今月の三十一日で、おれはカイシャをお払い箱になる。ちょうどあと一か月だ。
参院選大敗の責任をとるわけではない。
六十五歳の誕生月が終わり、それをもって再雇用契約の終了となるのだ。
本当は四年前、六十一歳の誕生月で定年退職したのだが、本人が望めばカイシャは六十五歳まで「再雇用」しなければならないという決まりがあるらしい。「決まり」ではないのかな。違ったかな。そのへんの細かい仕組みは、ヨクワカンナイ。厚生労働省に訊いてくださいね。おれはめんどくさいから訊かないけど。
ともあれ六十一歳当時のおれは、まあまあ何とかスレスレそこそこギリギリかろうじて元気だったし、「参与」というワケのワカンナイ肩書をつけてやるから会社に残れと言われたので、再雇用してもらうことにした。だが、参与って何なのさ。ギモンに感じたおれは総務担当の常務取締役に、
「常務サンヨ、その参与ってのは何をすればいいの?」
と、核心的な質問をしたのだが、あまり要領の得られない答えだった。しかしながら、参与として残ると「参与手当」も月々の給料にプラスされるというので、結果的には尻尾をブルンブルンと振って、おめおめと、ぬけぬけとカイシャに居残ることにしたのだ。つまりはカネで転んだおれだった。情けない。カネさえ潤沢にあったら夜中にカイシャに忍び込んで気に入らない奴らの机の上に次々と脱糞して、すぐにでも辞めてやったのになぁ。四年前はそう思いましたね。
そしてあっという間に四年が経ち、契約の最終期限である六十五歳になったので、もはやこれまで、今月末をもって馘首となるわけである。
社会性ゼロ、協調性ゼロ、社交性ゼロ、愛社精神ゼロ、徒党を組むのが大嫌い、気に入らない奴にはすぐ吠えてガブリと噛みつく野良犬気質のおれが、よくもまあ四十三年間も同じカイシャに勤めたよなぁと自分でも思いますよ。
それと同時に、カイシャ側から見たら、こんな老害ジジイは一日も早く放逐したかっただろうな、とも思いますね。目障りこの上ないもん。
おれがカイシャを辞めなかった理由はただひとつ。企画を考えたり、絵コンテを描いたり、それをもとにデザインを引いてページを作ったり、雑誌や本をこさえるのが大好きだったからだ。
おもにずっと雑誌を作ってきた。若い女性に向けたファッション月刊誌だ。その雑誌を編集していたときは、「読者にどうやったら喜んでもらえるか」ばかりを考えていた。そのためには予算なんて野暮なコトは念頭になかったし、楽しくて素敵なページを作るためならば、とカネをジャブジャブ使っていた。そのため制作費、人件費、ページ数が膨れ上がり、実売部数や広告収入が上昇しても、「純利益はそんなに大きくない」というありさまだった。
これは会社員、ビジネスマンとして致命的欠陥なのだろう、というのはバカなおれでもうっすらとわかる。わかるんだけど、
「仕事の成果はすべて数字で判断する」
なーんて言われると、あなたは本や雑誌なんて作っていないで、メーカーや商社に転職しなさいね、と思っちまうもんなぁ。利潤の追求は大前提なのだろうけど、おれのアタマのなかは「とにかく面白いものを作るのだ」ということしかなくて、最後までその「利潤の追求」という大前提がなかった。思えば決して賢いとは言えない、いや、とことんバカな勤め人だった。
自分が丹精込めて作った雑誌や本の売れ行きが悪いと、
「おれの最大の欠点は大衆のレヴェルまで下りていけないことだ」
と、開き直っていた。いや、おれが作って売れなかったモノは数えるほどしかなかったんですけどね。それとも都合の悪いことは記憶から消しているのかも。うふふ。
まあそういうわけで、四十三年間の放牧の末、カイシャから放逐されるわけですが、最後の最後までモノづくりに励むことができたのはよかった、有難かったと、これは心の底から思っているのですよ。
再雇用期間中でも本を作らせてくれたし、来たる九月十日にはおれの「遺作」とでもいうべき文庫3冊が同時発売されるんですぜ。まだ一カ月以上も先の話で、発売される頃にはおれ、カイシャにいないんだけど。
しかしなぁ、本が売れない世の中で、3冊一挙にどどーんと発売するなんて大丈夫かなぁ。チビリチビリと、毎月一冊ずつ出して「三か月連続刊行!」なんてコピーでお茶を濁すのが最近の常套手段でしょ。今回も、
「どうしますか」
と、社内関係者から意見を問われたのだけど、おれは勢いに任せて、
「3冊の文庫の装幀もおれがやる。デザインは統一性をもたせる。だから、どどーんと3冊まとめて出しちゃえ!」
と、啖呵を切ってしまったのであった。
あ、3冊の文庫とは、おれが単行本を担当した片岡義男さん作『珈琲にドーナツ盤』『珈琲が呼ぶ』『僕は珈琲』の「珈琲三部作」であります。九月十日、3冊一挙に発売するのだ。九月十日だかんね。3冊同時発売ですぜ。しつこいね。
おれは片岡義男さんと何回も一緒にお仕事をする機会に恵まれたのだが、個人的に「うーむ」と思っていたのが、一部の「片岡義男原理主義者」のみなさまであった。はっきり言ってしまおう。彼らはいまだに片岡義男をむかしむかしの「オートバイ・サーフィン・彼・彼女」という狭い文脈でしか捉えていないのだ。いや、コアな有難いファンだなぁとは思うのだが、当の片岡義男はとっくのむかしにそういう小説は書かなくなった。日本語文化と英語文化の比較論を書いたり、映画・俳優論を書いたり、静謐な物語を編んだり、実験的な「メタ小説」を書いたりと、その筆致は進化し続けているのだ。
ザ・ビーチ・ボーイズだってそうでしょ。初期のころはそれこそ「サーフィン・オートバイ・ホットロッド・彼・彼女」だけを歌っていたけれど、そこに安住することなく、のちには『ペットサウンズ』や『スマイル』を作り上げたわけだし、ボブ・ディランだってギター1本でプロテスト・ソングを歌っていたのはデビューしてから数年だけのこと。それからのめまぐるしいほどの進化はおれがいちいち書かなくてもご存じの通りだ。
「あの頃の片岡義男」にこだわる人たちにこそ「今の片岡義男」も読んでほしい。
おれはそう願いながら、片岡さんと仕事をしてきた。もちろん今の若い人たちにも「今の片岡義男」を読んでもらいたい。そんな人たちにとって、ここ数年のあいだに書かれた「珈琲三部作」は、うってつけの作品ですよ。
おれは3文庫の装幀、帯のデザイン、本文の字組みから書店のPOPまで、徹頭徹尾ぜーんぶ一人でやることにした。なぜなら、この最後の仕事くらいは「どうやったら読者に喜ばれるか」を考えず、きわめて衝動的に好き勝手におれ自身が喜ぶものを作りたかったから、だ。
だからとても手間はかかったけれど、最初から最後までずーっと、とてもとても楽しかった。
でもね、本や雑誌なんて、作った奴、つまりは編集者の機嫌がモロに出るから、おれがきわめて楽しく作ったこの3文庫は、きっとあなたにとっても楽しいものになるはずですぜ。そしてすでに単行本をお持ちのかたにも、文庫が欲しくなる「付録」的なものを用意しましたからね。あ、なんでぃ、ちゃんとヒトのことを考えているではないか。さすがはプロだ。いやいや、この特典も、おれが「あったらいいな」と思ったからなのだ。そのへんのもろもろ、詳しくは来月でね。
《この項、続いてしまう》