「図書館詩集」11(世界というが世界を見た者は)

管啓次郎

世界というが世界を見た者は
誰もいない
世界はまるごとだがわれわれには
それはどうしても体験できない
見ることも聞くこともふれることも
いまの自分が置かれたその場だけのこと
それ以外は潜在する
届かないまま潜在する
隠されている
世界にとってわれわれはもぐら
地中にぷかぷか浮かんで
青空を見上げているように気楽
それでも世界はいつものしかかってくるのだ
大きな亀の背中に乗って世界があると
アメリカ・インディアンのある部族の人々は考えた
それで大陸を「亀の島」と呼んだ
ところがさぬきのこのあたりに来ると
あちこちに亀の背のような山が点在している
この平野はむかし海だったんだなあ
山あり、その陰画のごとく
溜池あり、そしてすべての溜池は
お大師さまが掘ったもの
水よ湧けといって奇跡を起こしたのではなく
独学で身につけた掘削技術を教え
村人たちの作業を指導したのだと考えるほうが
ずっと理にかなっている
そう「考える」ということを中心にしなくては
ほんの少しも世界には近づくことができない
空海さまはまんのう池を改修
その仕事は伝説となればたちまち十世紀を超えて
語りつがれる
弘法大師の実在を疑うわけではないが
人はよく生きるためには物語になる
しかないのかな
その偉業が伝説になればもう生も死もなく
人に代わって物語が生きていく
世界がもともと物語の藪なら
藪は無数の植物の塊として
みずから魂をおび
世代交代しながら時を超えていく
百年の果てに千年あり
千年の反復が万年を生む
亀が生まれ亀を産み
亀が山になりその脚で
溜池を掘り続けるとしたらどうだろう
よい天気の山城にいて
そんなことばかりばくぜんと考えている
むかしはまったく野蛮だったね
こうして城を日本中に建てて
そこにこもって敵をむかえ討ったのか
遊びと殺しの区別もない
そんな目的においてこの城の
このおなじ位置からかつて世界を
見たものがいたわけか
世界かマーヤ(幻影)かまーやー(猫)か
それでもあの海は変わらず、ただいろいろな
工業的施設や人間的墓標が増えただけだ
亀の領土を狭めつつ
しかしこの山城の
場所そのものは本当にすてき
地形がよくわかる
人間たちの動きもうかがえる
ただ心配なのは人間は結局は人間的
スケールでしか何も見ることができない
何も見えていない
この広大な空間に何が住み
この広大な時間で何が変わってきたかを
断然まるで知らずに生きているわけさ
無時の誘惑に身をゆだね
まどろみの中で自分の同類を探す
あまり頭のいい生き方とはいえないね
麦茶を一口飲んだら
そろそろ山城を下りて山城にむかうことにする
美術館は「猪熊」の名を冠して
それだけでboarとbearが意識に登場する
ニンゲンをおびやかす
その名前は強力、これから勝手に
「猪鹿熊ゲンイチロ」とでも名乗ろうかな
そうすればboar deer bear
すべて山の肉(しし)が
ニンゲンを超えている
ここにはチカコの作品を見にきたわけ
もののふたちの山城とは関係なく
こちらの山城の世界もざわめく戦さにみちている
戦いとは直接そのまま破壊行動ではなくても
緊張感をもって場がぶるぶるふるえているので
そうとわかる
それをいうなら「沖縄」のすべては
いまも継続された戦さの中にあるじゃないか
いまここでみずから複数化しながら戦うのは
アイスクリームを食べる彼女
ヤマトの国会議事堂の前で演説する彼女
墓場でテニスウェアを着て踊る彼女
マイクロフォンを束ねて海に沈める彼女
肉屋で働く彼女
肉屋の彼女を撮る彼女
ベラウの花を撮る彼女
ベラウの花を見る父親を撮る彼女
チンビン・ウェスタンを撮る彼女
戦さが継続されるならその戦さに対する戦いも継続
戦いすべて同時並行だ
芸術とは分身の術
ハラハラして見ているうちに
彼女は花や種々の緑や
海や空や土や
すべて生命の見方を教えてくれるだろう
あらゆる事物を体験したくなる
生き死にしつつ生きているすべてを
映像で見るならば
無音で耳がキーンとするような
そんな気分だろう
いつか自分も花畑に埋められて
ただ両手だけを地上に出し
ぱんぱんと手拍子を打ってみるか
何かを訴えるために
百合の花々のあいまから
世界に訴える
ダメだ、そろそろ文字の無音と
絶対的なおとなしさが欲しくなってきた
なつかしくなってきた
こうなったら
図書館で休憩することを許してください
見るもの聞くものふれるものに
(それらが良いものであるかどうかには拘らず)
ぼくは非常に疲れることがある
なのに文字列はおとなしい
どれほど過激で残酷で
騒乱的な内容を記していても
文字列そのものはおとなしい
非常にしずかだ
絶対の沈黙だ
その線まで退却して
またいろいろ考え直してみることにしようか
渇きに渇いて私は
トルストイの民話集を探しました
いま読みたい話があったのです
きみは知っていますか「三人の隠者」を
隠者といっても行者といっても乞食といっても
変わりはない
むかしあるロシアの僧正が
船で旅をしていると
どこかの島に住む三人の
まるでばかみたいな隠者の噂を聞いた
あまり口をきかない人たちで
なんの話もできない
見にゆくと三人は手をつないで岸辺に立ち
こっちをじっと見ている
ふびんに思ったのか僧正は小舟で上陸し
言葉もあまり知らないこの隠者たちに
本式のお祈りを教えることにした
かれらが神さまに救われますように
何度もくりかえさせて
夕方までかかってお祈りを教えた
隠者たちは素直にそれを習い
ぶつぶつと祈りをいえるようになった
かれらとしてはよくがんばった
もう日没なので僧正は本船に戻り
みちたりた気持ちでまた旅をつづけたのだ
そして夜、月夜、川面がよく見える
みんな寝しずまっている
僧正がひとり島の方角を見ていると
何かの影がすごい速さで近づいてきた
「舟かと思えば舟でもなく
鳥かと思えば鳥でもなく
魚かと思えば魚でもない
ちょっと見ると、人間のようでもあるが
人間にしては少し大きすぎるし、
それに第一、人間が海の上を歩ける
はずのものではない」(中村白葉訳、岩波文庫より)*
その正体はあの三人の隠者
手に手をつないで三人そろって
「水の上を、まるで
陸の上を駈けるように駈けているが
足は少しも動かしていない」
隠者たちはお祈りの言葉を忘れたので
僧正にそれを訊きにきたのだ
僧正は鳥肌が立っただろう
胸がぎゅっと苦しくなっただろう
髪の毛が逆立っただろう
僧正はすっかり恐れ入ってしまい
「おまえさんがたの祈りはもう
神さまに届いています
おまえさんがたに教えるものは
わたしではありません」と口にする
すると隠者たちはくるりと方向を変え
島へと帰ってゆく
水上を走りながら
「隠者たちが去ったほうからは
朝になるまで
ひとつの光が見えていた」
なんという恐ろしい話
そして魅惑的な話だろう
われわれは祈りつつ
自分が祈っているかどうかを知らない
祈りの言葉を口にしつつ
その祈りが正当なものかどうかを知らない
口もよくきけない
ばかみたいなニンゲンとして
ただ祈ることを知らない
どうやら船旅が必要だ
三人の隠者が住む
あの島にゆきつくには

*『トルストイ民話集 イワンのばか 他八編』中村白葉訳、岩波文庫、1932年

丸亀市立中央図書館、二〇二三年六月四日(日)、晴れ