別腸日記(8)断酒のテキサス(前編)

新井卓

テキサス──一度も訪れたことがないのに、これほど記憶の中でなじみ深い場所は、ほかにあるだろうか。ただし、そのイメージはカウボーイやテキサス・レンジャーズといったステレオタイプな細部に縁取られたファンタジー以外の、なにものでもないのだが。

ヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』(1985)は、テキサスに実在するパリを目指して(驚くなかれ、テキサスにはトーキョーもベルリンもある)、架空の場所を彷徨いつづけるロード・ムービーなのかもしれない。来歴と名前の間に引き裂かれた、アメリカという土地が持つ二重性は、旅する者を宙づりにしてしまう。

2015年、テキサスの美術NPOアート・ペイスで三ヶ月の滞在制作(ある場所に長期滞在して、調査や作品制作、パフォーマンスをおこなう半公共的な枠組みで、世界中に存在する)の機会を得て、はじめてその地を踏んだ。わたしが滞在したのは同州のほぼ南端、メキシコ国境に近いサン・アントニオという街だった。

わたしはそこで、太平洋戦争中、原爆投下の模擬演習として日本各地に投下された「カボチャ爆弾」をテーマに映像作品を作ることにした。別の街に保存されている現役のB25爆撃機──といっても今では軍用ではなく、結婚式で空から花を巻いたり、最近ではハリケーンの被災地に食料を届けるといった平和な活動をしている飛行機──をチャーターして、上空からほんもののカボチャを投下する、そんな冗談のような映画だった(*)。

テキサスでは、大の大人たちが揃ってなにか仕事しようというとき、とりあえずジョークの一つも飛ばさなければなにも始まらない。そんな風なので、大して流暢に英語も話せないわたしとしては、テキサス特有のアクセントやスラングと相まってずいぶん戸惑ったものだ。

子どものころからハリウッド映画や昼の海外ドラマで培ってきたテキサスのステレオタイプなイメージは、当たっている部分もありそうだが、そうでもない部分も同様に多く、いまひとつ判然としない。中でも意外だったのが、彼/彼女らは酒をまったく飲まない、ということだった。

アート・ペイスには、年三回の滞在制作期間中、それぞれ三人のアーティストが住み込みで活動する。施設の二階にはキッチンと浴室が完備した個室があり、階下には広々としたスタジオが、一つずつ各人に割り当てられていた。わたしと一緒に滞在したアーティストは、テキサスのオースティン在住のアナ・クラチーと、ニューヨークのアダム・ヘルムスだった。気安い人々だったので、わたしたちはすぐに打ち解けて話すようになった。

南部テキサスの9月。夏の暑熱が残ってはいても、さらりと乾燥した大気が心地よい夕暮れ、一日の仕事を終えると無性に喉が渇いてくる。深紅からバイオレットへ、窓の外が壮大な暮色に輝くころ、グラスの縁にこんもりとスパイシーな塩を盛った(rimmingした)とびきりに冷えたマルガリータや、ホップの効いたドライなビールを求めるのは、わたしには最早自然の摂理のように思えた。

しかし、アナは飲酒という習慣を嫌っているようだったし(「人が飲むのはもちろん構わないかど、でもそれを端で見ているのはどこかしらterrifyingな(ぞっとしない)感じね・・・」)、アダムに至ってはマンハッタンのストレスからアルコール中毒になり、今アルコール依存症の更生プログラムを受けているとのことだった。

入居早々、二人はビールを山ほどかかえて私の部屋にやってきた。地元産のそれらのビールは、管理人のチャドが気を利かせて入居前に冷蔵庫に仕込んでいてくれたものだった。「これ、もらってほしいんだけど」思い詰めた表情のアダムを前に、わたしは二人の前では今後一切アルコールの話をしないよう、固く心にきめた。

(つづく)

*『49 PUMPKINS』2015. アート・ペイスによる委嘱作品. http://takashiarai.com/49-pumpkins/