紫の光の、

越川道夫

数日前、詩集『引き出しに夕方をしまっておいた』が日本で出版されたばかりの韓国の作家ハン・ガンさんのオンラインイヴェントを視聴していた。その中で、翻訳された斎藤真理子さんときむ ふなさんが、この詩集のタイトルにもあり、本の中に何度も登場するおそらくハン・ガンさんの重要なモチーフの一つである韓国語の「저녁(チョニョク)」と言う言葉を、どう訳すかと言うことについて話されていた。本の巻末にある斎藤さんときむさんの対談によれば、「저녁(チョニョク)」とは「夕方と夜を両方さすような単語で、きれいな韓国語の言葉、漢字語ではない固有語」(斎藤さん)であり、「空にまだ青や赤、グレーなどの色彩が残っている時間」(きむさん)を指す言葉であり、「たそがれ」「夕暮れ」「夕べ」「夜」と逡巡した末に「夕方」と訳すことにしたと話されていた。「日本語の『夕方』は『저녁(チョニョク)』よりも時間の範囲が狭いような気がします」(きむさん)。
その話を聞きながら、私はある時間の光のことを考えていた。
ここにも書いたけれど、昨年、放っておけば1年で失明と宣告されて眼の手術を、私はした。その頃の私の目のレンズは赤茶色に濁って凝固しており、医師は「特に右目はもう色も形も見えていない」と言い、「でも、見えているのですが」と言う私に医師は「それは脳が補正しているのです」とキッパリと言い切った。幸い手術は成功して、術後も良く、私の眼のレンズは赤茶色に濁ったものから人工的なものではあるが透明なレンズになった。そうすると、もちろんだけれども色の見え方が全然違う。
ある日の夕方、家の外に出て、あっと立ちすくんだ。目の前の小さな道を、立ち並ぶ家家を包み込む夕方の光は、赤でも青でもなく、言ってみれば「青に近い紫」の光に包まれていたのだ。それは、赤茶色のレンズで世界を見ている時には、意識されなかった、見えていなかった「色」であった。そうか、夕方は紫なのか、と思った。自分の掌の中にも、その紫の光はあった。言ってしまえば、灼けた夕陽の赤い色がまだ空に残っていて、これからこの世界を包み込もうとする深い青色が混ざった光、だと言うことなのかもしれない。朝早くのある時間にも、この光が風景を浸しているのを見た。
この紫の光を見たくて、それから毎日ように夕方になると外に出て、この光が充満するのを待ち焦がれるようになった。もちろん、その紫の光は世界に満ちると刻々と夜になる青さの中に溶け込んでしまうのだったが。みんなは、この光の色を見ているのだろうか。そして、この紫色の時間を人はどんな言葉で呼ぶのだろう。私は知らない。
『引き出しに夕方をしまっておいた』の訳者の一人である斎藤さんの単著『韓国文学の中心にあるもの』を読み終えて、読後に私の胸の中を占めた感情を表す「言葉」を探した。しっくりくる「言葉」がどうしても見つからず逡巡するうちに、やっとふさわしく思える言葉に行き着いた。
「ちむぐりさ」。
もちろん、私はこの言葉を使う土地の水を飲んで育ったわけではないので、身についたものとしてこの言葉を使うことはできない。しかし、一言で本土の言葉には翻訳することができない微妙なニュアンスを含んだこの言葉が、『韓国文学の中心にあるもの』を読み終えた後の私の感情に最もしっくりと寄り添ってくれたと思う。そして、この本をお書きになった斎藤さんの核心にも、この「ちむぐりさ」と言う感情があったのではないかと思わずにはいられない。
 
最近、深夜にまた狸の姿を見ることが多くなった。あの震災の前、東京の住宅地でも頻繁に狸の姿を見ることがあった。ある時は、ゴミを漁っていたし、酔った人が残していった吐瀉物を食べている姿に出会ったこともあった。それはそれで辛い光景ではあったが、あの震災の日を境にぱったりと見かけることがなくなっていたのだ。私が見なかっただけかもしれないが、それにしても10年間もである。それが、また近頃になって狸たちと出くわすようになったのだ。子供の狸が二匹で駆け去るのを目にし、大きな道路を横切っていくのを見ることもある。彼らは、これまでどこでどうしていたのだろう。また戻ってきたのはあるまい。深夜、仕事場からの帰り道、よくそんなことを考える。