私はロボットではありません

篠原恒木

先日、クレディット・カード会社から突然のメールが届いた。
「お客様のカードが不正利用された疑いがあります」
なんだと。それはよくない。まことにもって遺憾である。おれはメールの続きを読んだ。
「このお支払いにお心当たりはありますか」
アメリカのよくわからないECサイトで、おれのクレディット・カードから5,983円引き落とされそうになっているという。身に覚えがないので、
「心当たりがない」
という箇所をクリックしたら、
「それでは即時にお客様のカードを停止して、新しいカードを発行させていただきます」
との一方的な返信メッセージが届いた。こんな簡単なやりとりで瞬時のうちにおれのカードが停止されてしまうものなのだろうか。疑念のカタマリになったおれは、カード会社に直接電話した。例によってカード会社の電話というものはなかなか繋がらない。さんざん待った挙句にオペレーターの声が聞こえた。おれは状況を説明して尋ねた。
「こんなことって、よくあることなのですか? 失礼ですが、偽メールじゃないかと疑って電話しているのですが」
「最近多発しているのです。いまお調べいたしましたところ、確かにシノハラ様のカードが不正利用されております。5,983円のお支払いはストップさせていただきました。新しいカードは一週間ほどでお届けいたしますので、ご不便をおかけしますが、どうかいましばらくお待ちください」
新聞報道によると、最近クレディット・カードの不正利用が後を絶たないという。サイバー攻撃による情報漏洩、カード番号の規則性から有効な番号を機械的に割り出すという手口が横行していて、昨年の被害総額は前年比3割増の約四百三十七億円と過去最高になったらしい。困ったことだ。
カードを一週間も使えないのは不便だが、どうやらおれはカード会社に感謝すべきなのだろうという結論に至った。

だが、ECサイトでよく買い物をするおれにとっては長い長い一週間だった。五日ほど経った頃、カード会社からまたメールが届いた。
「本日、お客様の新しいカードを普通郵便にて発送いたしました」
俺は目を疑った。クレディット・カードを普通郵便で送るわけがないだろう、と思ったのだ。これこそがカード詐欺なのではないのか。猜疑心のカタマリになったおれは、再びカード会社に電話した。これもまた例によって、すぐ繋がるわけがない。自動応答の声が聞こえる。
「電話が大変混み合っております。オペレーターとお繋ぎするまで二十分ほどかかります。時間をおいてもう一度おかけ直しいただくか、このままお待ちください。なお、この電話はサーヴィス向上のため、録音させていただいております」
おれはこのまま待つほうを選んだ。毒にも薬にもならないBGMを挟んで、同じアナウンスが定期的に何度も何度も流れる。

話は横道に逸れるが、なぜああいう場合のBGMはつまらない曲ばかりなのだろう。客をイライラさせないため、ココロを鎮めるような曲調のものを選んでいるのだろうが、おれのココロは一向に鎮まらない。どうせなら「もうすぐ繋がるぜ。頑張れよ」というメッセージを込めて、ロッシーニの「ウィリアム・テル序曲」や、ビゼーの「カルメン序曲」、あるいはレッド・ツェッペリンの「移民の歌」などを流せばいいのに、とは思うが、そんな曲を流せば客のアドレナリンが大量に分泌して、やっと繋がったときにはオペレーターが怒鳴られてしまうだろう。

それにしても待たせ過ぎだ。二十分間はゆうに経っている。いったん切って、時間をおいてかけ直すべきだったかと思うが、ここまで待って切るのも業腹ではないか。ずっと耳に当てたスマートフォンは熱を帯びてアチチ状態だ。おれはだんだん腹が立ってきた。その怒りが頂点に達したとき、ようやく電話がオペレーターと繋がった。
「この電話はサーヴィス向上のため録音させていただいております」
という例の機械的なアナウンスが一瞬頭をよぎったが、おれの煮えたぎった怒りはもう誰にも止められない。

のぉ、オドレ、だいたい「サーヴィス向上のため」に録音しているわけなかろうが。モンスター・クレーマーを減らすためじゃないの。そがなチンケな考えしていると隙ができるぞ。

おれの脳内はすっかり「仁義なき戦い」の菅原文太に侵されてしまっていた。電話に出たオペレーターにはこう述べた。
「あなたに申し上げても詮無いことだとは思うのですが、なぜ新しいクレディット・カードを普通郵便で送るのでしょうか。その了見が理解できません。どう考えても書留で郵送すべきではないですか。ウチのような集合住宅の場合は、部屋番号を間違えてポストに郵便物が入っているケースは日常的にあります。コスト・カットが目的なのでしょうが、誤配の危険性を考慮すれば私には愚策としか思えません。カードの不正利用を未然に防いでいただいたことには感謝を申し述べますが、肝心の新しいカードをそのような乱暴な受け渡し方法で済ますことには些かの疑問が生じております」

いや、実際はこのようなロジカルな口調ではなかった。二十分以上の待ち時間がおれを凶暴化させていたのだ。正直に言えば、
「録音上等、喧嘩上等よ。ワシゃ、ワレの命もらうも、虫歯抜くんも同じことなんで、殺るんなら、今ここで殺りないや、能書きは要らんよ。ワシが新しいカードを取りそこのうたら、オドレらどう責任取るのよ。知らん仏より知っとる鬼のほうがマシじゃけの。ワシはイモかもしれんが、旅の風下に立ったことはいっぺんもないんで。のぉ、のぉ」
というような、きわめてお上品な口調に終始してしまった。
だが、オペレーターは慣れたもので、おれの繰り出すへなちょこパンチをするりするりとかわし、謝り倒されて電話は切れた。プロの接客はすごい。
まあ、そもそもおれのカードの不正利用を未然に防いでくれたのはカード会社なのだから、感謝すべきであって、キレるのはまったくのお門違いなのだが、カードを普通郵便でポストに放り込むのはあまりにも不用心ではないのか、との不満は残った。

結局、普通郵便の悲しさゆえ、新しいカードは土日を挟んで、ようやく月曜日に配達された。だが、ここからが面倒だった。日常的に買い物をしているあまたのECサイトにいちいちログインして、新しいカードの番号をコツコツと打ち込まなくてはならない。

そもそもなぜおれはそんなにネット・ショッピングに依存しているのか。それには理由がある。おれの欲しい本は小さな書店では売っていない。そしておれの欲しいCDやレコードはCDショップでは売っていないのだ。もし売っていたとしても、たとえば渋谷のタワーレコードを例にとれば、6階、もしくは7階まで昇らないと、お目当ての売り場にすら到達できない。そんな気力はもうおれには残っていないのだ。だがネット・ショッピングなら簡単に手に入る。これを利用しないテはないではないか。

さて、各ECサイトに新規のカードを登録する作業に取り掛かった。予想していたことではあったが、この作業が混迷を極めた。新しいカード番号を登録するには、各サイトにログインして手続きをしなければならないのだが、その都度、
「私はロボットではありません」
というボックスにチェックを入れなければならないのだ。こんなにヒトを愚弄する誓約があるだろうか。このおれがロボットであるはずがない。ロボットはニラレバ定食を食べない。ロボットは些細なことで妻と大喧嘩をしない。ロボットは髪の毛が禿げることもない。だいたい前立腺肥大症が持病のロボットなど聞いたことがない。実にバカバカしいチェックだ。だがここでまたPC相手に「仁義なき戦い」の菅原文太もしくは梅宮辰夫あるいは松方弘樹的なアプローチを試みても始まらないので、おれはおとなしく
「私はロボットではありません」
のボックスにチェックを入れる。その徒労感および虚しさはハンパない。

さらにはそのあとに「画像認証」というテストのようなものが待ち受けている。
角版の風景写真が九分割されていて、
「横断歩道の画像をすべて選択してください」
ときたもんだ。ところがこの写真の分割のされ方が実に微妙で、
「ん? このブロックの右端にはギリギリで横断歩道の端っこが入っているような気がするぞ。いや、ここは素直に入っていないと解釈すべきなのか。ううむ、よくわからん」
というケースが多いのだ。横断歩道だけでなく、信号、自転車などといったヴァリエーションもあるのだが、画像が粗くて信号のちょっとした一部分が入っているような入っていないようなブロックがあるのだ。このブロックは選択の対象になるのか、それとも無視していいのか、躊躇してしまう。こういう場合、ロボットならスムーズに選択できるのだろう。だがそれならば、事前の
「私はロボットではありません」
という誓約と大いに矛盾するではないか。ニンゲンだから微妙な箇所にいちいち悩んでしまうのだ。悩んで選択を誤ることが何よりの「私はロボットではありません」の証明ではないのか。ところがこの画像選択をミスすると、何回も違う画像と設問が出て来る。
「ロボットではないから間違えるんだよ!」
と、おれは逆上する。

別のパターンもある。
「私はロボットではありません」
とチェックを入れると、わざと読みにくくしてある数字とアルファベットをランダムに組み合わせた七、八文字の羅列が出てきて、
「上記の文字を正しく入力してください」
ときたもんだ。またこれが判りにくい。アルファベットの小文字「q」と数字の「9」なんて紙一重だ。おまけに文字が歪んでいるので始末が悪い。これもロボットなら一発で判読するはずだから、この「テスト」も意味が分からない。ニンゲンだからこそ正しい文字が入力できない場合があるのではないか。

こうしてすべてのECサイトでカード番号の新規登録が済んだ頃には、おれはへとへとになっていた。せめて一店舗だけでもいいから、
「あまりにも当たり前のことで失笑を禁じ得ないのですが、私はロボットではありません」
という文言が書いてあるチェック・ボックスがあれば、おれはどれだけ救われたことだろうか。いや、いっそ、
「ワシも格好つけにゃあならんですけぇ、人間相手にロボットかと訊く馬鹿がどこにおる、このボケ。アヤ付けられたらカマしちゃれぃ」
というチェック・ボックスがあればと思ったんじゃが、ワシはどこで道間違えたんかのぉ。