめたジーンズから、泥の匂いとともに植物性の香気が立ちのぼってきた。