渋谷陽一さんを追悼する

若松恵子

7月14日に渋谷陽一さんが亡くなった。病気療養中である事は知っていたのだけれど、残念でならない。「世界はこのありさま」で、まだまだ彼の発言が必要だった。

渋谷陽一さんは、洋楽ロック批評・投稿誌「ロッキング・オン」創刊メンバー。ラジオ番組でたくさんのロックを紹介した。音楽フェスを主催し、編集者として音楽だけでなく、映画、美術、政治をテーマとした雑誌を作った。ロッキング・オンはいつしかロッキング・オン・グループという大きな会社になっていて、彼は代表取締役会長だった。でも、生涯、「王様は裸だ」とまっすぐに指さした子どもの鮮やかさをもって仕事した人だったと思う。高校から大学の、生きる上での価値観がつくられる時期に彼が紹介する音楽や書いたものにたくさん影響を受けた。

自分が良いなと思った音楽が不当に批判されている、聞いてもいないでお門違いの批評をしている大人たちへの怒りが彼の評論活動の出発点だったようだ。既存のメディアが忖度して本当の事を言わないなら、自分たちでメディアをつくって、音楽を楽しんでいる当事者自身が一番の理解者として本当のことを語ればいい、それが「ロッキング・オン」という雑誌だった。それは、ロックが教えてくれた最良の考え方でもあった。インタビュアーが勝手にまとめてしまうのではなく、ミュージシャンがつぶやいた言葉を制限なく採録する2万字インタビューも、同じ考え方から生まれたスタイルだったと思う。

本質を見抜くこと、その人のなかにまだ埋もれている宝ものを直感的に見出す力が渋谷にはあって、しかもそれのどこがどんなに良いのか、鮮やかに説明して人を納得させてしまうところが彼の魅力でもあった。仲井戸麗市の30周年BOXセットに寄せて「私だけが分かる、あるいは私が分かってあげなくちゃ誰が分かるというの、そんな気持ちを聞き手に抱かせる魔力をチャボは持っている」と書き始めていく解説は秀逸だ。良い聞き手の存在は、良い演じ手と同じくらい必要なのだと彼の仕事を通じて思った。

「ロッキング・オン・ジャパン」の忌野清志郎追悼特別号の編集と巻頭で清志郎について語った言葉、ロッキング・オン創刊メンバーのひとり、松村雄策が亡くなった時に寄せた渋谷の言葉もまた心に残っている。渋谷陽一以上に渋谷陽一を追悼する言葉を語れる人は居ないのでないかと思う。