新・エリック・サティ作品集ができるまで(5)

服部玲治

録音は2017年6月20日から3日間、東京・五反田文化センターで行われた。悠治さん推薦のホール、アクセスの利便性とリーズナブルなホール代、響きの良さから、いまやクラシックのレコーディングで引っ張りだことなっているが、まだこの頃は比較的おさえやすい状況だった。
準備は、万事メールでやりとりしながら進行していった。新たにピアノソロ用に編曲していただいた「3つの歌曲」の譜面も、録音4日前にメールで送られてきた。よもや準備は万全と確信していると、前日になり、あることに気づく。
食事のこと、全く考えていなかったではないか。
レコーディングのコーディネート業務の中でも、1、2を争う最重要事項、それは合間の食事の選択である。これまで数回、しかも喫茶店でしかお会いしたことがない悠治さん、はたして、どんなものならば口に運んでくれるのだろうか。
いまだ仙人のイメージを有していたものだから、無添加やオーガニックの食材でないと受け入れられない、はたまた、肉は召し上がらない、など勝手な想像を膨らまし、思い切ってご本人にメールで照会するも返事はなく、しまいには悠治さんと酒縁のある新聞記者の方に悠治さんの食の嗜好をおたずねすると、「うーん、嫌いなものとかあったかなあ。なんでも召し上がっていたと思うけど」と確信の持てぬ返事。
 
思い悩んだ末、気張って当日用意したのは、小鯛の笹寿司の折詰だった。これならば、壮大な空振りとなる確率もいくらか低いに違いない。そう思っていた。
 
録音初日、まずはマイクのセッティングに午前中を費やす。今回、わたしたちチームが至上命題としたのは、DENONレーベルの特色のひとつであるワンポイント録音を実施すること。悠治さんが70~80年代にDENONに残したサティの旧盤は、スタジオ録音だったが、今回はホールでのレコーディング。そのホールの響きの特性を生かし、よりナチュラルな音として仕上げるために、マイクを多く立てるのではなく、メイン・マイクロフォン2本のみを立てて収音するワンポイントにトライしたい。とはいえ実際のホールの鳴り方、楽器の鳴り方など複雑な掛け算で、理想のマイク位置が編み出せるかはやってみないとわからない。日本を代表するレコーディング・エンジニアのひとりである塩澤が試行錯誤を繰り返し、ここぞ、というポイントが時間内で設定できたのは、実に幸運なことだった。
 
セッティングの最中、悠治さんは悠然と、ホールの楽屋に登場。スタッフ間に凛とした緊張が走る中、試奏もそこそこに、昼食をはさんで、レコーディングがスタートすることになった。ロビーに長机をしつらえ、悠治さん用の鮨の折詰、そしてその横には、わたしたちスタッフ用に、ホールの近所にあったカレー屋さんの濃厚欧風カレーを積み上げて、いざ昼食と号令をかけた。
今日はお寿司を用意しました、と伝える間もなく、先に弁当の山の前にたたずんでいた悠治さん、「カレーですか」とつぶやきながら、こちらの意に反し、横の武骨な容器を手に取った。いくつかのトッピング・バリエーションの中でも最もカロリー高そうな、漆黒の牛すじカレーだった。
同じカレーをスタッフともども輪になって食べた。仙人に捧げる端正な寿司の折詰は、結果、皆で分け合った。いつのまにか会話が弾み、緊張や臆見はいつのまにか、霧消していった。