ストレス・チェック

篠原恒木

年に数回、ストレス・チェックというアンケートに電子メールで答えなければならない。

モンダイは、このアンケートの設問がおれの理解の範疇を超えていることだ。たとえばこういう質問がある。
「一生懸命働かなければならない」
この文のあとに、「そうだ」「まあそうだ」「ややちがう」「ちがう」という四択の答えが用意されていて、どれかひとつにマルをつけなければいけない。
「愚問だ。働くときは誰だって一生懸命だろうが」と、おれは思うので、「そうだ」にマルをつける。
「活気がわいてくる」
という一文も出てくる。
「この年齢になって活気がわいてくるわけがないだろう。覚せい剤を打っているわけでもないのに」と、おれは憤り、「ちがう」にマルをつける。

「元気がいっぱいだ」
というのが次に登場する文だ。ここでおれは「活気がわいてくる」と「元気がいっぱいだ」の違いについて深く考察することになるが、どうにも両者の違いがわからない。かろうじてわかるのは、「活気がわいてくる」に「ちがう」と答えて、「元気がいっぱいだ」に「そうだ」と答えたらそれはかなりの矛盾を生じるのではないかということだけだ。したがっておれは「ちがう」にマルをつける。その次に書いてある一文は、
「生き生きする」
だ。これはもはや愚弄されているのではないかとおれは思い始める。「活気がわく」「元気いっぱい」「生き生き」は文学的にも心理学的にも社会学的にもそれぞれ違う状態なのだろうか。おれは弁証法を駆使して解析を試みるが、哲学的にも解決できないので、これにも「ちがう」にマルをすることになる。次に出てきたのは、
「怒りを感じる」
だった。これまでの設問にかなりの憤りを覚えていたおれは即座に「そうだ」にマルをつける。バカにするのもいいかげんにしろ、とさえ思っているからだ。

「内心腹立たしい」
当然ではないか、と思うおれは、これも「そうだ」にマルだ。
「イライラしている」「ひどく疲れた」「へとへとだ」と続くので、「そうだ」「そうだ」「そうだ」と答えていく。それもこれもみんなこのアンケートのせいだ。

「だるい」
と出てきた。だるいに決まっているではないか。もうすぐ六十二歳ですよ、あーた。ピョンピョン飛び跳ねながら歩いているわけがない。これも「そうだ」にマルである。

「不安だ」「落ち着かない」と連打を受ける。このふたつもかなりニアなニュアンスではないのか。かような新型コロナ、ウクライナ情勢、可処分所得大幅減額のなかで安心して落ち着いていられるわけがない。だからおれも「そうだ」「そうだ」の連打で返す。

お次は「ゆううつだ」「気分が晴れない」とくる。だからぁ、このふたつはどう違うのだとさっきから疑問を呈しているではないか。こうなると完全に嫌がらせの範疇に入ってくるだろう。憂鬱だよ、春は憂鬱に決まってるではないか。桜の花びらがはらはらと散りゆくさまを見てはココロは無常感でいっぱいになるおれなのだ。気分など晴れるわけがない。「そうだ」「そうだ」とマルをつけていく。

「悲しいと感じる」
よくぞ訊いてくれた。こよなく晴れた青空を悲しと思うおれなのだ。そうして長崎の鐘が鳴るのが世の道理なのだ。死ぬまで生きるということはじつに悲しい。これも「そうだ」にマルだ。

「腰が痛い」
これもよくぞ訊いてくれた、ありがとう。つい先日、おれは昏倒した九十八歳の親父を抱きかかえて起こそうとしたときに腰を痛めてしまったのだ。おかげで整形外科でブロック注射を打たれて、大変な目に遭った。老々介護とはよく言ったものだ。よって、これも「そうだ」にマルをつけなければならない。

「仕事に集中できない」
ここに来て何を寝ぼけたことを言っているのだ。こんなにたくさんの設問に答えさせられていたら、仕事に集中できるわけがない。クレームの意味を込めてマルだ。

ここまで数々の愚問に答えてきたおれはフト思った。おれの選択肢は「そうだ」と「ちがう」しかないのか。「まあそうだ」「ややちがう」という項目に、まだ一回もマルをしていないことに気付いてしまったおれはやや反省して、次の一文を読む。
「何をするのも面倒だ」
おれは熟考した。髭を毎日剃るのは面倒だ。脱いだ上着をハンガーにかけるのも面倒だ。しかし、好きなあのコと食事をするのは面倒ではない。ましてや食事後のことも面倒だと思ったことは一度もない。ここで「まあそうだ」か「ややちがう」の出番がついにやってきたとおれは感じた。
ところがまたモンダイが起こった。「髭を剃る」「上着をハンガーにかける」ことが面倒であるという事実に重きを置くのなら、「何をするのも面倒だ」に対するおれの解は「まあそうだ」になるのだが、「好きなあのコ」関係は面倒でないという真実を重視するのなら、おれの解は「ややちがう」となるのではないか。どちらにマルをすればいいのだろう。考えるのが面倒になったことに気付いた俺は、
「そうか、結局おれは何をするのも面倒なんだな」
との結論に達し、「そうだ」にマルをつけた。

ストレス・チェックがかなりのストレスになったおれはようやくすべての質問への回答を終え、メール送信した。

後日、「あなたのストレス度は?」というような診断結果がメールで送られてきた。結果内容をひらこうとしたが、パスワードを入力しないと見ることができない。「これかな」と覚えのあるパスワードを何回か入力したが、どれも「パスワードに誤りがあります」と出て、ついにおれのストレスは最高潮に達した。