全編盗作

篠原恒木

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならだな、まず、僕がどこで生まれたとか、チャチな幼年時代はどんなだったのかとか、僕が生まれる前に両親は何をやってたかとか、そういった《デーヴィッド・カパーフィールド》式のくだんないことから聞きたがるかもしれないけどさ、実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな。つまりは恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。「である調」と「ですます調」が混在しているが、完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。

ところで木曽路はすべて山の中である。その山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。アタシの家も住みにくいよぉ。
そして国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。その汽車に目を取られていると、反対側の線路からやって来た山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした、その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。背中の傷が脊椎カリエスになれば致命傷になりかねないが、そんな事はあるまいと医者にいわれた。だが、こういう山のサナトリウム生活などは、普通の人々がもう行き止まりだと信じているところから始まっているような、特殊な人間性をおのずから帯びてくるものだ。

養生していた城崎温泉の宿にジュリエットと名乗る一人の女が訪ねて来て、こう言った。
「ああ、ロミオ、ロミオ、あなたはどうしてロミオなの?」
私は言った。
「君の形而上学セッションには付き合えない。それに、この部屋の酸素を無駄にしたくない。帰れよ」
「背が高いのね」
「僕のせいじゃない」
「お父様と縁を切り、家名をお捨てになって! もしもそれがお嫌なら、せめてわたくしを愛すると、お誓いになって下さいまし」

その女は30フィート離れたところからはなかなかの女に見えた。10フィート離れたところでは、30フィート離れて見るべき女だった。だから私はこう言ってやった。

「黙れ。不妊症。てめえみてえな低脳と、カンバセーションしてやるぼくじゃねえぞ。何が、お誓いだ。昨日今日覚えた言葉を得意気に振り廻すな! 今日からぼく、おまえのことを畜膿女と呼んでやるからな」
「余り邪推が過ぎるわ、余り酷いわ。何ぼ何でも余り酷い事を」
「吁、ジュリエットさんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。一月の十七日、ジュリエットさん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、僕は何処でこの月を見るのだか! 再来年の今月今夜……十年後の今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ!」

俺はジュリエットを足蹴にして、煙草に火を点けた。配管修理工のハンカチみたいな味がした。さよならをいうのは、少し死ぬことだ。それから、–––それから先のことは覚えていません。僕はただ目の前に稲妻に似たものを感じたぎり、いつの間にか正気を失っていました。

そのうちにやっと気がついてみると、僕は仰向けに倒れたまま、大勢の河童にとり囲まれていました。のみならず太い嘴の上に鼻目金をかけた河童が一匹、僕のそばへひざまずきながら、僕の胸へ聴診器を当てていました。その河童は僕が目をあいたのを見ると、僕に「静かに」という手真似をし、
「私はデーヴィッド・カパーフィールドではあらない。デーヴィッド・河童フィールドであるよ」
と言いました。それからだれか後ろにいる河童へ Quax, quax と声をかけました。するとどこからか河童が二匹、担架を持って歩いてきました。僕はこの担架にのせられたまま、大勢の河童の群がった中を静かに何町か進んでゆきました。僕の両側に並んでいる町は少しも銀座通りと違いありません。

僕は担架から飛び降り、一目散に逃げた。その時僕はかなり腹が減っていた。脂で黄がかった鮪の鮨が想像の眼に映ると、僕は「一つでもいいから食いたいものだ」と考えた。ちょうど屋台の鮨屋が見えたので、暖簾を潜り、言った。
「海苔巻はありませんか」
「ああ今日は出来ないよ」
肥った鮨屋の主は鮨を握りながら、なおジロジロと僕を小僧のように見ていた。
僕改メ小僧は少し思い切った調子で、こんな事は初めてじゃないというように、勢よく手を延ばし、三つほど並んでいる鮪の鮨の一つを摘んだ。
「一つ六銭だよ」と主がいった。
小僧改メ僕は落すように黙ってその鮨をまた台の上に置いた。
「一度持ったのを置いちゃあ、仕様がねえな」そういって主は握った鮨を置くと引きかえに、それを自分の手元へかえした。

しかし僕改メ小僧は開き直った。さあ、鮪を食わねば。無銭飲食上等である。手持ちは四銭しかないが、構うものか。
屋台には一人前の鮨桶に入った鮨「中」もあった。どうせなら鮪だけじゃなく、これを全部食べちゃえ。
「中」の内容は、カッパ巻き2、鉄火巻き2、エビ1、タマゴ1、イカ1、タコ1、ハマチ1、鮪の赤身1、中トロ1、イクラ1であった。
これらが一人前の鮨桶の中に、エビを中心に、きれいに並べられてある。
さあ、何からいくか。
誰しも少し迷うところである。
「いや、鮨なんてものはね。目についたのから手あたり次第、ガガーッて食べればいいの。ガガーッて」
という人もむろんいる。
そういう人は、この際あっちへ行ってなさいね。あっちへ行ってイカとイクラをいっぺんに口の中へ放り込んでガガーッて食べなさい。食べてゲホゲホとむせんでその辺に吐き出して大将におこられなさい。

しかし懐に四銭しかなかった小僧は鮨桶に手を伸ばすことなく、捨て台詞を吐いた。
「ぼく、こう見えて根がデオドラント志向に出来ているんだ。てめえみたいな小男の糞臭い手で握った鮨なんぞ食えるもんか」
小僧改メ僕は鮨屋の主にそう言い残して、暖簾の外へ出た。雨が降り始めていた。

雨はひどく静かに降っていた。新聞紙を細かく引き裂いて厚いカーペットの上にまいたほどの音しかしなかった。クロード・ルルーシュの映画でよく降っている雨だ。ひさかたの雨には着ぬをあやしくも我が衣手は干る時なきか。雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ。六月一日。雨ふりて寒し。京橋の屋台鮨屋で鮪を食すのを我慢。腹痛あり。終日困臥す。

そして私はスカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ………どっどど どっどど どっどど どどうとばかりに北海道へ働きに出掛けました。
浅草の雷門の近くにあるカフエエ・ダイヤモンドと云う店の、給仕女をしていたナオミは家に置いていきました。彼女の歳はやっと数え歳の十五でしたから

蟹工船はどれもボロ船だった。
労働者が北オホツックの海で死ぬことなどは、丸ビルにいる重役には、どうでもいい事だった。
「おい、地獄さ行えぐんだで!」

デッキの手すりに寄りかかった自分には、もはや幸福も不幸もありません。
ただ、一さいは過ぎて行きます。人生は野菜スープなのです。
自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
我々はみんな年をとる。それは雨ふりと同じようにはっきりとしたことなのだ。
ナオミは今年二十三で私は六十五になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、七十以上に見られます。
そして下人の行方は誰も知らない。勇者は、ひどく赤面した。だから清の墓は小日向の養源寺にある。でも、お前ら、夢を諦めんな。