コロナ禍でよく売れるようになったものと売れなくなったものがある。2割も売上げを伸ばしているのが殺虫剤です。そう、テレビのニュースが報じていた。取材マイクを向けられた女性が、ステイホームで長い時間家にいるようになったら、コバエなんかが気になって買いました、と答えている。そのようすを見ながら、コロナで大変なのは人間ばかりと思っていたけれど、虫たちにとっても受難の時間なんだなぁと同情したくなった。コバエか。台所の生ゴミにいつのまにか寄ってくる小さな虫が許しがたく思えてくるのか。
昆虫の活動は気温20度を超えるくらいから活発になる。仙台だったら、5月の中頃。連休あたりからホームセンターには、多種多様な殺虫剤が派手な色のスプレー缶に詰められて、除草剤の大きなボトルと並ぶようになる。「ハエ・蚊」「コバエ」「ゴキブリ」「ムカデ」「アリ」「クモ」…。
虫ごとに殺傷能力を高めた薬がつぎつぎと開発され、もういつだって私たちの手に入るのだ。プランターに花や野菜を育てながら、小さなアリやクモにもキャーッと反応してスプレーしているのだろうか。つい虫の味方をしたくなって、このままいったら、おそらくかなりの種が絶滅に追い込まれるだろうと思ってしまう。
もちろん私も、使ったことはある。たとえば、夏に涼しげなピンクや白の花をつけるムクゲ。ムクゲが枝先にやわらかな黄緑色の新芽を出すころになると、あっというまにアブラムシの餌食になる。真っ黒になるほどびっちりとアブラムシが枝先についているのでムクゲがかわいそうになり、殺虫剤をスプレーした。アブラムシは死に絶え、ムクゲは少し元気を取り戻す。でも、この春、スプレーのあと小さなハチがムクゲに近づいてフラフラして落下するのを見て、ため息が出た。そういえば、アブラムシを捕獲するテントウ虫もこない。殺虫剤を一吹き、二吹き、何度か使うだけで、アブラムシは根こそぎにできるけれど、虫から虫へとつながる循環の輪をばらばらに切断することになるのだな。なので、殺虫剤はやめ、予防用の食品由来のスプレーに変えた。
虫が嫌いでないのは、子どものころの経験があるからかもしれない。小学3年か4年のとき、カブトムシの茶色いサナギをいくつかもらって土に埋め育てていたことがある。羽化して成虫になるのが待ちきれなくて、何度か弟とこっそり土を掘り起こしてみたことがあった。そんな乱暴なことをしていたからか、だめになったサナギが多かったけれど、確か1匹が羽化して木にとまっていたのを見たときは感激した。
家の近くにはまだ田んぼがあって、夏休みにあぜ道に入り捕虫網を振り回すとシオカラトンボがたくさん捕れた。潮を吹いたような色味だから、こうよばれるのだろうか。白味がかった藍色の胴体は子ども心にも神秘的で美しかった。虫かごにいっぱいになると、全部放してやった。2階の明かりめがけて、夜にカミキリ虫が電灯に体をぶつけるようにして入り込んできたこともあった。実際に見るのは初めてだったからドキドキしながら白い模様の入った胴体に見入って、たしか子ども用の昆虫採集のキットの注射器で防腐剤を打ち、標本にした覚えがある。
昭和40年代の中頃までは、仙台はまだ水洗トイレの整備も進んではいなかったし、田んぼに農薬を撒くこともそう多くはなかったのだろう。エアコンなんてもちろんないのだから、夏休みも網戸一枚で窓をひと晩中開け放し、蚊にあちこち刺されてぼりぼり掻きながら過ごしていたんだな。その衛生施設未整備の中のおおらかな暮らしぶりを思うと、なんだか愉快な気分になる。
それがいまでは…。たとえば、養蜂をやって蜂蜜を採っている知人は、田んぼが近くにあるところに蜂箱は置けないという。稲に使う農薬で、ミツバチまでが死滅するからだ。生産農家が使うならまだしも、最近は近所でも除草剤を撒く家が増えてきた。草一本生えないように、ひんぱんに撒いて砂利を敷きつめ、プランターに土を盛って園芸品種の色とりどりの花を育てている。
私は除草剤は使うまいと決めているので、5月から6月は草の勢いに圧倒されながら、ときどき草取りをする。しゃがみこんで雑草といわれている小さな花たちに向き合ってみれば、終わりかけたハルジオンの花の真ん中にカツオブシ虫がとまっている。シロツメ草にも小さな羽アリのような虫がとまって蜜を吸っている。草刈り鎌を使ってシロツメ草を地面からはがすと小さなアリが一目散に逃げ、ダンゴ虫が土の中に潜り込む。追われた茶色いバッタが姿を現す。日陰の湿った場所は、カナヘビの住処だ。
土があるだけで、植物が育ち、虫がうごめき、やがて鳥が集まって、そこに壮大な生態系の循環が沸き起こる。ふだんは足早に過ぎるだけの通り道だって、草むらの下の地面の中は虫たちが主役の別世界だ。みんなたまに這いつくばって、目を凝らせばいいのに。人の想像の及ばないようなところで虫たちもまた酸素と光を取り込んで生きていることに圧倒されればいいのに。
それが、除草剤を撒いたとたん緑の草は枯れて茶色に干からび、虫も姿を消す。除草剤は土に染み込みどこにいくんだろう。川へ、やがて海へ。そうしていつしかこちら側に戻ってくることはないのだろうか。
親しい従姉妹がいる。たまに帰省したときに話すのだけれど、血筋が近いと感覚も似ているというのか、何となく話が合う。この間は庭の草取りと虫の話になった。「庭って、変わっていくよね」「うん、生えてる草が変わってく」「勢力図が違っていくっていうか」そんな話をしてたら、いきなりこう聞いてきた。
「ねぇ、ゴキブリってどう思う?」「ゴキブリ?」従姉妹はいうのだ。「私はここまで嫌われなくたっていいと思うんだよ」
千葉の団地に住む従姉妹は、隣の家の台所にゴキブリが現れると、その始末に呼ばれるらしい。
「はいはいって行って、ごめんってたたいて殺すんだけどさ、そこの奥さん、死骸が家の中にあるだけでもうダメっていうの。だからティッシュに包んで持ってくるんだ」
私もごめんといって丸めた新聞でたたく。でも確かに、人類の敵みたいにいわれなくたってなぁ。
つい2、3日前、玄関に大きなチャバネゴキブリが出た。あっ、と思ったらサササとたたきに姿を消した。この逃げる姿が嫌われるのかもなぁ。猫のごはんの皿が何カ所にも置いてあるから、彼らにとってはいい住処なのかもしれない。
まぁ、ゴキブリを待つ気にはなれないけれど、私はこの夏もクロアゲハの飛来と、ヤンマの到来を待つ。シオカラトンボにも会えるといいな。
と思っていたら、ぴったりの本が出た。『家は生態系』(ロブ・ダン著・白揚社)。何でも家の中には20万種の生物が棲んでいるのだとか。見えないあなたたちと、この夏も暮らしていくからね。