ジョージアとかグルジアとか紀行その2 暮らしの中のワイン作り

足立真穂

ジョージアでワインを作っている人に会いたい。

ずばり、今回の旅の目的はこれに尽きる。
とはいえ、旅は道連れ世は情け。前回に書いたように、ジョージアは最古のワイン生産国であり、最近世界遺産になったので人気急上昇中なのだ。
そこで、一緒に飲みに行こうと友人を誘うことにした。「飲んでみたい!」とさっそくコーカサスくんだりまで同行してくれる腰の軽い人が複数周囲にいたことで準備は加速し、英語さえあまり通じないと聞き「大勢でなら必要でしょ!」と通訳兼ガイドを雇うことに。後から思うに、これは本当に雇ってよかった。
ツテをたどって紹介してもらったのがニアさん、夫婦でワインを作っている40代後半の女性だ。お互いテキトーな英語を駆使してメールでやりとりしつつ、旅程を決めた。これが思いがけずとんでもなく過酷な旅を生み出したわけだが、それはまた後で追い追い語っていこう。

待ち合わせは首都、トビリシのホテルだ。日本から、ヘルシンキから、ベルリンから、ニアさんはジョージア第二の都市クタイシ近郊の村から、全員集合である。地球はまるい。目的のある旅の場合は現地集合現地解散の旅が便利なので、このパターンが最近増えた。

ニアさんとは初対面とはいえ、この夫婦が作るワインを飲んだ経験はあった。『ジョージアのクヴェヴリワインと食文化』(島村菜津、合田泰子、北嶋裕著、誠文堂新光社)という本の刊行記念パーティにお呼ばれし、その時に味わっていたのだ。ちなみにこの本はジョージアに行く際にオススメだ。歴史や観光地についての記述もあるし、特にワインを飲みに行く場合は、ぶどうの品種から生産者の人物紹介まで載っているので、必携だと思う。

あのすばらしいワインを作る人なら安心だ。
この安心感は、旅の間に確信に変わっていく。

最初の夜は、ニアさんオススメのレストランへ。メニューがとにかく豊富、というよりもそもそも何が何だかわからないので「えーい、オススメを持ってこーい!」となるのは常だったが、旅の間終始、つくづくジョージアという国は食が豊かな国だと実感するばかりだった。
私が今まで食べたことのある他の地域の料理ではトルコ料理が一番近い。隣の国なので当たり前かもしれないが、乳製品、特にヨーグルトの酸味をうまく生かしており味わいが複雑で、発酵食文化があると言っていい。
ハーブ系の香辛料を多用し、レストランや家庭では手作りのパンや飲み物を多く見かけた。最初に出かけたレストランでは、手作りのレモネードを何種類も出していたし、それくらいは朝飯前、その場で手作りしているものだらけ。北部の田舎町では、シンプルでなんてことはない山中のレストランで、その場で解体した牛の煮物や、自家製の窯で焼いたチーズパン(「ハチャプリ」という。覚えておきたい旅のジョージア単語だ)を食べることができた。
野菜や果物はそれ自体の味が濃く、口の中で弾けるかのよう。スーパーで買う日本のものは、形は綺麗だが味が薄く感じてしまうのだが気のせいだろうか。
贅沢とはこのこと。今の日本でこんな風に食べられる機会はどれくらいあるだろう?

道中、ニアさんの夫のラマズさんの名前を冠するワインメーカー「ラマズ・ニコラゼ」でのクヴェヴリワインの製造風景を見せてもらった。

まずは畑で収穫だ。なんとこの夏はジョージアでも暑かったそうで、ワイナリー巡りのつもりが「収穫やるんで御免!」と3軒も訪問キャンセルに。「ワインは農業」とはよく聞くフレーズだが、その年の気候に左右されるものだと体感することになった。とはいえ、ラマズさんにじっくりその分話を聞き、見学させてもらえたのはラッキーだった。
ラマズさんのワイナリーは、ジョージアの西部、イメルティ地方にあリ、ジョージア第二の都市、クタイシ近郊の村の一角だ。収穫の最中に出かけると、「村の男たちを呼んだ」そうで、ぶどう畑のそばにあるワイナリーの素朴な小屋(クヴェヴリの埋めてある場所を「マラニ」と呼び、小屋まで含めて称する場合が多いようだった)には、何やら屈強なジョージア男性が10人ほどわいわいガヤガヤ。人海戦術で、この人たちを雇ってこれから数日の間、ぶどうを収穫していくのだという。
ニアさんは「あの人たちのご飯を作るのが誰だか知ってる!?」と叫んでいたが、作っても作っても終わらなそうだ。ごめん、野菜を切るくらいは手伝うよ。頑張れ、ジョージアの肝っ玉母さん!

畑の普段の様子はこちら。

採れたぶどうは、こちらの圧搾機で押しつぶしていく。回してみたら結構な力技だ。去年までは木製のたるの中にぶどうを入れ、足で踏んでいたそうだ。

このジュースの段階で既に美味しく、何杯でも飲めるほどだった。
次がお待ちかねのクヴェヴリ、素焼きの壷の登場だ。地中に埋めて、その中にホースでぶどうジュースを流し込んでいく。果肉や種などすべて入れる。

品種や出来具合によって時間を調整しつつ、1ヶ月ほど、日に数回時々混ぜながらアルコール発酵を待つ。

この後は、赤ワイン用と白ワイン用に分けて果肉などの処理をし、ガラス板や木の板で蓋をする。乳酸発酵したところでしっかりと主に粘土であらためて蓋をし直し、密封の上重しを載せる。地域やワインによって異なるものの、さらなる熟成や瓶詰めをして仕上げていく行程だ。。

別室には貯蔵庫もある。

そこでラベルを貼って完成だ。

と流れを追うのは簡単だが一筋縄でいかないことは言うまでもない。「毎年状況は変わるから試行錯誤だよ」とのことだ。

クヴェヴリは、専門で作る職人がいるとのことでそちらも訪ねた。

ザリゴ・ポジャゼさん、8歳で壷をつくり始めて現在67歳。5代ほど続くクヴェヴリ作りの家系だ。クヴェヴリを作る製作所はジョージア全体で10軒ほどだそうな。

入り口にコンクリートで壁を作った窯の中で2日ほどかけて1000度で焼き(大きさや用途で異なる)、周囲の壁を壊して取り出し、冷ましてから内側に蜜蝋を塗る。これを温めて浸透させ、ワインの浸み出すのを防ぐのだそう。強度をあげる場合は外側にセメントを塗るなど手を加えるという。
最近では世界遺産になったこともあり、海外からの注文でうれしい悲鳴をあげているのだとか。息子さん二人が継ぐそうで、後継者問題もクリアしている愉快な壷職人さんであった。庭からとってきてくれたぶどうのおいしかったこと。
写真は2000リットルは入るというクヴェヴリ。

ラマズさんがワイン作りを実家に戻って本格的に始めたのは10年ほど前のこと、実家ではずっとお父さんが作っていたそうで、小さい頃には手伝うこともあった。Uターンの前はトビリシに学び、その後「ヴィノ・アンダーグラウンド」というトビリシ市内のワインバーで長く店主を勤めていた。
大学の同級生だったニアさんは、トビリシではなんと数学を私塾で教えていたというから驚いた。今住んでいる家(ワイナリーの通りを挟んで目の前)には週末だけ通っていたが、ワイン作りの決意とともに移り住んだ。とはいえ、都会から来て戸惑うことも多く、うまく都会と田舎のバランスを取らないとどちらかだけでは息が詰まる――そんな話が印象的だった。

この「ヴィノ・アンダーグラウンド」に第一夜に出かけた。トビリシはジョージアの玄関口なのでお出かけの際は是非この店へ。「クヴェヴリ・ワイン協会」メンバーのワインをここで味わうことができる。旧市街を歩いていると、あちらこちらでワインショップを見かけるし、多くが立ち飲みできるバーにも早変わりするのだが、ここは雰囲気も良く、落ち着いて選んで飲め、購入もできるのでオススメだ。

とはいえ、クヴェヴリワインというのは、製法からもわかるように非常に生産数が少ない。農薬や添加物を一切使わないので、作られる量が限られているのだ。
そして、当たり前だが「ジョージアワイン」と呼ばれるもののすべてがクヴェヴリワインとイコールとは言えない。販売されている箇所も限定されるので、確認してから買ったほうが良いだろう。

何本かラマズさんのを含めクヴェヴリワインを持ち帰って、友人の小料理屋で試飲会を開いた。一様に参加者が驚いたのは飲んだ後の爽快さだ。私自身がワインに詳しいわけではまったくないのだが、すっきりしたワインの質が格別で、他では飲んだことがない類のものだ。
世界は広い。こんなお酒を壷の中で発酵させて作ってしまう驚愕の国、ジョージア。次回は、この充実の背景を追ってみたい。