新・エリック・サティ作品集ができるまで(4)

服部玲治

多忙の悠治さんと対面による2回目の打合せが実現したのは、さらに時が経ち、すでに桜が咲くころだった。
1回目の対面打合せと同様、どのような場所でお会いするか、選定には細心の注意がマストだと身構えていたところ、悠治さんから逆提案が。意外にもそれは、渋谷の西武の中にある喫茶店だった。初手の際は、避けるよう指示があった渋谷、さらに百貨店内。加えて、店名が「珈琲貴族」ときたものだから、うろたえた。
悠治さんが、貴族。引き続きメールのやりとりがメインで、イメージばかりが増殖していたわたしにとっては、このシチュエーションと店名、死球一発退場となってもおかしくないと思われるチョイスだ。特権階級を匂わす名を冠した喫茶店を指定してきたその裏には、果たしてどんな意図が隠されているのだろうか。いちいち心が揺さぶられるままに、当日を迎える。
香水の匂いが充満する百貨店の1階を抜け、店に入り座して待つ。BGMの典雅なバロック音楽にどこか居心地の悪さを感じながら佇んでいると、悠治さんは飄々と現れた。そして、あのゆったりとした口調で「貴族ブレンド」とオーダー。わたしの悠治さんのイメージがまたもや、かく乱されていく。

貴族のコーヒーを待つことなく、話ははじまる。これまでのやりとりをふまえ編んだ、再提案の“企画案”にはこうある。「1913年に作曲された“子供のための作品”を中心に、そこにジムノペディとサラバンドを入れ込みたいです。さらに、ノクターンは、新発見の第6番があるので、再度録音いただくのもよいかもしれません」。
つまり、当初、悠治さんから提案のあった「子供のための作品集」に、人気のジムノペディなどを組み合わせたハイブリッド・バージョンだ。悠治さんの考える「いま、サティを録音する意義」を受け止めつつ、そこに、久々にDENONレーベルに戻ってきたことのインパクトを加えることができたなら。折衷案はそのギリギリのアイデアだったように思う。
すると、意外な答えがかえってきた。なんでも、先日、浜離宮で行われたコンサートで、まさにサティの子供のための作品を組み込んだプログラムを演奏し、そのライブ録音を別のレーベルから出すことになったとのこと。今回われわれの方で想定していた曲とも被りが発生するので、コンセプトを変更したいという悠治さんからの申し出であった。
すわ、これは困った、という顔を作りながらも、「で、あれば、いわゆる人気曲だけで構成できるチャンスかも」と邪念がよぎったのも正直なところ。すぐさま、「ジムノペディ」「グノシエンヌ」「サラバンド」「ノクターン」で、アルバム1枚分、充分な尺なので、これで構成するのはいかがでしょう、と提案してみた。しかし、あまりにもストレートな内容提案ゆえか、なかなか首を縦に振ってはくださらない。しばらく、ああでもない、こうでもないのやりとりが続いたところで、おもむろに、わたしはひとつのアイデアを提案した。
 
1年前、ドイツのレーベルWinter & Winterからリリースされた、ソプラノ兼指揮者のバーバラ・ハンニガンが、作曲家・ピアニストのラインベルト・デ・レーウと録音したサティの歌曲集のことを思い出していた。そこに収められた「3つのメロディ」は白眉で、ハンニガンの、情感と色彩感がきわめて抑制された歌声はまるで電子音に漸近するほどで、ボーカロイドの初音ミクに近いような印象すら感じたほどだった。この前年に亡くなった、担当していた冨田勲さんが晩年に作曲した、初音ミクをソリストに迎えたオーケストラ曲「イーハトーヴ交響曲」や「ドクター・コッペリウス」の初演にかかわり、それが縁で初音ミクそのものの仕事にも携わっていたのでなおのこと、ミクの現実と非現実、彼岸と此岸の中間をたゆとうような存在に興味を持っていたことも、ハンニガンの歌でそのような印象を抱いた遠因だと思う。
メロディ自体は匂いたつようなロマンティックさをたたえながらも、それを抑制的に、禁欲的に、演奏すればするほど、かえってそのあわいに、かけがえのない何かがにじみ出てくる。根拠も確信もないけれど、今回の悠治さんのサティは、この質感が出てくれば、成功に近づくのではないか。

「では、3つのメロディをピアノにアレンジして、ジムノペディなど4曲の間に挟む形で収録するのはいかがですか」。
面白いかもしれない、と悠治さん。アルバムの内容は固まった。
結果、この「新・エリック・サティ作品集」は、「3つのメロディ」の存在がいちばんの特色となったように思う。悠治さんには直接は関係のないことだけれど、いま振り返ってみると、わたしにとっては、初音ミクとハンニガンという存在が、企画を前進させてくれた一種の立役者と言えるかもしれない。