サヴァンナのキジバトとクローヴァー——マルティニック・ノート

福島亮

2018年12月9日から2019年1月13日までの5週間、マルティニックに滞在した。マイアミからヴェネズエラにかけて南北アメリカを結ぶように緩やかな弧を描いて連なる群島があり、その中にマルティニックはある。今はカリブ海のフランス海外県であるが、17世紀から1946年まではフランスの植民地だった。この土地に滞在したのは今回が3度目。いずれも第二次世界大戦中から戦後にかけての刊行物とエメ・セゼール(Aimé Césaire, 1913-2008)という詩人について調査するための滞在である。でもそれは名目上の話で、3度目の滞在である今回、もっとも楽しみにしていたのはマルティニックに住む友人たちと会うことだった。今回は、その時の体験の一部を、ここに書いてみたい

いきなりではあるが、私はマルティニックが好きだ。なぜ好きなのか、理由はよくわからない。私がセゼールというマルティニック出身の詩人に関心を持っていること、太陽が好きなこと、海のない県に生まれたから海に憧れていること、などなど、それらしい理由は思いつくけれど、どれもしっくりこない。滞在してみれば、嫌なところも見つかる。例えば交通手段として自動車に大きく依存した社会なので、運転できない者にとってはとても暮らしにくい。でも、好きや嫌いを越えたところで、私はマルティニックとこれからも付き合ってみたいと思っている。

でもどうしてこんな告白を? もしかしたら、マルティニックと付き合っていくことに一瞬だけ疑いを持ったからかもしれない。実際、勉強や研究のためだけならば、東京やパリで十分に事足りる。悲しい話だけれども、本はAmazonで買えばどこにいても手に入る、新しい論文を読みたければインターネットにアクセスすれば大抵の情報は見つかる。時々、資料調査のためにマルティニックに立ち寄ればそれで十分ではないのか。一昨年行った2度目の滞在の時には、そのような考えに対してそれは違うと大きな声で言えた。でも、今回は少し違った。というのも、今回の滞在中、マルティニックで大規模なバスのストライキがあったからだ。バスのストライキはマルティニックでは珍しくない。だが当初はすぐに終わると思われていたストライキがずるずると延長し、ストライキの正当性を疑う声が日増しに大きくなった。運転免許を持たない私は一人では長距離移動ができず、ほとんど家に閉じ込められたまま最終日が迫り、焦っていた。火山活動でできた起伏の多い大地と強い日差しの下で歩くのは東京やパリを歩くのとはわけが違う。10数キロ先の隣の市にある図書館に行くのも一苦労だった。限られた滞在期間だから困ったな、これならば来なければよかったなと思いながら家で本を読む日が続いた。スーとカール、アイザが遊びに連れ出してくれたのはそんな風に家で時間を過ごしている時だった。

スーとカールはこれまでの滞在で知り合った友人で、アイザと会ったのは今回が初めてだった。中部のシェルシェールという市に住む私に南部の風景を見せてやろうと三人は計画してくれた。マルティニックは北と南とで風景がガラリと異なる。北にはプレー山という山があり、大気は湿潤である。他方で南部は比較的平地が多く、乾燥気味である。スーたちはそんな南部の「サヴァンナ」に私を案内してくれた。

シェルシェール市から車で1時間半ほど行くと南部のサン・タンヌというところにたどり着く。サン・タンヌは海に突き出た半島で、西側は穏やかなカリブ海に、東側は波のある大西洋に面している。車から降り、サボテンや棘だらけの低木が生えた林を海沿いに西側から東側へと弧を描くように歩いていくとカリブ海から大西洋へと海の表情が変わるのが明確にわかり、その海の境目辺りにポツンと平べったい無人島が見える。「悪魔のテーブル」と呼ばれる無人島である。その無人島を脇目にさらに進んでいくと、急に視界が開け、風が吹く。そこが「サヴァーヌ・デ・ペトリフィカシオン(石化物のサヴァンナ)」と呼ばれる場所だ。一面何も生えていない砂と石の光景が続いている。よく探せば、化石化した古い樹木を見つけることができるらしい。遠くの方には小高い山(モルヌ)に草や低木が生い茂っていて、淡い緑の隆起がうねっている。苔やシダに覆われた北部の濃密な緑の風景とは全く違う景色がそこには広がっていた。

そうか、これがマルティニックのサヴァンナなのか。「そして災厄の向こう側からサヴァンナのキジバトとクローヴァーの流れが昇ってくるのを私は聞いていた」——セゼールの詩の一節である。私はずっとこの「サヴァンナのキジバトとクローヴァー」のイメージが掴めなかった。一気に視界がひらけ、見渡す限り石と砂と丈の低い植物が続く大地、そこから想像のキジバトとクローヴァーが萌す。スーとカールとアイザの三人が私をここまで連れてきてくれたおかげで、ようやく、もしかしたらセゼールが見ていた風景はこんな風景だったのかもしれない、と思えるようになった。それが詩の解釈として正しいとか間違っているということとは無縁に、詩の言葉が現実の風景と重なりあう瞬間がそこにはあったのだ。

だから、やっぱり私はマルティニックとこれからも付き合っていこう。不便なこともあるけれど、詩人が見ていた風景、詩の言葉を生み出した土地そのものに少しでもいいから近づきたいと思うのだ。それだけではない。スーやカールやアイザにまた会って、マルティニックの風景を見ていきたい。現時点から見れば、セゼールが見た風景は確かに過去のある時点の風景だけれども、そこに友人たちと私が見る今の、あるいはこれからの風景が重なりあい、詩の言葉を通してそれらの風景が浸潤していく。いくつもの風景と時間がこだまし、そよめき、細かな根を絡ませあう。感傷的すぎるだろうか。でもマルティニックはそんな魔法のような一瞬を可能にしてくれる場所だ。だから、その一瞬にこれからも会いに行こう。