ベルヴィル日記(5)

福島亮

 フランスと日本とは8時間の時差があるために、(フランスの時間の)夕方4時頃、連れ合いに新年の挨拶をした。それからフローベールの『三つの物語』をゆっくりと読む。なにやら外が騒がしい。クラクションが鳴らされ、花火をあげる破裂音も聞こえる。ふと時計に目をやると、新年だった。

 明けましておめでとうございます。

 ベルヴィルは中華街なので、アジア食材には事欠かない。年越し蕎麦も堪能した。皮付きの鶏肉を鍋で焼き、そこに「ポワロー」をぶつ切りにしたものを入れ(2020年10月の「ポワローと過ごす日々」をご参照ください)、醤油、味醂、水で戻した干し椎茸を入れて煮立たせ、しばらく置いておくと、ポワローと鶏肉に味が染みて、非常に美味しい鶏そばの汁ができる。

 とはいえ、旧年を振り返るのは今の私には無理そうだ。というのも、持ち越してしまった宿題が多すぎて、首が回らないからである。子供の頃から行動を起こすのがひどく遅かったが、ここ最近、というか留学してから、それがさらにひどくなっているような気がする。首が回らないと自分が嫌になる。こういう時に必ず思い出すのは、「師の言葉」である。

 大学の学部生の頃、同級生が「今日は先生からよい話をきいた」と嬉しそうにしていた。彼は普段から物真似が上手かった(余談だが、私が知る限り、物真似上手は語学上手が多い。彼もその例に漏れず、レオ・フェレの物真似などをして私たちを爆笑させていた)。「今日は先生からよい話をきいた」というのは、要するにコール・アンド・レスポンスのコールのようなものであるから、すかさずどんな話か尋ねてみた。すると彼は某先生の声を真似ながら、「留学中は1日ひとつ何かすればよし、というルールを作っていた」と教えてくれた。「今日は郵便局に行ったから、よし」というわけだ。「だってふたつもやったら疲れちゃうじゃない」とも先生は話してくれたとのことで、同級生は肩の荷が軽くなったような気持ちになったらしい。この高尚なる教えは、彼を経由して私にも吹き込まれ、留学をしてからは呪文のようにこの教えを唱えてきた。

 が、最近ふと、私は記憶を書き換えていたのではないか、と思うようになった。同級生が話してくれたのは「留学中は1日ひとつ何かすればよし」ではなく「留学中は1日ひとつ何か新しいことをすればよし」だったような気がするのだ。こうなると話が違ってくる。なるほど、「今日は郵便局に行ったから、よし」というのは、その前に手紙を書くなり、何か贈り物を用意するなりしているわけだから、それまでしていなかった新しいことをしているのであり、決してルーティーンではないわけだ。そもそも、「ひとつ何かすれば」というならば、屁理屈かもしれないが「今日は朝ごはんを食べたから、よし」でもよいことになってしまう(ちなみに、大晦日の日に私は国立図書館に行っていたのだが、朝寝坊をしたために朝食抜きとなった)。

 だが、たとえ記憶違いであるとしても、「1日ひとつ何かすればよし」ということにしようと思う。その方が、自分の心に優しくできそうだからである。

 というわけで、なんだか締まらない新年の挨拶でありますが、本年がみなさまにとってよい一年となりますように。