デジタルコレクションで遊ぶ

福島亮

とうとうフランスでは二度目の外出禁止がはじまってしまった。一時は1日に5万人以上もの感染者が出てしまったのだから、仕方ないといえば仕方がない。なによりも、クリスマスまでにはどうにか感染者数を少なくしなければならない。外出禁止令下のクリスマスなど、どう考えたって悪夢だからである。

こういう時のために、とっておきの楽しみを用意しておいた。国立国会図書館デジタルコレクションで遊ぶのである。デジタルコレクションとは、国立国会図書館が提供しているアーカイブで、様々な資料を自由に読んだりダウンロードしたりできる、夢のようなサイトである。

「国立国会図書館小史」を参照すると、デジタルコレクションの前身、「国立国会図書館デジタル化資料」の提供が開始したのは平成23(2011)年4月4日からであり、それに先立ち資料提供のための周到な準備が重ねられていたことがわかる。和中幹雄によると、デジタル・アーカイブの構築は、「国立国会図書館ビジョン2004」からはじまったそうだ(『図書館界』という魅惑的なタイトルを付された非常に興味深いジャーナルの、70巻1号にこのことは報告されている)。実は2011年というのは、僕が大学に入学した年である。その頃はこのデジタルコレクションの存在を知らなかった。デジタルコレクションに頻繁にアクセスするようになったのはフランスに留学してからである。フランスにいると、日本語の作品にアクセスするのに手間がかかる。かなりの数の作品が青空文庫に入っているから、日本語の作品を探すときは、まずは青空文庫を参照する。運よく見つかったら、ダウンロードする。ダウンロードしてしまえば、検索機能を使って、言葉の使われ方などを容易に調べられるからである。最近は青空文庫のテクストを利用した無料の電子書籍もあり、縦書きで読めたり、文章にハイライトをつけたりできて便利だから、必要に応じて利用する。しかしどうしても参照できないものもある。例えば図像の多い書籍。それから、文学作品ではない資料。あるいは初版本の細部。そういう時に助けてくれるのがこのデジタルコレクションである。

デジタルコレクションには様々な「資料」が集められている。図書、雑誌、古典籍、博士論文、官報、憲政資料、日本占領関係資料、プランゲ文庫、録音・映像関係資料、電子書籍・電子雑誌、以上がまずはホームページ(https://dl.ndl.go.jp)の目立つところに配置されている。さらにその下には、歴史的音源、手稿譜、脚本、科学映像、地図、特殊デジタルコレクション、他機関デジタル化資料、そして内務省検閲発禁図書が配列されている。もっとも、このデジタルコレクションの資料すべてが公開されているわけではない。権利状況によっては、国会図書館の中でなければ参照できない資料もある(例えば、「手稿譜」は林光の手稿なのだが、インターネット上では公開されていない。「鬼婆」の手稿譜もあるそうだが、内容は自宅のPCからは確認できず、非常に気になっている)。さて、上にあげた資料の中で僕が気に入っているのは、歴史的音源、および内務省検閲発禁図書である。

歴史的音源のうち、自宅のPCからアクセスできるものは現時点で4886点(2020年10月31日)。この中には、例えば坪内逍遥が朗読する『ヴェニスの商人』の録音もある。教科書でしか知らなかった人の声を聞くこともできる(例えば、火野葦平が読む『麦と兵隊』など)。中でも驚いたのは、北原白秋の朗読である。「邪宗門秘曲」のじりじりするような原色ほとばしる詩を、きわめて淡々と、でも艶やかに朗読したかと思うと、今度は短歌に節をつけ、細く細く張りつめた声で詠む。このように、歴史的音源は聞いていて飽きることがなく、ふと気がつくとコレクションあさりに惑溺してしまうことがあるから危険である。

それに輪をかけて危険で面白いのが、「内務省検閲発禁図書」(以下、発禁図書と略す)である。発禁図書の項目を開いてみると、インターネット公開資料は現時点で301点である(2020年10月31日)。検閲に引っかかった本のうち、おそらくもっとも多いのは社会主義、共産主義関連の書物である。それからやはり、性風俗に関連するもの。そして、不敬にあたるとされるもの。だいたいこのあたりが発禁の対象になっているようである。それ以外にも、労働運動や、アナーキズムなど、発禁の理由はいくつもあるだろうが、まとめるなら、「安寧秩序妨害」と「風俗壊乱」となる。

デジタルコレクションの中で興味深かったのは、フローベル作、田山花袋編『マダム・ボヷリイ』、すなわち、フローベールの『ボヴァリー夫人』の翻訳である。『マダム・ボヷリイ』というのは誤植ではない。「ワ」に濁点で、「ヴ」の音を表記しているのである。「姦通小説」として名高いこの19世紀フランス文学が発禁になった理由は、いうまでもなく、「風俗壊乱」である。表紙には「風俗壊乱」を示す「風」の文字が書かれており、「禁止物 高等警察」と朱書きされ、なにやら物々しい。この翻訳は「世界大著物語叢書」の「第一編」として新潮社から出版されたものであり、大正3(1914)年6月6日に印刷完了、発行は同年6月10日となっている。「編」とついているのは、この訳が編訳だからである。巻頭に置かれた「『西洋大著物語叢書』発行の趣旨」によると、ヨーロッパ(泰西)の文学の中には、訳したいのだけれどもあまりに長大なので翻訳するのに躊躇してしまうものが少なくない。そこで、「抄訳を、簡潔なる物語風の筆によって連綴し、梗概を語ると共に原作の感味を髣髴せしめ」たい、とのことである。同じ「趣旨」の中には、「名教に害ありとして官憲に読まれ」市場に出せない作品も、うまいこと選んで加えることにした、とある。検閲を逃れるよう細心の注意をして刺激的な内容の作品も収録しています、という苦心とも、売り文句とも、あるいは検閲への挑発ともとれる文言である。

僕はこの本の存在をこれまでまったく知らなかった。仏文学者の山川篤によると、花袋編の『マダム・ボヷリイ』はごく少数の所蔵機関にしか収蔵されていなかったそうである。デジタルコレクションで公開されたことで、これまで容易に参照できなかった作品に自由にアクセスできるようになったことは本当に嬉しい。ひとつ残念なのは、この本のどこが問題になったのかいまいちわからなかった点である。この文脈で時々取り上げられるのは、人妻エンマが、不倫相手の青年レオンと馬車の中で何やらした後、馬車の窓から千切った紙を捨てる場面である。この紙はレオンに別れを告げるために所持していたエンマの手紙なので、要は、もうこれっきりと覚悟していた不倫に再び溺れていくエンマを表す記号だといえよう。ところが、渡辺一夫によると、『ボヴァリー夫人』の別の日本語訳が検閲にかけられた時、この紙を捨てる場面がよからぬ妄想を招いたという。花袋編『マダム・ボヷリイ』でもこの紙を捨てる場面はしっかり訳されている(188頁)。はたして検閲官たちはここで妄想をたくましくしたのか、それとも「なに、手紙じゃないか」と理解して読み飛ばしたのか、はたまた、やはり姦通はけしからん、と眉をひそめたのか。知れるものなら知りたいところである。

発禁書籍がデジタルコレクションで公開されたのは、平成29(2017)年3月のことだという。それ以前、発禁図書は米国議会図書館に所蔵されていた。なぜ日本の発禁図書が米国に、とも思うが、この辺りの事情については、『国立国会図書館月報』680号、2017年12月の特集が詳しい(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10991743/1)。かいつまんで述べるならば、内務省に保管されていた発禁本が戦後米軍によって接収され、合衆国へ渡っていたのである。接収されていたからこそ、いまこうして発禁図書を楽しむことができるのだとしたら、ちょっと皮肉な感じもする。余談ではあるが、この月報に掲載された眞子ゆかり「本に残された決裁文書」は、発禁図書に書き込まれた検閲決裁文書を細かく検討し、検閲の実際を追っている。読んでいて胸が熱くなるような文章だった。発禁図書公開の裏には、図書館構成メンバーたちの並々ならぬ努力があったはずである。また、発禁図書を読みながら、つくづくこれらの図書が処分されなくて良かった、と思った。先の「フローベル」の本の扉には、「風」と烙印が押されてはいるけれども、同じ箇所には「永久保存」という印も押されている。もちろん、コレクションに収めることができた資料は存在した資料のごく一部に違いない。でも、たとえ一部であるとしても、その一部の保存すらないがしろにされてしまったら、後世の人間はもう手も足も出ないのである。保存されていなければ、こうして自由にアクセスすることもできなかった。ウイルス蔓延につき外出禁止というような「もしもの時」の楽しみが減ってしまうのは、なんといっても惜しいことではないか。