荷物検査

篠原恒木

おれは空港の手荷物検査場でトランクの中身を調べられることがやたらと多い。
特にハワイのホノルル空港と、ニューヨークのJFK空港ではかなりの確率で、
「トランクの中身を見せろ、プリーズ」
と言われる。ああ、またかよと、おれは不愉快になる。
入国審査ではまったく問題ない。カウンターの向こうから、
“Passport please”
とかなんとか言われるので、おれはきわめて流暢な発音で、
「イエス、ヒア・ユー・アー」
と、おとなしくパスポートを提出し、
“What’s the purpose?”
と問われれば、さらに流暢な発音で、
「フォー・サイトシーング」
と、最後の「グ」をしっかり強調して答える。完璧ではないか。テキはさらに、
“How long will you stay?”
“Where are you staying?”
などと訊いてくるので、これも見事なまでに流暢な発音で、
「えと、んと、ファイヴ・デイズで、あー、ヒルトン・ホテル」
などと答えると、ペタンと判子を押してくれる。この入国審査でトラブルになったことはない。奴らは基本的には不愛想だが、なかにはファンキーな係官もいて、おれがUNIVERSITY OF KENTUCKYとプリントされたスウェットを着ていたときなどは、
「おまえ、ジャパンではなくてケンタッキーから来たんじゃねぇの?」
などと冗談をかまされたときもあった。
やがておれはぞんざいに放り出された荷物を受け取り、モンダイの税関へと向かう。ここでおよそ三回に二回の割合でおれは、
「トランクを開けろ、プリーズ」
とお願い、いや、命令されてしまうのだ。東京ではたびたび職務質問を受けるが、アメリカに来てもこの仕打ちか、とおれは深い溜め息をもらす。いちばん最悪だったときは大型犬まで動員されたこともある。ここは言われたとおりに開けないとしょうがないよなと思い、おれは不満顔でトランクのキーを探す。確かパンツのポケットに入れていたはずだ。
「ジャスタ・ちょっと待って・モーメン・プリーズ」
と、きわめて正確な英語で言いながら左右のポケットに手を突っ込むが、キーがない。あれおかしいな、とやや焦りながら、ポケットに入っていなければこの中だと思って、今度は手荷物の小さなバッグのジッパーを開けて、中をゴソゴソと探す。だが、キーはない。係官の顔が次第に険しくなってくるのがわかる。大型犬の表情も心なしか眉間に皴が寄っているように見える。汗だくになりながら捜索すること約三分、なんのことはない、キーはパンツの尻ポケットに入っていたことが判明し、トランクは無事に開けられる。
ここで係官はおれのトランクの中をしらみつぶしに調べる。着替えの服と服のあいだはもちろんのこと、中に入れてあるポーチの中身まで点検するのだ。
「先に行ってるね」
と、同行者の妻は冷たく言って、さっさと税関を通過するが、おれはここで考える。
「先に行ってるね、と簡単に言うが、おまえはいったいどこへ行くというのだ。まさか先にホテルでチェック・インするとでもいうのか」
ふと係官を見ると、奴はトランクの蓋の内側まで撫でまわしているではないか。だがもちろん怪しいブツなど入っているはずもなく、
“OK, Thank you”
などとおざなりに言い、めでたく通ってよしとなる。ここでおれはついテキに言う。もちろん何度も書くが、完璧な発音で、
「アイはソー・メニィ・タイムズ・ビフォーに、ディス・カインド・オブ・シングズな目に遭うのですが、ホワイ・ミー?」
すると必ず係官はひと言で答える。
“Random”
ぬゎにぃがランダムだ、おまえらには「ジャパニーズの坊主頭で太いセル・フレームの眼鏡をかけている奴は必ず荷物を調べるように」というようなマニュアルが配られているのではないか、といまでもおれは疑っている。驚くべきことに、ジャルパック、つまりは団体旅行の一員としてハワイに行ったときも、団体さん御一行のなかでおれだけが足止めを喰らったことがあるのだ。ちなみにおれは海外など頻繁に訪れるわけではない。パスポートの入国ページが判子で隙間もないくらいベタベタになってもいない。どう見ても何かを捌きに来たような売人には見えないはずだ。なのに、こんなにも理不尽なことがあっていいのだろうか。
そう思ったおれは対策を講じた。大きいトランクを持っていかなければいいのだ。着替えや下着はすべて現地で調達すればいい。あるときおれはホノルル空港へ手荷物だけ、それもビニール製のLPレコード用ショッパーズに必要最低限のものだけ入れて、それを片手でブラブラさせながら税関へと向かった。これならあの煩わしさは回避される。間違いない。これなら楽勝だ。すると、その姿を見た税関の係官は、
「ちょっと事務所へ来い」
と言って、おれを拉致した。事務所まで連行されたおれは、
「なぜおまえはこんなに荷物が少ないのか」
と、数十分もの尋問を受けた。事務所から解放されたおれに、妻はしばらく口をきいてくれなかった。